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引用サイト:明慧ネット
http://jp.minghui.org/2017/04/01/52105.html
古今の天象から正法修煉の延長について考える(7)1999年:火星が氐宿の門に、中南海に陳情し盛世前の天劫
文/聖縁

 【明慧日本2017年4月1日】大法弟子全体の修煉の時間は師父に何度も延長して頂きました。多くの弟子はそれを大切にし、絶えず精進していますが、一部の人は時間が経つにつれて緩み、正法修煉の時間が延長されることに半信半疑になり、怠惰するうちに中士まで落ち、甚だしきに至っては圓満成就に対しても動揺し、正法修煉を放棄または大法に反対する側に走りました。————これらはすべて師父や法を完全に信じていないことによる結果です。遡れば、その根源は旧勢力が中華神伝文化を破壊し、現代人の大法を認識することに妨げをもたらしたからです。

 当文章は大法修煉の中での個人的な悟りなので、一つの交流として提供いたします。次元の限りがありますので、適切でない部分があれば皆さんから指摘して頂き、皆さんが法を師とし、心を修めることを根本として頂きますようお願いします。

 (前文に続く)

 光陰矢の如し、瞬く間に1千年が経ち、時間の座標は1999年を指すようになりました。この年に、熒惑(けいこく:火星の異称)が順行して氐宿に留まり、逆行して角宿に留まるという天象が現れ、唐の武徳9年(626年)の天象と非常に似ています。


図:1999年、火星の動く軌道の天象図。熒惑(火星)が順行して氐宿に留まり、逆行して角宿に留まる天象




図:唐の武德9年(626年) 熒惑(火星)が順行して氐宿に留まる天象

 玄武門の政変は表面上、兄弟が帝位を争っていたように見えましたが、実際は佛法、道法を保護することを巡って展開されていました。李淵は武徳9年に「佛道を全滅する」という聖旨を下し、すぐさま「金星が昼間に中天子午線を渡る」という天象を3回も誘発しました。李世民は仕方なく自衛し、最後には辛うじて勝利を勝ち取り、あの罪業の非常に大きな聖旨を廃棄し、佛法と道法を大きな劫難から救いました。その後、彼は正法を盛んに起こすことにより大きな功徳を立てて、後続する6つの凶悪な天象を変えて、9年も先に帝位につき、寿命が6年間延び、古今のもっとも大きな功徳と称されました。この天象下の輝かしさは実際、1999年の天象のために基礎を築き上げました。

 限られる次元で観察できた1999年の天象の天機を展開する前に、まずそれと関連する背景について簡単に述べてみたいと思います。

 1. 法輪功——佛家大法が広く伝えられる初期

 法輪功は高いレベルの佛家修煉大法であり、「真・善・忍」という宇宙の最高特性を指針とし、簡単かつ優美な5式の功法の動作があります。法輪功はただ、当時の気功情勢の下で、人々に理解されやすくするために名付けられたもので、正式な名称は「法輪大法」または「法輪佛法」です。

 1992年に伝え出されてから、短い7年のうちに中国の大地にあまねく伝わり、「真・善・忍」の法理は1億人の修煉者に心身の浄化と道徳の昇華をもたらしました。1995年3月から法輪功は初めて海外に伝えられ、現在まですでに全世界の100余りの国と地区に広く伝わり、法輪大法の主要な書籍も30数カ国の言語に翻訳され、各国各地の政府から表彰や支持議案をいただいており、「法輪大法の月」、「法輪大法の週」、「法輪大法デー」などと公表される形で支持されてきました。中国共産党による法輪功への迫害がすでに17年間も続いているにも関わらず、新年や世界法輪大法デーになるたびに、数万人の中国人がネットワークの封鎖を突破して、明慧ネットを通じて、法輪功創始者の李洪志先生に挨拶などを送ってきます。明慧ネットの2017年1月の統計によると、今日に至って、法輪功はすでに全世界の各業界から1900を超える表彰を獲得し、支持する書簡は1200通余り、支持議案も390件余りをいただいており、法輪大法が民族と時空を超える巨大な威徳と影響力を現しました。

 2. 「通常」の弾圧から、綿密な罠かけまで

 1992年5月に法輪功が社会に伝えられた後、短い7年の間に1億人が学び、心身ともに健康で人心が善に向かい、道徳水準も向上される社会風土が形成されました。しかし、法輪功の「真・善・忍」への堅持と実践、そして民衆に歓迎される雰囲気が、中国共産党の生れ持った恐怖感と危機感に許されませんでした。

