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引用サイト:明慧ネット
http://jp.minghui.org/2017/03/29/47352.html
執着心を放下して 初めて法を得ることができる
文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年3月29日】(編集者注:執着心を放下して初めて法を習得できます。絶えず執着心を放下できて初めて絶えず法を習得できるので、原文のタイトル「内へ修めることの体得」を変えました。同修の皆さんは本文を読み、法を師とし、人心を放下して真に法に基づいて修め、向上できるよう願っています)

 ある日『轉法輪』の1ページ目を読み、突然今までと全く違った意味が現れてきて、心の中で驚いてしまいました。字面の意味はさまざまな執着心を抱きながら法を学んではいけない、法を学びたければ、執着心を放下しなければならない、つまりまずは執着心を放下してから初めて大法修煉の門に入ることができるということを説かれました。

 このことをきっかけに、少しずつ考えが広がり、さらに多くのことが分かるようになりました。中国古代において、道家の法門の師父は大勢の弟子を取っていましたが、往々にして真に直伝を得られるのはたった1人しかいませんでした。佛家法門では衆生を済度し、修煉できるその人が得られますが、最終的に修煉し得られる人はわずか少数の人しかいません。試練を経て合格した人のみ師父の真の直伝を受けられ、上へ修煉できるようにたくさんのさまざまな機制、あるいは種と呼ばれるものを授けてもらうことができるのです。

 例えば、呂洞濱が修煉した時、鍾離権(訳注:しょうり けん・中国の仙人。八仙の一人。呂洞濱の師匠。姓を鍾離といい、名は権である。字は寂道。号は雲房先生。正陽真人とも呼ばれる。漢鍾離「かんしょうり」という別名もある)が10回に渡って試練を与えました。中に利益の心を試す試練、色欲の心、名や情、生死、求道の決心が固いかどうかの試練などなどがありました。呂洞濱は絶えず心を修め、求道の意志を強くさせる中で、10回の試練を全て合格してから、鐘離権はやっと正式に弟子として認め、道家で修煉し、元へ昇華するための機制と種を与え、道家の真法と神通、術類のものを伝えました。その後、呂洞濱はまた山の中で100年を超え200年近く修煉し、得道してから初めて師父の按排に従い、出山して衆生を救い済度したのです。

 中国古代ではこのような例が多く、常人社会でこのような伝説は古くから伝わってきました。これらの伝説から分かるように、古代の修煉、すなわち古い修煉形式の中で、真の弟子として教えを伝授するかどうかについて、相当厳しいものでした。

 しかし、今回私たちの大法修煉は違うのです。講習会に参加し、あるいは本を読んで修煉したいと思い立ったら、師父は全ての学習者を真に教えを伝授する弟子として扱って下さり、たくさんの気機と修煉が成就するための種を植え付けて下さいます。師父がこのようにされるのは多くの理由がありますが、最も大きいものは師父の洪大な慈悲と大法の巨大な威徳です。師父はわずか7年間で、全ての大法弟子が衆生を救い済度し、それぞれの誓約を果たせるよう、それぞれの大法弟子の最高次元まで押上げて下さいました。

 しかし、未だに多くの学習者たちは、呂洞濱など古代の修煉者のように真剣に自分を向上させ、修煉しておらず、昔の次元の低い修煉で、入門する前に必ず取り除くべき各種の執着心でさえまだ取り除いていません。これはすなわち修煉者に対する基準に満たないため、旧宇宙が絶えず強制的に彼らに試練を与えていたのです。

 私の推測ではこのような大法弟子はけっこう多く、膨大な人数だと思います。たとえ、このような大法弟子が三つのことをずっと行っていても、それはただ常人のように法を学び、常人のように修め、常人のように仕事を行っていて、表面上の形式に符合しているだけで、宇宙の中の最も偉大な称号である「法を正す時期の大法弟子」として、三つのことを行うことの厳かで神聖な内涵は備わっていません。

 今、中国の国内において、往々にして大きな迫害を受けているのは、このような同修です。師父はこのような迫害を認められておらず、依然として全ての学習者を弟子として扱ってくださっています。しかし、大法弟子として自ら修煉のことを理解し、法に基づいて法を認識できなければ、旧勢力の強制的な阻害を否定できません。そのため今日に至って常人社会の情勢が複雑になりました。

