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引用サイト:大紀元
https://www.epochtimes.jp/jp/2008/06/html/d57762.html
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(40)
 当然、そのような恐ろしい経験をした後、私は冬の日に井戸に水汲みに行くのが怖くなりました。しかし、水は毎日使うし、そのうえ冬は川で洗濯することができないため、すべてに井戸水を使わなければならず、その水をすべて私が汲みに行かなければなりませんでした。

 私が劉家にいた5年のうち、新富村から引っ越してからというもの、すべての水を私が自分の手で少しずつ運ばなければなりませんでした。初めは、養父が時々家に帰ってきたので、養父が家にいる数日間は、私の替わりに水がめを一杯にしてくれました。出て行くときも、すべての桶と鍋に水を一杯貯めてくれたのです。後に養父が戻ってこなくなり、すべて私が一人で担当しました。

 その当時は、雪が降ると、私は大変に喜びました。私は中庭の内外に積もった雪を中庭の日陰の所に集めて積み上げました。叩いて固めておき、凍りさえしなければ、小さな穴から雪をかき出し、それを鍋で暖めて溶かして、洗濯や洗顔に使いました。その時は私は本当に水を節約して使いました。

 冬の日には、早く夏が来ないかと待ち望みました。夏には、井戸が凍ることもないし、そのうえ毎日川に行って洗濯することもできたからです。

 私が河北の長安村に住んでいたとき、周りの人は、私のような小さな子供が一人で水を汲み、子供を背負って川に洗濯に行ったり、おしめを洗ったりしていたのを見ており、私が養母に虐待されているのを知っていました。ところが、不思議なことに、ここの人たちは一際「無情」で、私が殴られても、誰も助けてくれないし、救ってもくれませんでした。

 ただ、当時の私の幼い心に、いくばくかの変化が生じました。以前は、養母に殴られたとき、怖いし痛いしで泣いていましたが、今はもう泣かなくなりました。

 やってきたばかりのときは、しばしば両親のことを思い出して泣きましたが、今は、養母に殴られても、心中憤りを覚えるだけで、涙は流れませんでした。涙を流しても何のたしにもならないし、自分の境遇を変えることもできないと知ったからかもしれません。

 ただ、夜になって、一人で寝るとき、私はひそかに涙しました。そのときは、なぜか涙が止まりませんでした。

 もちろん、時には、私に同情する人たちもいて、彼らは私に、いっそのこと、「意地悪婆さん」の家から逃げ出したらどうかと勧めてくれました。

 養母の評判は良くなく、人々は彼女のことを「意地悪婆さん」とか「ふしだらな女」とかさげすんでいました。私はそれを聞くと、恥ずかしくて頭を上げられないように感じました。それに、戦敗した日本の後裔という私の特別な身元も加わって、私は小さい頃から心の中に一種の拭い去りがたい重い負担と圧力とがありました。

 この種の精神的な責め苦は、人の魂と志を徹底的に挫くもので、私自身が正に、このような時代にこのような養母に出くわしてしまったのでした。

 私は当然、よその人たちが私を可愛そうに思い、私によくしてくれているのを知っていました。しかし、本当に行くところがあれば、とっくに逃げています。誰が私を引き取ってくれるでしょうか。誰が、ここから逃げ出すのを手伝ってくれるでしょうか。

 その当時、私は既に凍て付くような寒い日に外で働くことも、養母が私を殴ったり罵ったりするのも恐ろしくはありませんでした。数多くの苦難を経て、私は本当に強くなっていたのです。

 しかし、私の心中にある唯一の望みは変わりませんでした。それは、いつの日か、弟と一緒に日本に帰ることです。それ以外には、何の望みもありませんでした。私の生命の中で、両親が植えつけてくれた故国へ帰るという「願い」だけは、決して途切れることはありませんでした。私が中国でさまざまな苦しみや心の負担に耐えることができたのは、すべてこの「願い」があったからなのです。

(つづく)
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