 中国共産党は生来、人間と対抗し、天地と対抗しています。中国共産党はいかなる組織と個人を隠れた敵と見なし、誰かが大きく、強くなれば自分の生存に危害を及ぼすことを恐れており、実質、それ自身の天地に反し、自然に反し、人文の思想と行為に反すること自体が自身の最大の脅威と敵であることを認めません。

 法輪功は純粋な佛法修煉で、大法弟子に政治に参与しないことを要求し、政治的訴えや権力を求めず、誰が政権を握っても、正常な修煉環境があればよいと考える姿勢です。中国共産党に迫害され続けてきた今日に至って、何の政治の綱領や政治的な理想もなく、政権に参与する考えもなかったのです。なぜなら、修煉者は世間の名、利、情を求めず、却って取り除くべきです。常人の執着や欲望を取り除いて初めてさらなる高次元に入ることができるという原則を、真に修める大法弟子なら皆が分かっています。

 しかし、中国共産党はこれらのことが分かりません。その偽り、邪悪さ、暴力的な本性がどうしても法輪功の純粋さと人気を受け入れることができません。ゆえに、1996年から、中国共産党は陰で法輪功への弾圧を始めました。

 明慧ネットの記録資料によると、1996年6月17日、『光明日報』という政府メディアが社説で公然と法輪功を攻撃しました。7月24日、中央宣伝部は法輪功書籍の出版禁止令の通達を出しました。

 しかし、中国共産党は予想もしなかったのですが、その通常の弾圧が法輪功に対して何の効果もなく、法輪功の発展はさらに加速しました。当時、政治法律委員会の副書記を務める羅幹はこれを最高権力の中枢によじ登るチャンスとして狙いました。羅幹は当時の通常の栄転ルートを辿っていけば、せいぜい副書記から正書記に昇進し、退職して権力を失います。中国共産党の最高権力の中枢――政治局常務委員会に入ろうとすれば、必ず驚天動地の大事を行なわなければならず、中国共産党にとってなくてはならない人物にならなければなりません。唯一の方法は、今まで通り人民を迫害する政治運動を巻き起こすしかありません。――1989年「六四天安門事件」(北京で民主化運動を行う学生らが殺戮された事件)により、江沢民は破格の抜擢をされました――羅幹は切実に栄転したくて、その最後の望みを善良な法輪功修煉者を弾圧の対象に仕掛けて、個人の出世を図りました。

 1997年初め、中央政治法律委員会の副書記の羅幹は彼の管轄下の公安部に、全国において法輪功に対して秘密裏に調査を行うように指示し、犯罪の証拠を探し、迫害のための準備を始めました。これらの秘密調査では法輪功の犯罪の証拠を一件も見つけることができませんでしたが、各地へ「通達」が送られる際の意思伝達により、公安は強行して煉功の群衆を追い払ったり、不法に煉功者の家財を差し押さえたり、拘禁したり、罰金を下すなど、法輪功学習者の正常な修煉をひどく妨害することを誘発しました。3年間、公安による嫌がらせが絶えませんでした。

 1998年5月、北京テレビ局は『北京特急』という番組で、何の学術成果も成し遂げていない中国科学院の研究者・何祚庥[1]による法輪功への攻撃を放送しました。事後、数百人の法輪功学習者は自発的に北京テレビ局を訪れ、それぞれ自身の法輪功を修煉してから心身ともに大きく受益した実情を述べました。テレビ局は真相を把握した後、その番組がテレビ局の設立以来もっとも大きなミスだと認め、関連責任者を解任し、改めて法輪功に対する正しい報道をしました。

 1998年7月21日、公安部一局は公の通達[1998]の第555号『法輪功に対する調査の展開に関して』を発表し、法輪功を誣告(ぶこく・わざと事実を偽って告げること)の罪に陥れました。公安系統はそれを根拠として、法輪功に対して一連の「先に罪を言い渡して、後に調査する」という行動に出て、法輪功学習者に対して電話の盗聴、行方の監視、法輪功の煉功点への取り締まり、煉功者を強行的に追い払い、家財を差し押さえ、学習者の民家に無断で侵入し、財産の押収を行いました。

