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引用サイト:大紀元
https://www.epochtimes.jp/jp/2012/06/html/d81255.html
中国崑崙山の仙人(32) 人神の界
二十二、人神の界
私たちは「百妖陣」を打ち破り、引き続き帰り道を辿った。「百妖陣」の妖怪たちは今どうなっているのか、再び私たちを害しようとするのではないかと私が尋ねると、平先生はそれらの師父も含んで、ほとんどが太極元真鳥に殺され、生き残った妖怪たちはひざまずいて許しを求め、再び私たちを害することはしないと誓ったと言った。 私はほっとして、なぜ、私の元神を他の空間に連れて妖怪たちと戦ったのか、そこはいったい何の空間なのかと聞いた。平先生は、そこは三界の範囲に属する、人類の空間に近いさびれた空間だと言った。彼によると、人類の空間はとても特殊で、昔からずっと厳しく保護されてきたという。もし人類の空間で妖怪たちと戦うと、人類の秩序を乱し、人類に影響を与えるので、それは許されていないという。また、人類の空間では神通力も発揮できず、制限されているのだという。また、妖怪に憑かれた村民たちも私たちに向かって来ていたので、彼らが着く前に妖怪たちを滅しないと、とても危険だというのだ。当時の状況はとても緊急だったという。 例え海の中で地震や火山が起きても、海面の上では小さな波浪だけが現れる。人類の空間に影響を与えずに大戦をするために、彼は私の元神を体から離れさせ、神医に私の肉体を封じ、邪気が侵入しないように見守らせた後、私を連れて、広くてさびれた、大戦に適する空間を捜しに出たのだ。そのような空間なら妖怪たちと大戦をしても、神通力は制限されずに発揮することができるのだ。 家が近づいてきた。もうすぐ平先生と離れると思うと悲しくなってきた。彼と一緒にいる間、私は人類には知ることができないたくさんのことを学んだ。これらのことは全人類の書籍を読みきったとしても得られない知識で、私の世界観は大きく変えられ、中国の古い神伝文化にも興味を持つようになった。家に帰った後、私はどのような本を読むべきかと彼に聞いた。例えば、「易経」や「黄帝内経」、「風水」、「奇門遁甲」などの本は研究してもよいのかと尋ねた。 平先生は頭を振り、大学に行くべき人が、いつも幼稚園の教科書を読むのを好むのだと言った。彼は、人間には「人神の界」という境界線があると言った。宇宙にはたくさんの修行の法門があり、人間社会に根を下ろしているが、それが学問だという。例えば「易経」や「黄帝内経」、「風水」、「奇門遁甲」などがそれに該当する。しかし、それらの根はこれらの修行の法門の毛皮にすぎず、最も低い次元のもので、人類が世間で使うように与えられているが、これでは世間を出ることができない。人類はこれらを学問と見なし、占いや風水、駆邪、治病のために使う。これらのものは最も次元が低いものなのだが、人類にとっては深くて測れないものなので、人類はそれらの学問について研究しても、総じて極めることができない。なぜなら、それらの理は人類よりも高く、それより更に高い次元の理は人類には与えられていないからだ。したがって、人類はどうしてこの境界線を突破することができるのかが分からない。高次元の心法の指導がない限り、いくら研究しても、永遠に「人神の界」を超えることができない。これが極限だ。しかし、「人神の界」を突破できる本当の高次元のものは、世俗の外で、代々一子相伝で師父が一人の弟子だけに伝授し、その弟子は師父が自ら探すのだという。 また、平先生は「人神の界」を突破しない限り、占いや風水、治病、駆邪などは、完全に利くとは限らないので、人間の秩序を乱すことはないと言った。そのため、人間がそれを使うことが許されている。しかし、「人神の界」を突破した人がそれを行うと、人間の秩序を乱すことになるので、許されないのだという。 例えば、漢方医の場合、「人神の界」を突破しない人は「人医」で、彼らの治病手法は、望診・聞診・問診・切診などがあり、脈象や陰陽五行を通じて、病理を推測し、薬を与えて治病する。そのため、彼らは全ての病気を治すわけではなく、完治するほどの効果にも達しない。一方、「人神の界」を突破したものは、「神医」である。平先生は話しながら、獨臂神医を指した。神医は笑いながらうなずいた。続いて平先生は、神医は望診・聞診・問診・切診などをしなくても、どんな病気でも目視するだけで一目瞭然であると言った。彼が天目慧眼で見ると、人の経脈の運行や、五臓六腑、病気の元となる邪気などが全部見えるので、いくら重い病気でも容易に完治することができるのだと言った。 また、風水を例にすると、一般の人が風水のいいところを探す場合は、羅針盤を使ったり、山に登って地勢を通じて龍脈を見たりするが、当たらない場合がほとんどであるという。一方、「人神の界」を突破した「神人」の場合は、気を見て霊気が集まる風水宝地を捜す。一見見ると、どこが「龍脈」なのか、どこが「水脈」なのか、どこが「地穴」なのか、どこが「地臟」なのか、一目瞭然になるので、あちこちに行って捜す必要もなく、とても正確で間違いもない。また占いもそうだが、一般の占い師は、相手の八字などに基づいて、陰陽五行で大体のことを推測するが、それはあくまで大概のことであり、真実と嘘が半々である。しかし、「人神の界」を突破した神人の場合は、相手が口を開かなくても、一見見るだけで、その人の一生が彼の目の前に現れ、これまでやったことが、例えそれが人に知られないことであっても、全部見えてしまうのだ。 私は驚き、これからは悪いことは絶対にしてはいけないと思った。平先生は私に靜息して入定する方法を教えてくれたが、心法は教えようとしなかった。彼は、自分の心法は次元があまりにも低く、私の根基がそれによって壊されることは許されないのだと言った。 まもなく家に着くころ、神医は我が家と十数里離れたところで足を止め、別れを告げた。彼は私たちを邪魔してはいけないと言い、私の家に入ろうとしなかった。私は悲しく思い、彼と別れの挨拶をしながら、再び会う縁があるのかと聞いた。彼は私の肩を軽く叩き、一瞬無口になった。しばらくして、彼は厳粛な表情で、後日もし私が真道を得ることができるなら、彼との今日の縁をぜひ覚えていてほしいと言った。私は彼の顔を見ながら、まじめにうなずいた。 ついに家に着いた。数えると今度の旅は、まるまる一ヶ月かかった。学校が始まるまで後数日だ。私はほっとした。母親はこの一ヶ月間、心配のあまり毎日父親を罵り、毎日涙で過ごしたそうだ。父親は仕方がなく、常に工場に隠れて家に帰りたくなかったという。私が無事に帰ってくるのを見て、家族は皆ほっとして、私たちを歓迎するために、美味しい食べ物をたくさん用意してくれた。 夜、父親は待ちきれないという風情で私たちの冒険を尋ねてきた。平先生はいつもの通り、至極簡単な言葉で答えたので、私は思わず苦笑し、平先生が去るのを待って、私はこの旅の細節を事細かに父に話した。父は聞いてしきりに驚嘆しながら、一緒に行かなかったことを後悔しながら、私のせいで一ヶ月間もババを引いてしまったと言った。 (翻訳編集・柳小明) |