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引用サイト:大紀元
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(55)
私たち二人が旅館に戻ると、大人の人たちが車座になって何やら相談をしていました。

 私たちは一人として知り合いもおらず、その大人たちも私たち子どもにはかまっていられないようでした。私は辺りを見回しましたが、趙全有たちが見当たりません。弟たちも私たちと同じく、大通りへ出かけたのかもしれません。私は弟の心を推し量るすべがありませんでしたが、弟もまた当時一緒に歩いた通りを歩きながら、母のことを思い出しているのかもしれません。

 その晩、私たちはその旅館に泊まりました。翌日、会合が開かれましたが、私たちは始終何を話しているのか分かりませんでした。私たち子どもは、日本語をすっかり忘れてしまい、聞きとれなかったのです。結局、わけが分からないままに二日間が過ぎました。

 もしかしたら、当時、その大人たちは日本に帰る相談をしていたのかもしれません。ただ、誰も私たち子どもに説明してくれなかったので、私は知らぬ間に帰国の機会を逃したのかもしれません。

 すぐに、私はまた学生生活に戻りました。私はひときわ熱心に学んだので、中途入学にもかかわらず、すぐに適応し、そのうえ試験のたびにいい成績を修めました。

 次の年の春、学校は大太鼓と小太鼓とラッパを買い、さらには腰太鼓もたくさん備えました。男子生徒の一部は、大太鼓とラッパの訓練を受け、女子生徒の一部は小太鼓と腰太鼓の訓練を受けました。私は腰太鼓チームに入ることになりました。

 弟の趙全有は、太鼓音楽隊の訓練に参加しました。先生は、彼が聡明で愛らしいと言い、太鼓音楽隊で太鼓を打つように指示しました。学校の活動では、弟は太鼓音楽隊の先頭に立ち、太鼓を叩きながら行進していました。そして、私たちの腰太鼓隊は、太鼓音楽隊の後に着いていきました。

 あの頃は学校でよく弟の姿を見かけました。弟は立派な学生になっており、本当に嬉しく思いました。

 私は学校に通えるようになったものの、家事の大部分はやはり私がしなければなりませんでした。そこで、学校に遅刻しないように、朝は早く起きて朝食を作るようにしていました。放課後には急いで帰宅して家事をしたのはもちろん、昼休みでさえ、家に帰って水汲みや洗濯をしていました。そのため、昼ごはんを食べる間もなく、急いで学校に戻らなければならないこともしばしばでした。

 王智新先生は私の境遇を思いやってくれ、昼からの授業に少し遅れても、私をとがめることもなく、かえって慰めてくれました。

 当時は毎日家事が忙しく、宿題をやる時間が満足になかったのですが、毎晩寝る時間を削ってでもきちんと宿題を終わらせました。養母が学校に行かせてさえくれるなら、どんなに疲れてもどんなに辛くても、苦になりませんでした。

 時間は経つのは早いもので、私はまたたく間に5年生に進級しました。ただ、そのとき王智新先生が転任して行きました。その後、王先生の夫の移動の関係で、家も引っ越して行きました。

 王先生が転任していった後、新卒の劉慶福先生がやってきて、私のクラスの担任を引き継いでくれました。劉先生はそのとき20歳過ぎで、私は気が付かなかったのですが、なんと、彼は私の養母と趙おばさんを王家屯まで連れて来て、私たちと引き合わせたあの「高校生みたいな若い男の子」だったのです。

 劉先生は、私と弟だとわかったようで、流暢な中国語を聞いて、とても日本人の子どもには見えないと言っていました。

 劉先生は全校大隊の指導員もしており、先生の推薦で、私は学生会の副会長をしたこともあります。おかげで私はいろいろな能力を身につけることができ、また多くの人と貴重な縁を結ぶこともできました。

 (続く)
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