引用サイト:大紀元
https://www.epochtimes.jp/jp/2010/06/html/d14101.html
この原因は実に複雑を極める。制度について言えば、弁護士業が中国に導入されてよりこの方、弁護士が主流社会に入ったことなどないのである。真に法治を追求する国において、弁護士は、国家公務員や政治家などを輩出してきた人材の宝庫といえる。なぜなら、そのような国は法治の理念とシステムを追求するので、社会や経済および市民生活において、弁護士は極めて重要になるのである。そしてきちんと訓練を受けた弁護士は、国の立法・司法・裁判を監督する中核的な役割を果たす。国にこのような信念と役割があるがゆえに、社会のあらゆる人々にとって、弁護士はなくてはならない存在となるのである。
だが、わが中国は違う。まず主流社会は、弁護士を認める考えが全くない。官僚至上主義の空気に満たされる社会においては、全てはお上の考え次第だ。最も記憶に新しいのは、WTO(世界貿易機関)交渉である。この時、「WTO に参加するあらゆる国や国際組織の中で、唯一中国だけが弁護士を必要としない」と揶揄(やゆ)された。これは故意に弁護士を排除したのではなく、わが国の「文化」を如実に反映した結果に相違ない。こうした背景をもとに、中国においては、いまだに弁護士は広く理解されておらず、受け入れられてもいない。ここにおける鍵は、弁護士が何を提供できるのかではなく、この社会が弁護士の活動をどれだけ許すかという点にある。例えば、弁護士が社会正義を実現しようとする時、訴訟結果だけが唯一の方法であってはならない。もう1つの最も重要な方法、それはすなわち立法だ。だがわが国においては、立法に最も関わるべきである弁護士が、立法の過程から完全に排除されているのである。
また、証拠の隠滅や偽造、教唆、証人の誘導尋問などは社会に害をもたらすものであり、これらを行った者は例外なく刑事罰を受けるべきであることを、立法者は知り尽くしている。しかし、唯一弁護士だけがこれらの犯罪の予備軍として列せられているのだ。弁護士以外なら、上述の行為を行っても社会を害することはない、とでも考えているのであろうか。まさか、そこまで無知ではあるまい。このようなところから、立法者が弁護士に対して持っている差別意識や警戒心が浮かび上がってくる。
さらに泣くに泣けないことがある。我々弁護士業界が首を長くして待ち望んでいた法律である「弁護士法」が公布されたのだが、実際はむしろ、弁護士に対する「管制法」となっていた。この法律は、弁護士をはっきりと「社会の法律業務従事者」と位置づけている。しかし、おかしなことに、「司法行政部門が弁護士に対して絶対的に行政上の制御をする」とも規定されている。行政的色合いが極めて濃いが、特に弁護士の管理や懲罰といった面でそれが顕著だ。司法行政部門による弁護士への全ての処遇、それはすなわち管理・費用徴収および懲戒なのである。
(続く)