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高智晟著『神とともに戦う』(58) “黄じいさん”の暴力的立ち退きから1年⑤
2005年3月29日、午前8時、崇文区の政府当局は、公安、武装警察、特殊警察など合わせて100人近くを率いて、北京市民・丁年さんの合法的な私有財産(訳注、居住する家屋を指す)を破壊し、一面の更地にした。その際、丁家への補償金は一切なかった。
2005年3月29日午前9時、北京市宣武区人民裁判所の主導の下、ある巨大な暴力組織が庫振宇さんの家を取り囲んだ。次に起こった暴力を、庫さん一家は一生忘れることはない。彼らが生きていくのに欠かせない合法的な私有財産が、人民裁判所の指導の下で廃墟と化していったのだった。絶望と悲痛の叫びを上げるこの一家にも、全く補償金はなかった。
2005年3月23日午前11時、北京市西城区公安分局は、李玉奎さんら8人を一斉逮捕した。官僚と業者による横暴な立ち退きに抗議するため、平和的な陳情に行く途中の拘束であった。4月4日、やはりこの公安局は再度、陳情者3人を逮捕し収監した。
2004年4月から10月まで続いた、「広州大学都市」(訳注、広州市の中心部から南東へ約30キロの番禺区に、大学を移転・集中させて作った学園都市)の不法な強制立ち退きは、その残酷さの度合いばかりでなく、あらゆる面から言って「世界一」と言えよう。すなわち、国家による暴力の規模とそれが続けられた時間の長さ、マフィアがするような暴力行為を受けた被害者の範囲の広さ、さらには官と業の結託により「モラル社会」の規則や道義が踏みにじられた程度など、どれを取っても世界で最悪レベルである。しかも、この地でこのような暴力行為が行われていた間中、それを実施させた連中(国家)は躍起になって、広州の主要各紙で「憲法を真剣に学び、憲法を厳格に守ろう」と声高に叫んでいた。こうして、この世に類まれな、暴力に大ぼらが加わった長編ドタバタ劇が上演されたのである。
実は、賢明なるレーニン同志は、すでにこう述べていた。「憲法とは人民の権利を満載した紙である」。中国においては、1年前に憲法が一部改正されたが、改正以前も、改正以後もまるで同じだった。憲法改正後、誰もが望んでいた変化は一切現れてこなかった。それは何よりも、憲法が紙の上でわずかに変更された以外は、すでにそれ以前の数十年間、何を恐れてか、中国の憲法に対して運動機能を持ついかなる権力も与えず、些細な変化すら起こさせなかったからであった。紙の上を少しいじったぐらいで、憲法に真の価値をもたせる変化が生じるとでもいうのか。それは単なる幻想に過ぎない。
モラルある現代社会の常識がわずかでもある人なら分かるように、もし刑事訴訟法がなかったら、刑法による社会的関係の保護および価値の調整などは、無用の長物に過ぎなくなる。憲政システムが保障する「憲法」がなければ、刑事訴訟法が保障する刑法の実質的な価値もないに等しい。「モラルある社会」が怪訝(けげん)に思う、中国の現政権の奇跡というのもまさにここにある。「モラルある社会」という制度の下、刑事手続きの法律がない場合、その実体である刑法の価値を発揮できるとすれば、それこそ不可思議なことである。
これは、人類がものを認識する力を持って以来、初めての奇跡だ。だが我々は、半世紀以上もの間、憲法はあっても憲法を保障するシステムがないという、全く憲法がないのに等しい社会で暮らしている。憲法の価値がその役目を果たさない現代社会においては、次の2つの状況しか生まれない。すなわち、(このような状況は地球誕生以来、起こったことがないが)この世の食物を口にしないような完全な聖人の集まりが率いる社会。そしてもう1つが、マフィアの暴力集団が制御する社会である。
(続く)
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