 1999年4月11日、羅幹と相婿(あいむこ)の科学界のごろつき何祚庥は共謀し、中国天津教育学院『青少年科学技術博覧』という雑誌で悪辣に法輪功を中傷する文章を発表し、意図的に事件を引き起こして、自分の栄転のための下地を作りました。4月18日から、天津の一部の法輪功学習者は雑誌社に真相を伝えに行き、法輪功の名誉回復を求めました。4月23日と24日、天津市公安局は初めて特殊警察官を動員して法輪功学習者に当たらせ、300人余りの特殊警察官は暴力で雑誌社の外にいる法輪功学習者を追い払い、40人余りを逮捕しました。法輪功学習者たちは天津市政府から、「公安部がこの件に介入したので、問題を解決したければ北京に行きなさい」という告知を受けました。彼らは法輪功学習者を北京に急がせ、法輪功による中央政府の包囲攻撃という重大案件を作ろうとしました。

 3. 政府に従い、罠に嵌り、法を保護する使命を皆で担う

 善良な法輪功学習者たちは少しもそれが陰謀だと思わず、天津市政府が国家公安部の介入による結果だと言い、北京で問題の解決を図りなさいと言うなら、他に方法があるでしょうか? 学習者たちは少し相談してから、4月24日(金曜日)の仕事が終わった後に夜を徹して北京に行き、翌日の土曜日の休み時間を利用して陳情しようと考えました。

天津と北京は非常に近く、両地の法輪功学習者もお互いを知っている人が多く、情報は瞬く間に広まり、皆が揃って一緒に中央政府に向かうことにしました。

 そこで4月25日(土曜日)の明け方、法輪功学習者たちは北京中央政府の所在地・中南海に現れ始めました。ここが天津市政府の言った場所です。正門からは間違いなく入れないため、中央政府の投書・陳情オフィスは中南海にあるとは聞いたものの、具体的にどこにあって、誰が担当なのか、知る人は誰もいませんでした。あちこち回っているうちに、多くの警察官が出てきました。彼らは誰かも聞かず、大声で「法輪功学習者は、私に付いてきなさい!」と言いました。明らかに彼らは事情を良く知っています。彼らは法輪功学習者を中南海の西側の府右街と、北側の文津街に並べさせて、中南海と街を隔てて向かい合う状態を作りました。――これがのちに中国共産党メディアが唱える「中南海への包囲攻撃」という誣告の罪の由来です。

 10時前後、中南海の西門から拍手が聞こえました。朱鎔基首相は中南海の西門から出てきて、法輪功学習者と簡略で親切に談話を交わした後、数人の学習者を事情説明の代表として指名し、中南海の中に連れて行きました。――法輪功を支持する中央指導者がいることを覆い隠すため、当局はこのことをきっぱりと否定しました。臨時に選ばれた数人の法輪功代表者は自分自身の経験を持って感銘を述べ、公安局による法輪功への抑圧が不当であると言いました。彼らが皆を代表することはできないため、そこで政府は代表を変えることを言い出しました。――臨時に選ばれた第2班の代表たちにも同じことを言いました。次に政府は、皆を代表できる「法輪功研究会」のメンバーが来るように言いました。

 万人を超える法輪功学習者たちは中南海の西と北側で街を隔てて静かに待っており、騒ぎ立てず、憤激もせず、さらに以前の他の陳情者のように入口を塞いだり、無理矢理入ろうとしたりせず、多くは静かに『轉法輪』を読んでいて、昼食と夕食を待つ場所で簡単に済ませ、ごみを散らかすどころか、警官の捨てたタバコの吸い殻もきれいに片付けました。——これは皆が法輪功を修煉してから道徳水準が向上し、自発的に行った行為でした。

 夜、法輪功研究会のメンバーたちが出てきて、「天津事件が平和的に解決されました。天津市政府は逮捕した法輪功学習者を無条件で釈放します。中央政府は一度も群衆の煉功活動を干渉したことがありません」と皆さんに伝え、帰宅するように言いました。皆が離れた後、現場は清掃員が清掃したよりきれいでした。――これは真・善・忍に従って良い人になるように努めた結果なのに、当局は「これは厳密な組織です。紙切れ一枚さえ残っていません!」とマイナスに解釈しました。