 真に執着心を取り除き、法に基づいて修煉する大法弟子は、そう簡単に酷く迫害されるでしょうか? ずばり、これまで私と接触してきた一部の次元の高い旧勢力の神は、着実に執着心を取り除き、法に基づいて修煉する大法弟子に対してとても敬服し、「英雄は英雄を惜しむ」ような気持ちさえあり、あまり迫害に手を下したくなく、見逃すことさえあります。

 長期に渡って大法の基準に達していない同修、旧宇宙の修煉形式の面からみても修煉できていない同修に対し、旧宇宙は必ず容赦なく酷く迫害を加え、絶対に成就させません。このような高徳な大法、宇宙が天地を開闢してから今まで一度もなかった、このような法を正す貴重な機縁に対し、大法弟子は敢えて大切にしていない、法の要求通り内へ向けて修め、心性を向上させ、生命の本質を高めようとしないということはとても許せず、このような学習者に対し妨害しなければ、誰を妨害するのかと思うのです。

 十数年間の修煉の道のりを振り返えってみて、大法の修煉初期の頃、病業、トラブル、厄介なことやさまざまな困難に遭ったとき、自分が修煉者であることを悟ることができ、同時に内へ向けて探し、自分の不足、執着心を探しさえできれば、直ぐにも問題が解決できます。

 修煉者ならわかりますが、常人はいつも外に向かって探しています。例えば、職場で2人がトラブルを起こしたとしましょう。常人ならお互いに責め合い、気の強い若い者は互いに殴り合いの喧嘩になることすらあり、例え表向きで口論しなくとも、裏ではお互いの不満や悪口を言い合うかもしれません。しかし、修煉者として、そのとき自ら内へ向けて探すことができれば、これは生命の本質から変わったと私は悟りました。昔なぜ修煉者の半身が神とみなされ、なぜ私たちは神の道を歩んでいる大法弟子と呼べるのか、それはある面からみてこのような人は生命の本質から変わり、思考回路、考え方が変わり、外へ探し、責任を外へ押し返すことから、内へ向けて探すようになり、生命の道徳、品行が高められたので、問題が解決できるようになります。

 あとの数年間の修煉においては、次元が高くなるにつれ、要求されるレベルもさらに高くなるかもしれません。もし、まだ初期の頃の内へ向けて修めるレベルの基準で修煉しているならそれはいけません。その基準はあまりも浅く、あまりにも表面的なものなので、そんな低いレベルでは問題は当然解決できなくなります。

 ちょうどその修煉時期に私はある魔難に遭い、ニキビが出る青春期はとっくに過ぎたのに、顔全体にいっぱい吹き出物が出てきました。一個一個重なって化膿し血も出てきました。遠くから見ると顔が真っ黒で、とてもとても醜かったのです。

 不思議なことにその症状は、他人から見て酷くて怖かったようですが、実は、私は痛みもかゆみも感じず、何ともなかったのです。

 家族には薬を買ってきた方が良いと言われましたが、私が気にしていないとみて、薬を買ってきてくれました。結局私が動じていないのをみて皆焦りだし、病院に連絡し強制的に病院へ連れて行こうとしました。それまで、私は何回か内へ向けて探して解決しようとしましたが、数日間だけ効果が現れましたが、その後、さらに酷くなってしまいました。

 強制的に病院へ連れて行かれそうになったとき、私はやっと真剣に考え、これを重視し、この問題と真直ぐに向き合うようになりました。ある日曜日、多分朝9時過ぎ頃から、心を静めて部屋の中で1人座り、真剣に内へ向かって探しはじめました。

 どのように修めれば良いのでしょうか? 朝目覚め、頭が働きはじめたときから、自分の一つの考えや念、発した言葉の一つ一つを思い出し、一つ一つの行動が法に符合していないところがあれば、それを抑え、取り除くと同時に心の中で師父に謝り、自分の生命を正しい状態に戻そうとしました。

