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引用サイト:明慧ネット
https://jp.minghui.org/2020/07/03/69771.html
現代人の常識を覆す、疫病の大災難(上)
大疫の横行により、天が明王朝を滅ぼす

 明慧ネットに掲載された文章「映画『大明滅亡』の中の疫病は、どうやって収束したのか?」の中で、学界を困惑させる歴史的な現象が述べられていた。それは中国の明朝が疫病により、滅ぼされたという。その疫病は清の軍隊とは無縁で、清の軍隊は入関してから、中国の南方まで突破し、最後に中国を統一し、その疫病も消失した。まるでその疫病は大明朝を滅ぼすようにやって来たのだ。

 なぜこのようになったのか? ある文章には、民間の医師・呉有性(呉又可とも呼ばれる)は疫病に対して、神方(しんぼう)があり、道家の真言と「達原飲」で、疫病を収束したと書かれている。しかし、呉医師の治療範囲は限られているので、疫病の伝染速度は呉医師の治療速度をはるかに超えていた。しかし、全国に伝染した疫病は明朝の滅亡によって消えてしまったが、この原因は何なのだろうか?

 ではここで、これらの歴史の謎を解くことにしよう。

 1、天上に歴史を決めて謎を設け、常識を覆して玄妙を現わす

 李自成が北京に攻め入って、明の皇帝の崇禎帝(すうていてい)が紫禁城の北にある景山で首を吊って自殺したことについて、多くの人は詳しく知っていると思うが、しかしその裏に天地を揺るがす謎が隠されていた。


 ①天意に従って速やかに天下を取り、天意に逆らって天下を失う

 崇禎17年元旦 [1] (1644年2月8日)、李自成は西京(今の中国の西安)を首都として大順朝を建国した。満州民族のドルゴン(多爾袞)は順治帝(じゅんちてい:当時6歳頃)の名義で李自成に手紙を出し、一緒に中原(明朝が支配する範囲)を取るという提案をした。明朝の城は堅固であり、特に北京の城壁について、攻めるのはとても難しい。満州のホンタイジ(皇太極)とドルゴンは北京の城を攻めたことがあり、城壁が堅固なため、失敗した。ドルゴンの提案に対して、李自成は無視した。

 3月10日、李自成は自ら騎兵、歩兵20万人を率いて、禹門(うもん:中国山西省龍門山にある)から黄河を渡して山西に入った。[1] 大順の軍隊は連戦連勝で、多くの明軍が投降した。3月の下旬、李自成は山西省全体を占領してから、引き続き河北省真定(今の中国河北省の正定県)、保定(今の中国河北省の保定市)[2] を取った。4月23日、李自成は北京城の外部(今の北京の西直門の外側)に着いた。[1] 当日、明軍の京師の三大営の城兵はすべて負けて投降した。[3] 夜、宦官は北京の外城の広安門を開けて投降した 。[4] 25日、内城も陥落して、崇禎帝は景山で首を吊って自殺した。

 李自成が天下を取ることについて、こんなに順調にいくとは当時誰もが思わなかった。特に、ドルゴンはとても不思議だと思った。その後、李自成の軍隊は北京で明朝の官吏を殺したり、財産を没収したりした。[5] また普通の民衆を含めて略奪や強姦が横行していたため [6]、[7]、李自成に帰順しようと、山海関の主将・呉三桂(ごさんけい)が反逆した。李自成はまた山海関を攻めた。呉三桂は満州族の清に投降し、李自成はドルゴンと呉三桂が率いる連合軍に激突され、大敗し、北京から撤退した。李自成は大明を滅ぼして、ただの39日だけで、天下がまた主を取り替えた。

 ②天意に従って、疫病が奇跡的に現れる

 李自成は最初の戦争はなかなかうまくいかなかった。全軍がほぼ壊滅させられたことが3回あった。3回とも壊滅させられ、3回とも立て直し、崇禎14年(1641年)から運が向いてきた。1642年河南省で権勢を誇り、1643年陝西省潼関(どうかん)で明朝の主力軍孫伝庭の軍隊を消滅させ、1644年晋冀地域を一掃して、北京を目指して北伐した。

