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引用サイト:大紀元
https://www.epochtimes.jp/jp/2011/12/html/d70004.html
中国崑崙山の仙人(5) 平先生との再会
平先生との再会は、私が5歳の時であった。大雨が降るある日、平先生はいつもの破れている麦藁帽子を被って突然現れたが、家の中には入らず、敷居に立っていた。靴底の刺し縫いをしていた母はすぐに平先生だと気付き、急いで屋内に招き入れた。お茶を注いで、深々とお辞儀をした後、命を助けてくださった恩人だと言いながら、私にひざまずいて礼をさせた。平先生はすぐに片側へよけ、隅に座りながら、気にしないでくださいと言うばかりだった。
偶然ここを通ったので、ついでに私を見に来たと言う平先生は、私を長々と見詰めた後、笑いながら離れようとした。母は、雨も降っているし、ぜひ家で夕食を食べてから夜を明かしてください、そうしないと夕方に帰ってくる父に知れたら、自分はきっと叱られると平先生を強く引き留めた。 当時の父は既に軍隊から除隊し、小さな企業を運営していて、昼間は家から数キロメートル離れたところで仕事をし、夜になると家に帰ってきた。 今度は、平先生は辞退せずに、家の隅に座った。じろじろと彼を見ていた私は、まるで長年離れていた身内に再会したかのように、彼に親しみを感じた。一緒に遊びたいという気持ちが湧いてきたが、勇気がなく、近づけなかった。 三、「地龍」を掘る 夕方、家に戻ってきた父は、平先生が来ているのを知り、自分の太ももをたたきながら、もっと早く知っていたら町の市場に行って新鮮な野菜を買ってきたのに、と悔しがった。その時は、市場に行くにはすでに間に合わない時間だった。口数の少ない平先生は、自分はずっとあちこちさすらっていて、食べ物がもらえるだけでも感謝の至りだというばかりだった。 父は雨に降られながら、村の池でタニシをすくい、母にタニシ炒めを作らせた。また、卵とお酒を借りてきて、平先生をもてなした。当時、卵と肉を食べることは容易ではなかった。平先生はごちそうを見て、意外にも少し不安な様子だった。 父が再三勧めると、彼はようやく飯鉢を取り出した。彼は依然として自分の飯鉢で食事をし、食卓に上がろうとしなかった。父は平先生が上座に座ってみんなと一緒に食事をしないと、私たち家族はみんなご飯を食べないと言い張った。しばらく彼らが対峙している間、おなかがぺこぺこになった私は手を伸ばして卵を口へ詰め込むと、父に叩かれて泣き始めた。 平先生は急いで走って来て私を抱き、子供を殴ってはいけないと言いながら私を上座に座らせ、自分はその隣に座った。父は平先生がようやく食卓の上座に座るのをみて、母を呼んで一緒に食事を始めた。平先生は肉に全く手をつけず、ご飯と野菜だけを選んで食べていたので、私は美味な料理を満喫することができた。 父が再三引き留めたため、平先生は家に一週間あまり泊まることになった。学問と能力があることを自慢していた父は気位が高く、よく他人を見下すところがあったが、平先生のことは非常に尊敬し、少しも粗末に扱うことはなかった。武術、太極などに深い興味を持っていた父は、平先生がいる間は工場にも行かず、それらのことについて教えを請うた。 その時の父と平先生の話はよく分からなかったが、もう平先生を怖がらなくなった私は、彼の足元這ったり、時々彼を噛んだり、叩いたりもした。父はそんな私を大きい声で叱ったが、平先生はいつも私を抱いて、にこにこ笑いながら、私を脅かさないでくださいと言ってくれた。 ある日、暴風雨の後、平先生は私と手を繋いで「地龍」を掴みに行こうと話した。「地龍」というのがいったい何なのか、私にはよく分からなかったが、遊びに行くと聞いて、喜んでついて行った。 平先生について走ると、まるで飛んでいるようで、疲れを感じなかった。彼は私を連れて、場所の名前も知らないいろいろな場所へ行った。多くはとても美しい山地で、高くて大きいマツの木や、巨大な白い鳥を見に行った。それらは私が一度も目にしたことのない未知の世界で、数年後、当時の記憶を思い出しながら村の周辺をあちこち回ってみたが、再び見つけることはできなかった。 (翻訳編集・柳小明) |