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引用サイト:大紀元
https://www.epochtimes.jp/jp/2008/03/html/d60178.html
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(19)「終戦」
 私たちがここに到着した次の日、雨が降り始めました。雨は激しく強風混じりで、少し肌寒く感じました。幸い、今は家があり、家の中にいれば、どうにか暖かく感じました。

 家の東側に牛や馬、そのほか豚と鶏がたくさんおり、そのことを母に話すと、それは避難時に皆の食糧になるということでした。そこで、私たちはずっとここにいるのかと尋ねると、母は、ずっとここにいることができれば、あちこち逃げ回るよりもちろんいいけれど、これからどうなるか今はわからないと言いました。噂によると、団長は、今後どうしたらいいか指示を仰ぐため、牡丹江の「上司」のところへ行ったそうです。

 ある晴れた日、石原おばさんは裏山へ木耳(きくらげ)を採りに行くのに、私と弟を連れて行ってくれると言い、母は「それではよろしくお願いします」と言いました。私たちはとてもうれしくて、すぐおばさんの後について行きました。

 山道はとても狭く、でこぼこしており、私は弟の手を引いて登って行きました。裏山の頂上に着いて、私たちが泊まっている家のほうを見てみると、林に遮られていて、ほとんど見えませんでした。さらに前方を眺めると、別の山のすそのにいくつか家が並んでいるのがかすかに見えました。「あそこはどこ?」と石原おばさんに尋ねたら、「この近くに野戦病院があると聞いたことがあるので、ひょっとしたらそこかもしれない」と教えてくれました。そして、どうして野戦病院と言うのかといった、戦争に関する話をいろいろとしてくれました。石原おばさんは、日本にいるときは看護婦さんだったそうです。

 当時私たちはまだ幼なかったのですが、戦乱の時代にあったので、「徴兵」とか「戦争」といったこともなんとなく分かっていました。

 何日かして、団長たちがやっと帰って来て、全員を兵舎の中に集めました。大人の人たちは団長たちが外部の情報と上司の指示を持って帰るのを待ちわびていました。そのときはもう8月下旬になっていました。

 団長が具体的に何を話したのか、よく覚えていませんが、その時の団長の厳かな表情はそれまで見たことがないもので、私たちも自ずと緊張してきました。

 団長の話が終わったとたん、人々は騒ぎ出しました。ある家のお母さんが突然大声で泣き出し、その家の子供もつられて泣き出しました。すると、周りの大人も子供も次々と泣き始めました。私は少し怖くなりました、私の母は泣かず、大声もあげませんでしたが、ただただぼんやりして、どうしていいかわからない様子でした。私がそっと「お母さん」と呼んではじめて、母はやっと我に返ったかのように、泣いている弟を抱き上げてあやしました。

 「何があったの?」と母に聞くと、小さな声で、「日本は戦争に負けたの。数日前に天皇陛下がラジオで無条件降伏を宣言したの」と教えてくれました。私は父のことが心配になり、母に「お父さんたち、どうするの?どこへ行ったの?無事に戻ってこられるの?戻って来ても、私たちが山の中で避難しているなんて分からないんじゃない?」と尋ねました。しかし、母は私の話を聞いて、かえって父のことよりも私たち子供が生きて日本に帰れるかどうかを心配しているようで、顔を上げて落ち着いた表情で団長を見ていました。その様子から、母がまた、困難に直面した今、どうすれば生き延びることができるかを考えているのが分かりました。

 団長はみんなの前で話を続けましたが、騒がしくて何も聞こえませんでした。しばらくして誰かが、「皆さん、落ち着いてください。団長の考えを聞きましょう…」と言いました。

人々は静かになりました

 人々は静かになりました。団長は沈んだ口調で、「数日前、裕仁天皇陛下が無条件降伏を宣言した後、北満州の関東軍も武装解除を宣言した。今は連絡できる上司はいない。今後の行動は何とも言えないが、ここには長くはいられない。皆、出発の準備をしておくように」と言いました。

 私は、また出発と聞いて、よく理解できませんでした。ここにいれば、飛行機も飛んでこないし、辺鄙な森の中なので見つかりにくい。それなのに、どうしてまたここを離れなくてはいけないのか、よくわかりませんでした。しかし、結局は、出発することになりました。

 後で大人の人たちから聞いたのですが、そこにいた80頭あまりの牛や馬、40台あまりの車、そして、豚や鶏などの家畜と生活用品は全て、その時点からソ連軍のものになり、私たちはすぐにそこを離れなければならなかったのです。

 お昼にそこでの最後の食事をしました。牛肉、豚肉、卵、白ご飯などのご馳走があり、まるで宴会のようでした。食事を終えると、出発の準備をしました。でも、どこへ行くのか、母も知らず、運を天に任せるしかありませんでした。

(つづく)
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