 事実上、当時、中国人の10人に1人が法輪功学習者で、もし厳密な組織であれば、中南海に陳情しに行くのは1万人ではなく、少なくとも数十万人かもっと多いかもしれません。――当時、1億余りの人が『轉法輪』を学んでいて、北京と天津だけでも数十万人の大法弟子がいました。中南海に陳情しに行けば、学業や仕事を失う危険性を知りつつも、皆は真実を伝え、真・善・忍を保護するために個人の損得を惜しみませんでした。

 4.25の陳情は、天津市政府が助言、推進した結果であり、羅幹が仕掛けた法輪功学習者による中南海への包囲攻撃をしたという印象を与えるための罠です。大法弟子はリスクを恐れず、政府に真・善・忍の風格を見せ、無実に逮捕された天津の学習者の事件を円満に解決しました。ある意味では、これが円満に終えた陳情でしたが、佛法を滅しようとする天からの劫難を阻止することができませんでした。つまり法輪功への弾圧です。

 4. 江沢民が発狂し、迫害を急ぐ

 羅幹が設計した罠であり、作り出した「中南海を包囲攻撃し、党中央に迫る」という大きな事件は江沢民を引き込みました。これが彼の大きな災難の始まりでもあります。民間では良く知られていますが、江沢民はヒキガエルの生まれ変わり(江の民)です。江沢民が国家主席になってから中国で頻繁に洪水が発生しました。特に1997年に鄧小平が死亡した後、江沢民は実権を握り、乱れた指揮によって1998年の「世紀洪水」を引き起こしました。長江が決壊し、3000億元の損失を被り、長江の下流の民衆を「江の民」にさせました。旧勢力がこの嫉妬心が強く、偏屈で、出しゃばりを好み、欲求もきわめて強いものを権力者の座に置いたは、人間に反面の手本をさせるためです。

 4.25の夜、権力を握っている道化者の江沢民は緊急会議を開き、法輪功に善意の姿勢で対応した当時の首相・朱鎔基らに激怒しただけではなく、法輪功学習者たちの平和的な陳情を党を滅ぼし、国を滅ぼす脅しと決めつけ、厳しく打撃する命令を下すと言いふらしました。当時、多くの高官と家族がすでに『轉法輪』を読み、修煉を始めている人もいる状況の中で、法輪功の健康や社会に有益であることは普遍的な常識になっていました。そのため、江沢民がいくら叫んで無茶な理論を唱えても、支持を得るどころか、むしろ面目を失いました。

 すぐさま、道化者の江沢民は法輪功を消滅させる核心的意図を伝える『政治局宛ての手紙』を書き、全国の各党組織まで公に発行し、彼個人の意志を強制的に学習し、貫徹する命令を出しました。一方で、彼は羅幹と画策し、強い勢いで世論を煽動し、再度佛法を消滅させる運動を推進しました。法輪功の犯罪証拠が何一つ見つからない状況の中で、中国共産党は他の気功団体、民間の信仰組織、およびその他のまったく関係のない悪質な実例を持ってきて、すべてを法輪功になすりつけ、いわゆる1400例の法輪功の案例を作り出しました。

 1999年7月19日、道化者・江沢民は全国の警察署・検察庁・裁判所、軍隊の武装警察に1級の軍備状態に入るように命令しました。7月20日、天地を覆い隠すほどの鎮圧が始まり、佛法を消滅させる空前絶後の罪悪が中国で上演されました。

 羅幹もこれを機に前例のない注目を受け、のちに道化者・江沢民の支持を得て、増員の名目で第9の序列で政治局常務委員に入り、最高権力を握る陰謀を実現させました。

 5. 「4.25」の大法を保護する活動がなくても、「7.20」の法難が必ずやってくる

 多くの人、大法を学んだことのある一部の学習者でさえ、中国共産党による「7.20」の迫害が「4.25」の中南海への陳情によって招かれたことだと考えています。実際はそうではありません。

 【中国共産党の特徴 人間の必然】

 前述したように、常人の面から考えると、一党独裁の中国共産党はいかなる民間勢力の増大も許しません。たとえ何の政治的綱領もなく、何の執政の考えも持たない法輪功のような純粋な修煉団体でも、芽生える前に消滅されてしまいます。

 法輪功は真・善・忍を重んじ、人々に忍耐と譲り合うことを教え、どこにいても良い人として努め、国にも人民にも有益です。しかし、あなたが良ければよいほど、中国共産党は怖くてなりません。なぜなら、そもそも中国共産党自身の出所がまともではなく、パリ・コミューンのごろつきからスタートしてロシアに伝わり、中国に転売されたようなものです。中国で誕生して以来、中国共産党は自分が消滅され、亡くなることを絶えず恐れていて、それに加え、無数の陰謀や詐欺、暴力を振るい、殺人などが無数に引き起こされ、罪悪が連なり、それ自身が感じる恐怖と危機感は誰もが取り払うことはできません。

