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引用サイト:大紀元
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/06/html/d30800.html
チベットの光
人生で重要なものは何であろうか。幸福(happiness)こそが重要である。しかしながら、わたしたちはこの問題を解決できていない。では、いったい何がわたしたちに幸福を感じさせてくれるのであろうか。

 八十年代、わたしはチベットで野外作業に従事していたことがあり、常にチベット族の遊牧民と一緒であった。当時、わたしたちの間で流行していた笑話がある。もし中国が第三世界であるなら、チベットは第六世界である。もしチベットの経済が没落したら、原始生活に戻ってしまうだろうというものだ。大部分の遊牧民は、まともな衣服など着ていなくて、羊の皮を一枚鞣したものを身にまとい、夜はテントの中で寝ていた。遊牧民の家の中はがらんとして何もなく、わたしたちが使い古した洗面器は、彼らの食器として使用されていた。しかし、かれらとは総じて気心が通じ合い、それがわたしに深い印象を与えた。夜になると、彼らは焚火を囲んで歌い、ときには舞い踊った。それはみずからの内から発する喜悦であり、それを聞く人は雪山や森林と相通じたかのように感じたものだ。

 冬の端境期には、広東の両親の元へと帰った。この辺りは、八十年代に中国で最も繁栄した区画だ。経済の開放が早かったため、私の竹馬の友たちの多くが商売をやっていた。その頃大陸が私企業を認め始め、これらの友人たちは最も早く社長に就任し、財産をため、車を持ち、ビルを所有し、私を豪華なレストランに誘った。しかし、彼らは本当に幸福になったのではなく、かれらの心は緊張と焦りでいっぱいで、あるときには気落ちして意気消沈帳していた。煌びやかなディスコの中でさえ、彼らからは空虚な苦悶を感じた。

 多年にわたる共産党の教育のせいで、中国大陸の大部分の人は無神論者となったが、チベット族は仏教徒である。わたしは長い間結論を探してきたが、これらを対比することによってあることが分かった。人の幸福は、金銭や外のものに由来するものではなく、自らの内心に由来するものであると。 

 チベット仏教には、宗派がいくつかあるが、その中でもカギュ派は重要な位置を占め、ミラレパはその創始者である。チベット語で、カギュとは口伝を意味する。この言葉からもわかるように、カギュ派でもっとも重視されるのは師父であり、正しい師父こそが重要である。

 実際、ミラレパの修煉故事は、もともとチベットに伝わっている長編の「道歌」におさめられており、彼の後年の弟子たちはミラレパの修煉故事からその真理を悟ったものであり、後にこの道歌は文字として記録された。現在、チベットの師父が法を伝えるときには、この道歌を高らかに唱え、縁あるものたちはこれを聞いては涙を流している。

 ミラレパは、北宋時期の十一世紀に生きた人である。人々ともに各種の法術を学んで見返りを期待しても幸福を得られなかった。しかし良師に出会ってからは、苦しみながらも法を得て実修し、数々の苦難を経験し、最後には大きく解脱した人である。

 わたしの浅い理解では、仏法修煉とは内に向けて探す過程であり、万事を外に向けて探す今の世界とは正反対のものである。今の時代は、自然科学と社会科学が幅をきかせており、人の精神は外に向かって答えを求めている。しかしわたしの友人と同様に、いくら外の世界が豊かであっても、人類内心の問題を解決することはできない。なぜなら本当の幸福は、内心に由来するからだ。このため、信仰と修煉は、自在にして快楽の道を提供するものであり、外部の状況を聞いてもそれに違った角度から対処できるようにするものである。

 以前、ある修煉者が友人と街頭で話していた。すると脇にいた人が、何か癇に障ったのか理由もなくその修煉者の横面を張って立ち去った。その修煉者は痛みでしばらく声が出なかったが、後にこの友人とその話題になった。「君は面を張られて、腹が立たなかったのか?」と友人がその修煉者に尋ねた。「彼は理由もなくわたしを張った。それで、彼に問題があるのか?それとも私に問題があるのか?」と修煉者が言った。「当然、彼に問題がある」と、友人が答えると、「彼に問題があるのに、なぜ私が怒らなければならないのか」と修煉者が笑って答えた。

 ミラレパは、修煉して大神通に到達し、天を飛翔したが、大悪人が彼を傷つけようとしたときでも、慈悲で対面できた人でもあった。私は以前によく思ったものだが、修成して解脱してこそ、そのような慈悲と度量をもつことができ、世間をでて稀に見る慈悲を表せてこそ、解脱したと言えるのではないだろうか。

 私はこの問題を簡単な形式に置き換えることができる。わたしたちは数学的な道理を理解してこそ、回答を導くことができる。それでは、答えることができて、はじめてその中に道理があるのではないだろうか。

 仏法はすべての万物に存在し、仏によると万物に仏性があるそうだ。修煉がないと、わたしたちは事に遇してもそれを深く洞察することができない。ミラレパの故事は、わたしたちに多くの道理を伝えている。


 (翻訳編集・武蔵) 
      チベットの光 (1)
      チベットの光 (2) 餓えと寒さ
      チベットの光 (3) 人情酷薄
      チベットの光 (4) 家財の返還拒否
      チベットの光 (5) 悲劇の始まり
      チベットの光 (6) 報復の決意
      チベットの光 (7) 酒のうえでの過ち
      チベットの光 (8) 報復の立志
      チベットの光 (9) 師事
      チベットの光 (10) 帰れない家
      チベットの光 (11) 殺人呪術
      チベットの光 (12) 悪因悪果
      チベットの光 (13) 殺人の実行
      チベットの光 (14) ウェンシーの殺害計画
      チベットの光 (15) 報復の継続
      チベットの光 (16) 送金の計
      チベットの光 (17) 雹を降らせる法
      チベットの光 (18) 追手
      チベットの光 (19) 偽の手紙
      チベットの光 (20) 正法への願い
      チベットの光 (21) 聖者到来の夢
      チベットの光 (22) ラマの耕作
      チベットの光 (23) 何のために正法を求めるのか