 その日のことを探し終えてから、前日のことも同じように、朝目覚めたときから頭に浮かんできた考えや念、職場で同僚やお客様と接するときの言葉使い、行動の一つ一つを思い出して、法に則っていないところを見つける度に、それを抑制し、取り除き、師父に謝り、生命を正しい状態に戻すようにしました。

 前日のことが終わってから、同じように1日前、2日前、5日前、10日前、半月前、1カ月前、2カ月前に遡(さかのぼ)り、頭の中の他のことは全て忘れ、魔難や常人のトラブルを解決しようとする考えすらなくし、その時は、ただひたすら内へ向けて探す念だけが万念に代わったかのように、ただ純粋に自分を修める一念以外、他は何も考えませんでした。

 このように心を静めて内へ探しているうちに、おそらく午後の4時か5時頃、師父は私が大法の要求に従い、基準に達したとご覧になったのかもしれませんが、突然頭にあることが浮かんできました。およそ2年前、私は最も困り、最も苦しい時、今後もし常人社会の状況が良くなったら、ゆっくりとリラックスして、あちこちへ出かけて旅行に行きたい、という一念がふと思い浮かびました。

 この考えはわずか数秒だけ浮かんできて、すっと消えましたが、しかし、この一念は旧勢力に隙に付け入られ、私の顔にこのようにはっきりと表に現れ、無視できない魔難を招き入れました。私はその時やっと、法を正す時期の大法弟子として、全宇宙の生命が注目する焦点となり、このような肝心な時期に、このような宇宙の長い歴史からみて、貴重な一瞬の間なのに、師がこの世間で法を正すことを手伝うことに対し、全身全霊で取り組まず、衆生を救い済度することに身を投じることができず、かえって安逸を求めるような念を起こしたので、旧勢力は当然それらのことを見逃さないのです。

 このことがわかったとき、「ズドン」と突然全身が震動し、心身ともにすっきりと透き通るようになり、私はすぐにこの問題は解決したとわかり、ほっと安堵しました。

 予想通り3日後の朝、顔を洗ったとき、ふと鏡をみたら、顔全体を覆っていた吹き出物が全て消え、顔がすべすべになっており、驚いてしまいました。周りの常人も驚き、たとえ薬で治療したとしても、わずか数日間で完治し、回復することはありえません。

 数年後、私はまた一つのことに出遭い、私に対するそのときの要求はまた変わりました。私の周りに1人の安全に配慮しない同修がいて、ある晩、私の車で大法の仕事をしていると、安全局の警官に気付かれ、翌日の早朝、2人の私服警官が密かに調査していました。私はこの情報を掴んでから、急いでこの事件に関係する同修に知らせ、真相資料を作成する機器を他の場所にすぐ移すようにと伝えました。同修たちが無事に移し終えた後、起きた事件のことを伝えました。同修がこのことは私と関係ないので、無実な迫害をされないように早く逃げるよう勧められました。

 それはちょうど昼ごろで、私は街中を1時間あまりぶらぶらしながら、いったいどこへ逃げるのか、どうすればよいかなどとずっと考えていました。もし逃げなければ、警官はこの事件の関係者が全員いなくなっても、車の登録情報から調べれば、やはり身元を割り出し迫害されます。もし逃げれば、また不安定で苦しい生活が始まると考えると、悔しい気持ちになりました。1999年7.20から迫害が始まって、周りの環境が大きく変わり、修煉していない親戚、同僚、同級生や友人までも私たちを理解できず、私たちがこのように信仰を放棄しないことは頑迷であり、事業や昇進するチャンスすらも犠牲にし、社会の名、利、地位は全てなくなり、時には憐憫(れんびん・ふびんに思うこと。あわれみの気持)な目で見られてきました。今までたくさんの努力を積み重ね、少しずつその状態を変え、常人は大法の真相が分かるようになったというのに、もし、また「逃亡生活」が始まれば、これらの努力は台無しになり、常人に正確に大法を認識し、救い済度することが難しくなってまたできなくなり、いつ再び大法弟子に巡り会い、再度される機縁がやってくるのかと思いました。