 【天象の現われ 正確な節目】

 人間を超越する高次元から、626年と1999年の天象図を対比してみると一目瞭然となります。

 前にて分析しましたが、626年と1999年の両方ともに「熒惑(火星)が順行して氐宿に留まり、逆行して角宿に留まる」という天象です。『史記・天官書』によると、「火が角を攻めれば、戦いがある」とされています。626年は玄武門の戦いと対応しました――その背後には、幾重にも重なる神と悪魔の正邪の大戦がありました。1999年は「佛法を滅する、佛法を守る」という宇宙大戦と対応し、世間での表れとしては大法弟子が肉体を持って、非暴力的かつ純粋な善と純粋な忍で佛法を滅する法難に抵抗していました。

 天象図と照らし合わせると、玄武門の大規模の戦いの際の火星の位置は626年7月2日で、1999年7月20日の中国共産党による法輪功への迫害の際の火星の位置と一致しました。両方とも、角宿で留まった後に再び亢宿の中に入りました。これはまさに神と悪魔の大規模な戦いの時刻です。1日もずれていません!

 【予言の警告 天が定める日時】

 1999年7月20日、この全宇宙が見つめる神と悪魔の大戦、世における法難の日は、古今東西の異なる予言書の中に記されました。



 『諸世紀』の中での最も有名な予言詩にこう書かれています。
 一九九九年七月
 アンゴルモワの大王をよみがえらせるために
 恐怖の大王が天から降りてくるであろう
 その前後の期間、マルスは天下を統治する
 人々に幸せな生活をもたらすという名の下に



 李洪志先生の『参考としての予言』によると、マルスは「マルクス」の異なる音訳で、「人々に幸せな生活をもたらす」のもマルクス社会主義の唱えで、1999年7月に中国共産党の江沢民が率いる一族が起こす法輪功を弾圧する政治運動により、全国が一面に赤色の恐怖に染まり、まるで恐怖の大王が訪れたようでした。

 『推背図』のもっとも核心的な象では、この法難を「九九大間違い——長い長い大間違い」と称しています。


『推背図』の予言 1999年の法輪功への弾圧は大間違い

 6. 「4.25」の真実な意図は、佛法を保護し、全世界を救い、盛世を開く

 626年の玄武門の政変と1999年の法難における天象がほとんど同じであることは良く知られていますが、他にも似ている点が多くありました。

 626年、熒惑が氐宿に留まる際、火星の留まる位置は氐宿の中心の西北で、世間での対応は皇居の西北の玄武門になり、まさに天が定めた戦いの場所でした。1999年、熒惑が氐宿に留まり、火星の留まる位置は同じく氐宿の中心の西北で、世間における皇居——中南海の西北で、まさに法輪功学習者たちが静かに待っていた場所でした。それは府右街、文津街、西安門の内大通りでした。

 偽りの歴史の現れを暴露し、真実の歴史を披露しましょう。玄武門の政変は強いられた自衛であり、想像のつかない程慌ただしく準備されたもので、第2回目の「金星が昼間に中天子午線を渡る」という天象の下で、その夜に急いで決定され、やっと翌日の天に恵まれた唯一の時機を捉えました。4.25の陳情もまったく同じでした。4月23日に天津で抑圧が発生し、4月24日、天津の学習者たちは釈放を求めに行って、政府から「北京に行って問題解決を図りなさい」との知らせを受けました。皆は強いられる状況の中で慌ただしく知人を探し、翌日の「陳情して、佛法が滅される荒波を挽回する」という唯一の機会を掴もうとしました。

 4月25日の陳情において、もし当局は法輪功学習者の正義の訴えを正視し、佛法を滅する決定を挽回できれば、それが偉大な功徳になり、歴史を書き直し、その後のすべての天象を変えることができます……執政者も良い歴史人物として天象に刻まれます――そうなれば、古い天の定めや旧勢力の按排が破られ、全宇宙の生命が救われ、正法が世に盛り、中華の盛世も早めに開かれます――『推背図』の最後の予言である平等で自由な理想社会の盛世です。