 なぜ運が向いてきたのか? 史料に照らし合わせれば原因が分かるだろう。明朝に疫病が流行したためだった。

 1641年、明朝に疫病が再び蔓延し、最大の流行が始まり、京津冀(けいしんき:河北省、天津、北京の総称)地域 [8] 、江浙滬地域(江蘇省、浙江省、上海)[9] 、魯豫皖地域 (今の山東省、河南省、安徽省) [10] などに蔓延し、一部の地域では10軒のうち9軒が空き家になり、また、ちまたでは百軒あまりが全滅した。一軒家に数十人が居て、生き残りは一人もいなかった。この状況が1644年まで続いた。映画「大明劫(大明滅亡)」の中でこの歴史が描かれた。もし、呉医師がいなければ、孫伝庭の軍隊の戦闘力は完全になかった。

 しかし、医師の呉有性は北京に行っておらず、北京の疫病の状況は一番深刻だった。当時の北京は大変もの寂しい景色で、町の中には遊ぶ子供の姿さえもなかった。1664年4月、李自成が北京を攻める時、北京は疫病のために少しの抵抗力もなかった。

 軍事と疫病をまとめて見れば、人を驚かせる奇跡が現れた。

 ③明朝が滅び、疫病も消える

 李自成の軍が北京に入ると、

 感染者を隔離したことがあるか? ない。

 李自成の軍人が¥はマスクをつけたか? ない。

 李自成の軍人に良く手を洗うようにと求められたことがあったか? ない。

 李自成の軍人に北京の住民と社交距離を保つようにと求められたことがあったか? ない。

 李自成の軍人は北京の街道や団地などを封鎖したことがあったか? ない。

 李自成の軍人は北京の市民を外出禁止にしたことがあったか? ない。

 李自成の軍人はすべての産業を休ませると命じたことがあったか? ない。

 その時の疫病はペストだった。[11] 症状によって、肺ペストと腺ペストが合わさったミックスペストになって、伝染力と危険度は今の武漢肺炎より高かった。『明実録・崇禎実録』によると、「16年(1643年)に、首都大疫で毎日数万人以上が死亡」[10] 、当時の北京の死亡率は40%以上であった、北京の郊外の疫病状況も深刻であった。通州(今の北京の通州区)で、夏の7月の疫病は炭疽病と呼ばれ、一軒家から一軒家へ感染し、常に家族全員が死亡して収骨する人もいなかった。

 『明季北略』によって、明朝の兵科給事中(へいかきゅうじちゅう:明朝の官職名)・曹良直の家に客が訪ねて来て、客と向かい合ってお茶を飲む時、茶碗を持ち上げて、「お茶をどうぞ」と言った途端に、倒れて死んでしまった。兵部の梁希莱は人を訪れて帰って来て、家に着いた瞬間に死んでしまった。武将銭晋明はお客さんと話しあって、話しながら死に、暫くすると奥さんと婢僕15人もみな死んでしまった。また、二人は各自で馬に乗り、話しながら前後で、後ろの人が前の人に質問をして前の人が答えないので、近づくと前の人はすでに死んでおり、死体がまだ馬に乗ったままだった。またもう一つ、金持ちの家族が全員ペストに感染して全員が死に、二人の泥棒が物を盗むために家に入って来て、一人の泥棒が物をまとめ、もう一人は軒下に横たわって、まとめた者から渡した物を受け取り、その瞬間に二人が急に死んで、物を渡すと物を受ける姿勢のままで死に、物が二人の手の中で落ちないままであった。[12]

 北京の城壁の上に凸凹状の低い壁の所が約15.4万箇所あるが、李自成の軍が北京に着いた時には、京師を守る三大営の城兵はペストのために、ただの5万人の兵士が守っており、そして、侘しさで物乞いのように抵抗力が完全に失われていた。

 ペストは人から人に伝染し、呼吸や接触などを通して伝染する。なぜ、ペストが流行している北京の中で、李自成の軍は感染しなかったのか? 確かに李自成の軍が感染したから、清の軍に負けたという話があるが、史料によると、北京に入ってから31日後に、李自成の軍が山海関で呉三桂の関寧鉄騎と戦って、李自成の軍の戦闘力が非常に強く、もし風の方向が変わらなければ、清の軍がそのチャンスを利用して李自成の軍を攻撃しなければ、関寧の鉄騎は全滅するはずだったという。

 清の史料には「李自成の敗兵は逃れ、疫病を連れて行った」 [13] と書いてあるが、これは推測と濡れ衣を着せられたのだ。確かに、清の軍がどこに追撃しても、そこに疫病の残病があり、それは疫病がすでにそこに蔓延していたからで、李自成の敗兵が連れて行ったのではない。もし、李自成の軍が連れて行ったのなら、山海関で戦う時に、兵士の呼吸によって疫病は清の軍隊を倒したのではないか。

 李自成の軍が北京に入って疫病に感染されないことについて、普通の人は理解できないから、映画の「大明劫(大明滅亡)」の中で李自成の軍も感染されたという場面を作り出した。今から見れば、それは歴史の真相と合わない。李自成の軍はそもそも明朝の人民なのに、なぜ、彼らが造反したら疫病と離れることができるのか? これは非常に不思議ではないか?