 いろいろ考え悩み迷っていた時、頭の中で突然大法弟子には偶然なことはなく、いかなることに遭っても内へ向かって探さなければならず、このことには必ず自分の不足、または向上させる要素があると思いました。

 だんだんと心が静まり穏やかになりました。ある場所を見つけ、座って静かに内へ向かって探しはじめました。昼の1時頃、先に名利を求める心、顕示心、色欲の心、自我に対する執着、疑う心、嫉妬心・・・などなど20~30個の執着心を見つけ出し、一つ一つ取り出しては自分と照らし合わせました。表から内心までこれらの不足があるかどうか、1時間ほど調べてみましたが、最近の修煉状態は比較的良く、心は玉のように清らかでこれらの執着心はないと思いました。

 だんだんとちょっと苛立つようになりましたが、迫害されそうになる度に、いつもあちこち逃げ回り、転々とした生活を送るという選択肢を取ると思うと、やはり、心の中で悔しくなり、決心して落ち着きを取り戻し、やはり師父を信じ、大法を信じ、再び座って内へ向けて探し続けました。党文化の観念、変異した観念があるかどうか、さらに1時間ほど探しても見つかりませんでした。

 また苛立ちましたが、迫害がだんだん近づいていると思うと座っていられなくなり、今直ぐにでも立ってその場を離れようとしました。しかし、その時師父は説法の中ではっきりと説かれ、弟子が実践できるかどうか、真に師父を信じ、大法を信じているかどうか、今、見られていると思うと、無理矢理心を落ち着かせ、座って内へ向けて探し続けました。

 執着心と観念を探しても見つからなかったので、違った角度から考えはじめました。同修は安全面からの漏れがあり、この魔難を招き入れましたが、この事件で私が巻き込まれた以上、私にも同じ問題があることを意味するのではないか、同修は安全面にあまり配慮していないのですが、私は逆に安全面に心配しすぎてはいないだろうか?

 ここまで考えた時に、「ズドン」という震動が起き、私は自分の神体が膨張し、どんどん高く大きくなり、次元が高くなるにつれ、一層一層の金色の波が輻射(ふくしゃ・一点からまわりへ放射すること)し、周りに押し寄せ迫って来ていた黒い邪悪な生命が、瞬く間に金色の光に一掃され、一瞬にして消滅されました。

 そのとき私はほっと安心して心強く感じ、この魔難は消え去り、何事も起きることはないとわかりました。私は普段通りに帰宅し、普段通りに通勤しました。予想通り、その日以降、国家安全局の私服警官は二度と現れることはなく、あらゆる調査は最初から何もなかったかのように、理由もなく中止になりました。この事件は忘れ去られ、消えてなくなりました。しばらく経ってから、周りの環境も何もなかったかのように静まり返って、関係者の同修たちも今までのような迫害を恐れて転々とする生活をやめ、戻ってきて普段通りの生活を送るようになりました。

 この事件を通じて私は次のことを悟りました。同修は安全面に配慮することが不足した問題で、今回の魔難を招いたのですが、私はこの世間の理においては安全に気を配っており、今回は巻き込まれましたが、法を正す時期の大法弟子の基準に達しています。このような状況下においても、自ら内へ向けて探すことができ、自分の肝心な問題に気づくことができたため、次元を向上し昇華することができました。世間法においては安全に配慮することは正しいのですが、さらに高い次元からみれば、思惟も物質であり、あまり重く考え過ぎると生命に余計な物質の荷重を載せることになり、次元の向上、生命の昇華にとっては制限されることになります。

 無実なのに巻き込まれた時に、外に向かって責任を押し出し、他人を責めたり、他人を恨むことなく、逆に同修を守ると同時に内へ向けて探さなければなりません。

 最も肝心なことは迫害され、危険が差し迫り、イライラする中でも、自分の考えを法理の方向へ連れ戻し、心を法の中にしっかりと定め、しかも一定のレベルで安定させ、落ち着かせなければなりません。

 数年後、私の修煉はまた新たな段階に入りました。当時、師がこの世で法を正すことを手伝う中で、自分たちの力を発揮し、一部の同修とさらに協調しようとしましたが、修煉状態がまだ基準に達しておらず、智慧もあまりなく、計画したことは旧勢力に酷く妨害され、同修間のトラブルが大きく、隔たりの根が深かったのです。