 高次元からみれば、4.25は徹底的に旧勢力による古い按排を変えようとする試みでした。天象図をみると、4.25の位置は7.20の上方で、7.20を変える切り口でした。しかし、佛法を滅する天の劫難になるのか、それとも盛世の扉が早めに開かれることになるのか、この2つの選択肢は最終的に世の権力者に委ねられました。当時の権力を握る道化者・江沢民は、邪悪な羅幹に煽り立てられて、たちまち同調し、天の恵み、ごく近くで得られる功徳を投げ捨て、古今のもっとも大きな罪を作ってしまいました。もちろんこれは江沢民の邪悪な本性によって決められたことでした。旧勢力はこの邪悪な生命が善良な選択をするはずがないことを見て、按排しました。

 唐の玄武門の政変の背景を見て見ると、626年、齊王・李元吉(訳注:三男)は最高権力である帝位を奪うため、太子・李建成(訳注:長男)に秦王・李世民(訳注:次男)を殺すよう唆し、太子が秦王を殺した後に太子も殺して、自ら君位を奪い取ろうとしました。陰謀の結果、李元吉は太子と共に帰らぬ身となりました。1300年余り後、時局は逆になりました。李建成の生まれ変わりである羅幹は政治局常務委員の高位を図るために大いに陰謀を立てて、李元吉の腐った死体に取りつく憑き物、ヒキガエル(江の民)の生まれ変わりである江沢民を佛法を滅する天に逆らう道に引きずり込もうとしました。

 熒惑が氐宿に留まる時、賊臣は反逆を図る。今回、元凶の江沢民は自身の邪悪な本性によって選択を決めましたが、奸臣羅幹に害されて、佛法を滅するという天を覆い隠すほどの罪業を作りました。元凶と奸臣は共に無間地獄に永遠に落ち入り、永遠に罪業を返済していくことになります。

 再び1999年の天象図を見て見ると、熒惑が氐宿に留まっている位置は氐宿の外であり、氐宿の中に入っていないため、奸臣が最高権力の中枢に入っていないことを示しています。これは羅幹が当時、政治法律委員会書記の身分であり、まだ最高権力層の外にいることに対応しています。[2]

 李淳風は『推背図』の中で、1999年の天象を「九十九の大間違い」と描写しました。4月25日、命の危険を冒して全世界の衆生を救おうと巨大な努力を払い、佛法を保護しようと中南海に陳情しにきた法輪功学習者に直面し、中国共産党の権力を握る道化者は無視するだけではなく、却ってそれを佛法を滅する口実として秘密裏に迫害を手配し、7月20日から、元凶江沢民は警察・検察・裁判所、軍の武装特殊警察、全ての国家機関、メディアを総動員して、法輪大法に対して天地を覆い隠す迫害を起こしました。5000年という歴史の礎(いしずえ)の上に、全宇宙が注目する空前絶後の劫難は旧勢力の按排した天象の下で、1日もずれることなく世に訪れました。

 (続く)

 次集の目次

 古今の天象から正法修煉の延長について考える(8)
 ——2001:熒惑が尾宿に留まり サタンは足に怪我を負う
 1. 間違って描き、間違って誘導し、凶兆を抹殺する
 2. 西方の天象をみれば、真機が自ずと分かる
 3. 逆行して尾宿に留まり、天に逆らう
 4. 留まる時刻に、天機が屈折する

 [1] 何祚庥は羅幹の相婿で、中国科学院では公認のごろつきです。文化大革命の極左の時代に、彼の毛沢東思想を用いて原子構造を解釈した「際立つ業績」は中国共産党中央宣伝部の称賛を受け、後に中国科学院の学部委員(現在の院士)に選ばれました。その後、何祚庥はまた公然に、「原子のいくつかの物理学規則は江沢民の三つの代表思想に符合する」と言い出して、学術界に鼻であしらわれました。しかし、彼は一時、他人の得難い科学研究経費を採択する権力を握り、科学研究の仕事を招き寄せ、科学研究成果に対して法令で定められた署名権を持っていました。

 [2] 熒惑が氐宿に留まる位置は氐宿の中であれば、奸臣は最高権力圏内にあることを意味します。以前に言及した453年の熒惑が氐宿に留まる天象において、宋文帝は太子の反逆で死亡し、その際の熒惑の走る軌道が氐宿の奥深いところでした。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/2/4/341947.html)
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