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引用サイト:大紀元
https://www.epochtimes.jp/jp/2012/01/html/d45507.html
中国崑崙山の仙人(12) 脈
七、脈
平先生は我が家に三、四日泊まった。ある日の朝、突然急用があると言って出ていこうとした。私と父が引き止めると、彼は、前日の夜、洞庭湖の底の黒魚妖怪が湖内の龍族を傷つけ、洞庭湖から追い出したため、龍族は居場所をなくしているという情報を受け取ったと言った。黒魚妖怪を除き、龍族を助けに行かなければならない、時間が長く経つと黒魚妖怪が洞庭湖を汚染させてしまい、それらの龍族がとても危険な状態に置かれるという。更に、それらは人類の環境の崩壊と破壊を引き起こすことになるのだ、と彼は言った。 私は彼の話があまり理解できず、もっと詳しく説明するようお願いした。 すると、彼はすこし考えてから、こう話した。生命には循環があり、その循環が中断されると、生命は死亡してしまう。宇宙の全ての生命はそのようにできている。一つの個体の小さな生命は、一つの小さな循環であり、同境界の生命圏内の全ての小さな生命は連結し合って、もっと大きな循環を形成し、更に巨大な生命体を作る。この循環を形成する要素が、まさに「脈」である。この「脈」は至るところにあるが、ただ凡人の肉眼には見えないし、触れることもできないという。 例えば、私たちの人体には脈絡があるが、漢方の治療は、主にこの「脈」を通じさせることで病気を治す。脈が通じなくなると循環が不順となり、体に相応の症状が現れる。薬草、針灸などでその脈を通じさせると、病気は治る。一方、漢方でいう点穴というのは、実は脈を遮断することである。点穴して脈が封じられると、人体には相応の問題が生じるが、解穴すると、封じられた脈は再び通じるようになる。 人体の「ツボ」は、各脈が交錯し、連通する肝心な集合点であって、穴とも呼ばれる。それぞれのツボは、異なる脈路と人体の異なる機能を支配している。また、脈は目に見えないし、血管でもないが、人の指を例とすると、5本の指先は全て脈で繋がっている。ただ、人はそれを目にすることも、触れることもできない。脈の循環は血液の循環と脈動により現れるが、全ては互いに関連し、互いに影響を与えている。一般的に、漢方でいう脈を測るというのも、実は脈ではなく、血管を指しているのである。 人の体には脈があり、それが人体の生命の小さな循環を構成する。一方、人と人の間も、人脈で繋がっており、それがいわゆる「縁」である。「縁」には、血縁、夫婦の縁、善縁、悪縁など、多数の種類があり、皆この人脈によって繋がっていて、相応の作用を果たしている。同祖先から生まれた後代は、皆同一の祖脈をもっており、まるで木の幹、小枝のように繋がっていて、遠く離れれば離れるほど、脈は細くなり、繋がりも小さくなる。親と子も脈で繋がっており、それが「血縁」である。友達、仇敵、知り合いとの間も、脈によって複雑で錯綜しながら連結している。脈は太いものもあれば、細いのもあり、善のメッセージを輸送するのもあれば、悪のメッセージを送り込むのもある。それがまさに人々の言う、いわゆる縁が深い、縁が薄い、善縁、悪縁というものなのだ。 縁がない人の間で、めぐり会うことはない。たとえ人ごみの中で、慌ただしく通り過ぎたとしても、それもひとつの縁が必要となるのだ。平先生は、自分は我が家と、とても深い縁があり、特に私との間はそうであると言った。それ故、彼は数回も我が家を訪ねてきたのであった。一般的に、仙人は特別な使命と縁がない限りは、世の中の凡人と接触したり、一緒に生活したりしてはいけない。それは許されないことである。しかし、彼と私たちの間は、一般的なものを超えた、深い縁で結ばれていたのだった。 |