引用サイト:大紀元
https://www.epochtimes.jp/jp/2010/11/html/d45474.html
周成漢という子供も、鄒偉毅と同じように薬の過剰投与が招いた医療事故に遭い、同じように両耳の聴覚を失なった。そして、同じように私が裁判で弁護をしたが、この子は偉毅くんほど幸運ではなかった。
周成漢に一生残る障害を残した病院側の代理人を務めたのは、なんと衛生局の局長であった。もしこれが文明的な国であったなら、その傲慢で恥知らずな態度に身震いするに違いない。局長は法廷で公然と、「お前らには絶対勝たせない。万一、そのガキが勝訴しても、俺がこの地位にいる限り、お前らは一銭たりとも手にできないからな」と吐き捨てたのだった。これを聞いた子供の祖母はその場で気絶してしまい、法廷から運び出されたが、間もなく息絶えてしまった。
この裁判は3~4年かかったが、困難を極めた。吉林省の高等裁判所の法廷で発言していた時、私の目からは涙がこぼれ落ちた。「裁判官の皆さん。もしもある社会において、道義が力を失ったら、真実が力を失ったら、良知が力を失ったら、その社会はなんの力もない社会になってしまいます。今日、この法廷に掲げられた中国の国章の下で何が起こったのでしょうか。道義、良知、人間性と真実が、あなた方の手に落ちた途端、一切の力を失いました。公安(訳注、日本では警察に相当する)、検察、裁判所、病院、衛生局、共産党委員会、政府がみな結託して、この丸腰の障害者の子供と闘っているのです」。これは決して情緒的に飛び出した言葉ではなく、真の悲痛の声であった。
悲壮に満ちたこの裁判では、48万元あまり(日本円で約600万円)の賠償金を勝ち取った。しかし、我々は全力で戦い抜いたにもかかわらず、被害者は今に至るまで一銭たりとも手にしていない。これは法令の制定者と法令の執行者にとっての恥辱である。この子は今、補聴器を付けているが、これは13億の人口を誇る大国――中国が彼に与えた物ではなく、中国駐在のスイス大使がこの子のことを報道で知って届けた贈り物だった。
1999年のある日、私はある友人から「『過街天橋(歩道橋の名前)』に行ってみてごらん、奇妙な光景が見られるから」と電話で告げられた。そこに行くと、にぎやかな歩道橋にかけられた横断幕が目に飛び込んできた。そこには「高智晟弁護士を探しています」と書かれている。傍らには夫婦とその子供3人がいたが、そのうちの1人は脳性まひの9歳の子供だった。
私は彼らを事務所に招き入れた。一家は王さんといい、新疆北部のアルタイ地区から来たのだという。その子供が3歳の時、地元で流行していたエキノコックス症(エキノコックスという寄生虫によって引き起こされる感染症の一つ)を発症したため病院で簡単な手術を受けたが、その結果、脳性まひになってしまったという。この件を申し立てるため、一家は何度となく病院や関係部門に足を運んだが、毎回追い払われた。そこではるか1400キロも離れた私の元を尋ねて来たのであった。
彼らの話を聞き、子供を眺めているうちに、私の目からは大粒の涙がとめどなくあふれてきた。病の子は、とても可愛い面立ちをしている。しかしその頭を支えるはずの首は、全く腰のない麺のように力がない。誰かが支えてやらないとたちまち首がかくんと折れてしまうので、片時も目が離せないのだ。もしこの子が私の子供だったら、私は生活の全てを子供に捧げなくてはならないだろう。私は子供に200元を無理やり渡して、この裁判の弁護人になる腹を決めた。
新疆は貧しく遅れている上、新疆の裁判官の保守性と来たら、全国的にもよく知られているほどだ。私はこの案件のために、アルタイとウルムチの間を4度も往復したが、最終的には16万元(約197万円)の賠償金を勝ち取った。
(続く)