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引用サイト:大紀元
https://www.epochtimes.jp/jp/2012/05/html/d10131.html
中国崑崙山の仙人(28) 気
十九、気

 私は気のことについて、もっと話してほしいと神医にしつこくねだった。私は気功を習ったことがあり、父も気功の愛好者だった。私は、気功というのは本当に不思議なものだと思っており、ずっとその謎を解きたかったのだ。

 だが、神医は自分が知っているのもこれらのことに限られているので、もっと詳しく聞きたいならば、平先生に教示をお願いするしかないと答えた。彼の話に、私は平先生の顔を見た。私の求知心に対して平先生は断ることなく、今回も教えてくれた。

 彼は、「気」というのはとても大雑把で、「生気」、「霊気」、「清気」、「精気」など、様々な物質を含んでいると言った。少しでも流動のあるものを発するのであれば、みな「気」と呼ばれるという。「気」は大きく、「先天の気」と「後天の気」の二つの種類に分けられる。「先天の気」は、生命の母であって、万物を生み育てる。「後天の気」は、生命が生まれた後に生じた気で、生命の霊とも言え、万物の生命を支えてくれる。気が尽きると、生命はなくなるのだ。

 平先生は、人体だけでなく、自然万物にもみな気があり、石や物質などにも気があると言った。このことから万物にはみな霊があると言えるが、人はそれを見ることができないし、信じようとしない。平先生によると、いくらかの物質をどこかに置いた場合、時間が長く経つと、それらは移動することができるという。しかし、これらの動きは人にとってあまりにも緩慢であるため、人の目には見えないし、測ることもできない。また、石にも呼吸や代謝などがあるが、人はそれを見ることも、感じることもできない。実はそれら全てが生命であって、もし人類が自然万物に対して道をもって接し、愛護すると、それらは霊性を現し、人に恩返しする。しかし、今の人々はそれらをただの奴隷のように足元に踏んで酷使し、それと交流したり、愛護したりせずに、これらのことを信じない。そのため、人にはそれらの霊性の一面が永遠に見えないし、永遠に信じないため、ますますこの世の中で迷ってしまうのである。

 また、平先生は、生命は循環することにあり、循環が止まると、生命は終わるのだと言った。同一境界の全ての生命個体はお互いに通じ合って、更に大きい一つの大循環を形成するが、これは自然循環と呼ばれる。一方、異なる境界の自然もお互いに通じ合って、更に大きい循環を形成するが、これは宇宙循環と呼ばれる。いわば、全てが循環に含まれており、循環から除かれるものは一つもないのだ。

 彼は、「気」は宇宙循環の一つの重要な要素であって、低境界で発した精気は、また高境界に吸収され、高境界の気に転化された後は、高境界を維持するためのエネルギーになるのだと言った。同境界の中の気は流動したり、交換したりすることができ、自然万物を繋ぎとめている。これは気の循環である。いわば、至るところに気があり、人体に気があるほか、万物にも気があり、大自然にも気がある。天陽の気があれば、地陰の気もあり、宇宙の気があれば、各種の異なる星の気があり、太陽の気、太陰の気などもあるという。

 私は、気功でいう「気」とは何かと尋ねた。平先生は、「気功」は一つのとても大雑把な概念であるが、実はそれにはたくさんの法門が含まれていると言った。それには仏家や、道家、奇門、魔道、邪門などもあるが、それらを「気功」と総称するのだという。実は「気」を練るのは、次元が極めて低く、まるで這って歩み始める子供のようで、修行者にとっては、修行の初級段階であり、本当の修行とは言えない。周天(しゅうてん)※が通じた後になると、気を練ることはなくなり、本当の修行の段階に入るというのだ。

 彼は、修行してある一定の境界に達すると、自然万物はみな霊気を発散し、色も、透明度も異なるのが見えると言った。気は流動、交換、昇降することができるが、もし一定の方向に向けて流動し続けると、時間が経つにつれて、だんだん気機を形成するようになるという。気機が強まると、だんだん脈を形成し、脈により循環が開かれると、エネルギーは非常に強くなり、だんだん周天を形成するのだという。

 また、平先生は人体の五臓六腑は、気が生じ、集まる場所であり、経脈は気を運送する役割を果たすのだと言った。これは人体の気であるが、一方、大自然も一つの巨大な生命で、神霊であって、人体と同じく、五臓六腑と経脈を有しているのだと言った。地上にはまた様々な地勢や地貌、山川河流などがあるが、多くの有名な山や川などには、霊気が集まっており、これらのところは、自然の臓腑、または重要な穴(つぼ)に該当するものであるという。また自然の中には、水脈、地脈などを含んだ多くの脈があるが、いずれも気とエネルギーを運送する作用を果たし、大自然の生命循環と繋ぎとめているのである。一方、人類と地上の全ての生物は、みなこの大自然の細胞であって、自然循環の一環に属しているのである。しかし、人類は迷いの中で、だんだん大自然を汚染し、破壊してしまった。これはまるで、病原菌や癌細胞に冒された人体の細胞のようで、表面上人体の細胞であるが、本質はもう人体の細胞ではなくなっているのである。それらの細胞は自然の道に従わず、それに背馳してしまったが、体全体に感染を広がることを避けるためには、取り除かなければならない。人類も自然の道に従わず、それを破壊し続けると、大きな災難に直面しなければならないのである。(最後の一句は私が人に理解しやすくするため、自分の言葉で記述したものである)

 ※周天(しゅうてん)…道家の修行段階で、任脈・督脈を通じさせる小周天と、それ以降奇経八脈を通じさせる大周天とに大別される。

 
(翻訳編集・柳小明)
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