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引用サイト:大紀元
https://www.epochtimes.jp/jp/2008/08/html/d15130.html
≪縁≫-ある日本人残留孤児の運命-(46)「パンを恵まれて」
 私たちは北卡子門を出て、一路北に向かい、閻家村に着きました。空はいくらか明けていました。養母は私の手を引いて村の中に入って行きました。大きな門構えの住宅の前に着くと、立ち止まって、「中に入ったら、おばさん、お願いですから何か食べ物を恵んでください、と言うんだよ」と言いました。そして、私の背中を押して、早く行くように催促しました。

 私は本当に物乞いなどしたくありませんでした。ましてや知らない人です。それで、全く動かないでいると、養母は私を力いっぱい門の中に押し入れ、自分はさっと出て行きました。私は恐る恐る歩を進めましたが、一歩一歩が千斤のように重く感じられました。心の中は恐ろしさと恥ずかしさで一杯でした。行かないと養母に殴られるし、行ったとしても何も言えないだろうと思いました。私はとても先へ進んでいく自信がなく、立ち止まりました。

 突然、どこからともなく勇気が湧いてきました。脳裏に思いもかけない考えが浮かんできたのでした。「養母に殴られてもいい。私は行かない。」

 私は、養母がこっちを見ていないか、後ろを振り返りました。すると、養母は門のところにはいなかったので、私は身を翻して門の外に駆け出しました。幸いにも、その家の人は誰も出て来ず、私の存在に気づいた人はいませんでした。

 私は一気に村の外の大通りまで走っていきました。胸がどきどきしていました。私の物乞いという恥ずべき行為を見て、その家の人が笑っているんじゃないかと心配したからか、それとも私が結局行かなかったのを養母に知られたらまた殴られると恐れたからか、いずれにしても、私は怖くて胸がどきどきし、足が萎え、地べたにへたり込みました。

 養母は、いつの間に来たのか、手に棍棒を持って背後に立ち、私の背中に一撃を見舞いました。この突然の一撃はとても痛かったのですが、私はもう物乞いに行きたくなかったので、跪いて養母に哀願しました。

 ところが、養母はそんなことは許さず、さらにひどく私を折檻しました。養母という人は、叩けば叩くほど怒りが激しくなり、そうなるとますます酷く叩いてきます。そこで私は、あまり叩かれないように、急いで逃げるのでした。

 しかし、その日は不思議なことに、養母に殴られても、痛みを覚えず、涙さえ出ませんでした。私は急に勇気が出てきて、端然として肝が据わり、立ち上がると、養母のそばに寄って、冷静に言いました。「殴りたいだけ殴ればいい!たとえ殴り殺されても、私は行かないから!」これは、私が初めて養母を恐れず冷静に口答えした一言でした。

 私の口答えに、養母は殴る手を止めました。そして、何も言わず、私を無理やり大通りからそれほど離れていない一軒の家に引っ張って行きました。そこは垣根に囲まれた中庭がありました。養母が再度私に警告しました。「もし、どうしても行かないのなら、あんたの足を押しつぶしてしまうからね。そうなったら、もう永久に歩けなくなるよ」。そう言うと、門の中に私を引っ張りこもうとするのでした。

 私は尻込みをしましたが、養母の力は強いものでした。私は養母にはかなわず、見る見るうちに門の所まで引っ張っていかれました。養母はそこで立ち止まると、力いっぱい私の腕をつねって中へ入るよう合図し、自分は身を隠しました。私は、その場に立ったまま動かず、逃げようかどうしようかと躊躇していました。

ちょうどその時、家のドアが開いて

 ちょうどその時、家のドアが開いて、中年の女性が出てきました。私がどうしていいか分からずにいると、そのおばさんは私に気がついて、やさしそうに「あなた、どこの家の子?見たことないわね。この村の人ではないでしょう。何か用?」と尋ねてきました。

 彼女に問いかけられ、私は久しく聞いたことのないやさしい口調に感動したのか、養母に叩かれて悲しかったのか、突然涙が溢れ出し、何も言うことができませんでした。まるで久しく別れていた身内に会ったかのように、悲しくなって泣きました。

 私の悲しそうな表情を見て、私の難儀をくみとったのか、おばさんは家の中に引き返すと、ほかほかのトウモロコシパンを持ってきて、何も言わず私の手に載せてくれました。私はこの突然の恩恵に、何と言っていいか分かりませんでした。ただ、何度もお辞儀をしてお礼を言いました。おばさんは、私のこの動作を見て、急に私に「あなたは日本人の子なの?それとも朝鮮の子なの?」と尋ねました。

 この問いかけに私は困りました。養母が以前私に警告した言葉が、条件反射のように私の心をぎゅっとつかみました。養母は、私が日本の子だとは外で言うな、養子だとも言ってはだめで、養母の子だと言えと言っていたのです。私はなぜだか分かりませんが、何かが私を抑制しているようで恐ろしく、声を出すことができず、ただただ頷くだけでした。

 おばさんは、私に部屋に入るよう合図しましたが、私は急いで「おばさん、ありがとうございます」と言うと、門から走り出て、大通りのほうへ駆け出しました。この時は別に、驚き慌てて駆け出したわけではなく、おばさんに対する感激と恥ずかしさの感情で、一気に村の外へと走り出たのでした。

(つづく)

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