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引用サイト:大紀元
https://www.epochtimes.jp/jp/2008/09/html/d91630.html
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(47)「物乞いの辛い日々」
 養母は後についてくると、私の手からトウモロコシパンを二つとも取り上げました。一つは手提げバッグに入れ、一つは半分を背中に背負っている煥国にあげ、残りの半分は自分の口にくわえ、私には少しもくれませんでした。そして食べながらこう言いました。「あんたに食べさせたら、今以上に行きたがらなくなるからあげない。また行ってもらっておいで。たくさんもらったら、あんたにも食べさせてあげるから。」

 先ほどの温かく感激していた心は、突如として冷え切ってしまい、私は内心のやりきれない気持ちをどう紛らわせばいいのか分かりませんでした。私はこっそりと脇に行って泣きました。しかし、私は養母に自分も食べたいとお願いすることはせず、何も言わず、引き返しました。私は一人で沙蘭に帰ることになっても、二度と人に物乞いをする気にはなれませんでした。

 私は例のおばさんに本当に申し訳なく思いました。トウモロコシパンをただでもらい、その上私を気遣ってくれる気持ちを踏みにじったのです。私は歩くにつれて、人に物乞いをしたことが本当に恥ずかしくなってきました。それがこんなにも辛いことだというのは、自分で経験して初めて分かりました。

 先刻、あの条件反射にも似て突然やってきた恐れが、また私から離れて行きました。私は突如として気持ちがしっかりしてきて、養母が私の足をたたき折ろうが、殴り殺そうが、全く怖くなくなりました。なぜだか分かりませんが、その瞬間、死が私の頭をよぎりました。死んだほうがましだ、あの世に行けば、お母さんに会えると思ったのです。

 養母のその時の反応は意外なものでした。彼女は私に追いついてくると、私をぎゅっと掴んだので、私は殴られるものと気構えました。逃げることも恐れることもなく、好きなようにしたらいいという気持ちになりました。しかし、養母は私を殴ることもなく、物分りのいい口調で、「このお馬鹿さん、何も言えないんなら、私が言うから、あんたは私のそばにいればいい。あんたはしゃべる必要はないけど、逃げると許さないからね!」と言いました。

 養母は本当に自らすすんで物乞いに行きました。よその家に行くと、養母はよそ行きの声を出して、「おかみさん、すみませんが、この二人の子に少しでいいから食べ物をくれないでしょうか」とせがみました。相手が「何もない」と答えると、養母は「何でもいいんです」としつこく言うのでした。すると、大方の家は仕方なく、米などの穀物を少し与えてくれました。このようにして、一日が暮れていきました。

 養母はその後もよく私と弟の煥国を連れて「物乞い」に出ましたが、このように養母に着いて行って物乞いをする日々は、本当に辛いものでした。しかし、あの心温かいおばさんが私にトウモロコシパンをくれたこと、そして私を屋内に招き入れようとしてくれた善の心が、私の心の痛みを癒してくれました。この世にはまだ人情と善の心があるのだ、まだ世の中から完全になくなってはいないのだと感じることができました。と同時に、これから生きていくうえでの「希望」を感じ、支えとなる信念と勇気をもらったような気がしました。


半世紀近く過ぎてから
 半世紀近く過ぎてから、私は1996年の夏に日本人数人を同伴して、蘭家村に行きました。それは、終生忘れることのできないあの優しいおばさんを探し出し、当時彼女が私に、日本人の子か、朝鮮人の子かと尋ねた謎を明らかにしたかったのです。私は、心からずっと彼女に感謝していました。

 私たちの乗ったジープがまだ村に入らないうちに、はるか遠くから道の近くに一軒の家を見つけました。私は車を降りると、真っ直ぐにその家に歩いて行きました。家の主人は替わっており、あるお爺さんが私に教えてくれました。「あのおばさんは数年前に亡くなったよ。彼ら夫婦には子供がいなかったので、日本人の子供を養子にでもと考えてはいたんだが、結局何も縁がなかった。だから後を見る人はいない」のだと。

 私はこれを聞いて、辛くなりました。もし、私があの時急に逃げ出さなかったら、この事をもっと早く分かっていただろう。そうすれば、彼女の養女になれなかったにしても、少なくとも身内のようにして、あの温情に応えることができたのに。私はとても後悔しました。

 しかしあの時は、こうなる運命だったのかもしれません。私はかつてこう思いました。もし私が養母と縁がなかったら、もしあのおばさんのところに引き取られていたら、全く別の人生を送っていただろうと。私とあのおばさんとは、わずか一面識の縁でしたが、私の魂を支えてくれる希望の明かりでした。

 土地改革後の春、私と養母は各地を回って「物乞い」をしたので、私の魂は屈折してしまい、ある意味麻痺して屈強になっていきました。以前のように戦々恐々としてただ命令に従うというものではなくなったものの、また別の極端に走りだしました。養母が折檻しても、逃げないし泣かないのですが、不平不満や怒りが充満しました。そしてついには、養母に殴り殺されてもいい、死んでしまえば、毎日のように折檻されなくて済むのだからと思うようになりました。

 長期の苦難の中で関門を抜けるうち、善の心を保ちありのままでいたいのに、一方では卑屈になったり、不平、憤りがあったりして、非常に矛盾し、とても辛い思いをしました。

 しかし、もっと大きな災難が次から次へと降りかかってきました。私が学校に上がろうとすることによって、養母はまた恐るべきひどい仕打ちをしたのです。

(つづく)
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