 トラブルの中で心性を守ったので事態が穏やかになり、師父に励ましを頂いたのかもしれませんが、私に次のような光景を見せてくださいました。他空間で私の「心」が激しく燃やされ、同修たちからの噂、嘘、非難、皮肉、意地悪などは黒い物質となり、四方八方から飛んで来て、燃焼の原料となりましたが、この中で私は心性を守り続け動じなかったので、その「心」は烈火の中でだんだん光るようになり、だんだんとぴかぴかと金色に輝いていきました。師父はこれが「紅塵煉心」(訳注:紅塵は中国語ではこの世、浮世の意味)だと教えてくださいました。

 さらに、私を理解してくれず、トラブルになった相手の同修のため、プロジェクト全体のために考え、行動したため、師父はもう一つの光景を見せ、励ましてくださいました。ある円錐形の宝物が胸の前で平に置かれ、尖っている先端は胸、つまり「心」に向かっていました。この宝物は即ち「内へ修める」というものです。私が本当に落ち着いて内へ向けて探したとき、主意識が直ちに大きく強くなり、一部の意識はその円錐形の物の底部から入って、電気ドリルで壁に穴を開けるように、身体の中へ、「心」へ向かって力いっぱい、打ち込まれました。私の胸(心の外側)の一層一層の固い物質は、この宝物に絶えず打ち込まれ、一層一層と通り抜けられ、砕かれてバラバラに散らばっていきました。穴を通り抜けた時、「心」の最も深いところまで到達しました。そこは光に満ち満ちて、極めて非常に素晴らしい空間でした。

 その時、私は次のことがわかりました。この一層一層は、胸の前(心の外側)の固い物質は執着心の他空間での現れであり、執着心は実は一層一層の固い物質なのです。同じ執着心は何層もあり、それぞれの執着心は重ね合わさり、胸の前で頑丈で巨大な障壁となっていたのです。

 ではこの障壁はどれだけ厚いのでしょうか? 昔、道家では、よく人体を一つの小宇宙とみなしていました。もし人体が本当に一つの小宇宙であれば、この障壁の厚みは10万8千里どころではありません。

 「内へ修める」は一つの法宝であり、形も変化します。この時は円錐形でしたが、実は変形します。それ自体も一つの生命であり、純真で遊ぶことが大好きです。大法弟子が精進し、内へ修めるとき、興奮してやる気満々のとき、たくさん充電され、非常に高い速度で前に向かって回転しています。特に固い物質を通り抜け、あの素晴らしい空間に到達する寸前のとき、さらに活発で生き生きとして、力いっぱい回転します。しかし、大法弟子が内へ向けて探さず、あるいは表面上の上辺だけで形式的に探し、落ち着いて本当に自ら内へ向けて探していない時は、だらだらとして怠けてしまい、大法弟子を軽蔑します。「あなたのやる気がなければ、一緒に遊んであげませんよ」と言うのです。

 「内へ修める」という法宝は普段大法弟子の胸の辺りに置かれて動いていませんが、修煉者の意念で動かします。修煉者がトラブルや魔難に遭ったとき、もし直ちに内へ向かって自分の考えを直し、修めることができれば、その修煉者の主意識が強くはっきりしているので、その意念がこの宝物をコントロールし、執着心でできた固い物質を通り抜けることができます。修煉者の主意識が強ければ強いほどエネルギーが強く、この宝物の動力は強く深く掘ることができ、完全に打破することさえあります。私は師父の詩「感慨」の中「真念化开满天晴」(訳注:師父の詩 『洪吟四』「感慨」は翻訳中)を拝読したとき、上記のような状態を感じました。

 大法弟子ならみんな知っていると思いますが、師父は私たちのためにたくさんのことをして下さり、大法弟子の身体にたくさんの気機、機制、種を植え付けてくださいましたが、「内へ修める」のもその中の一つの機制だと私は悟りました。

 法を正す時期の大法弟子として、師父のお立場や大法のことを考え、修煉環境全体を考えることができれば、初めて「無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにする」[1]の状態に達することができると思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
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