 「李自成の軍人は全て免疫力が強い人が集まり、集団免疫していたのか?」と思う人がいるかもしれない。

 2、科学に基づいて比較してみると、不思議な現象に気づく

 ①悲惨なペストに対し、人間は「集団免疫」できない

 現代科学はペストに三つの「科学的な結論」がある。

 結論1:現在でも、迅速かつ適切な治療をしなければ、腺ペストの死亡率は75%で、肺ペストの死亡率は100%である。抗生剤が見つかる前に、ペストを治療する薬がないので、人間はこの死亡率に直面した。

 結論2:人間の身体はペスト菌に対して、自然免疫力がないので、すべて感染しやすい。つまりすべての人が感染するはずである。

 結論3:ペストの疫病から回復した患者はペストの疫病に免疫力が強くなり、再び感染することが少ない。

 明の末期の疫病の病状により、その当時の疫病は肺ペストと腺ペストが合わさったミックスペストで、典型的な呼吸器感染症で誰もが抵抗力がないし、感染したら生き残れる人は少ない。疫病は崇禎6年(1633年)、山西省から全国へ蔓延し、あちこちに潜伏し、次から次へ発生し、集団免疫という形を形成していなかった。

 ②李自成の軍は無神論をひっくり返した

 歴史の真相により、李自成の軍は疫病地域で明朝の軍と戦い、また北京を取り、そして強い戦闘力を保ち、そしてまた山海関を東征した。強いペストの疫病が爆発的に拡散し蔓延している中国で、彼らは免疫力を自然に生成することは天意ではないだろうか?

 以上の史実は人類に疫病には目があり、決まった人に感染し、決まった方向に従って人の命を取ることを伝えている。無神論は疫病の前に完全に崩れた。

 3、戦馬はノミを除き、ペストを除くという話があるが、それは「一葉目を蔽(おお)えば泰山を見ず」の玄妙を隠す

 「清の軍は感染しない」という不思議な現象を解釈するため、「戦馬はペストを除け」という解釈がある。つまり清の軍は主に騎兵で、戦馬の身体の匂いはノミを取り除けたからこそ、清の軍はペストに感染されなかった。しかし、これは解釈のための解釈であり、成立しない。清軍の中には歩兵もおり、歩兵はなぜ感染されなかったのか? 明朝の軍にも騎兵があって、疫病の攻撃の下で、戦闘力がずいぶん減った。李自成の軍は主に歩兵なのに、なぜ感染されなかったか?

 また、ペストの伝染ルートは、ネズミやノミだけではなく、飛沫感染とか、傷に接するとか、物品、荷物、お金など、すべてが伝染ルートになる。そして史料によると、当時の疫病が伝染するのは病気ではなく、死亡するであった。さらに、明朝の軍だけに伝染した。

 その原因は何であろうか? 実は明王朝は天のほどの大きな罪を犯してしまった。その歴史の本当の姿を明らかにすれば、現在の疫病についても、答えが得られる。

 (続く)

 参考文献:

 [1] 明末清初(みんまつしんしょ)の計六奇の著作『明季北略・巻20』(みんきほくりゃく)
 [2]『明実録・崇禎実録・巻17』(みんじつろく)
 [3] 明末清初の汪楫(おうしゅう)の著作『崇禎長編・巻2』
 [4] 清の張廷玉(ちょうていぎょく)の著作『明史・本紀・巻23』(みんし)
 [5] 明末清初の談遷の著作『棗林雑俎』
 [6] 明末清初の彭孫貽の著作『平寇志』
 [7] 清の毛奇齢(もうきれい)の著作『後鉴錄』
 [8]『明史・本紀・巻24』「(崇禎)14年(1641)秋7月、首都に疫病が大流行」
 [9] 明末清初の呉有性の著作『温疫論』
 [10]『明実録・崇禎実録・巻14』
 [11] 曹樹基の著作『中国の歴史研究』(鼠疫流行与華北社会的変遷[1997])
 [12]『明季北略・巻19』
 [13] 中国河北省懐来県地方志编纂委员会編集した『懐来県志』
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