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引用サイト:明慧ネット
http://jp.minghui.org/2017/03/25/52061.html
古今の天象から正法修煉の延長について考える(5)千古の謎「ろうそくの影に伴う斧の音」の真実の姿(上)
文/ 聖縁

 【明慧日本2017年3月25日】修煉の時間は、師父に何度も延長していただきました。多くの弟子はそれを大切にし、絶えず精進していますが、一部の人は時間が経つにつれて緩み、正法修煉の時間が延長されることに半信半疑になり、怠惰するうちに中士まで落ち、甚だしきに至っては圓満成就に対しても動揺し、正法修煉を放棄または大法に反対する側に走りました。————これらはすべて師父や法を完全に信じていないことによる結果です。遡れば、その根源は旧勢力が中華神伝文化を破壊し、現代人の大法を認識することに妨げをもたらしたからです。

 当シリーズ文章は天象文化の玄妙な正確さを公開し、法を正す時間が一回一回延長されていることを証明し、同時に関連する偽りの歴史を暴露し、初めて封じられた歴史の真相を公開します。様々な惑わしから引き起こされたことによって、大法から離れた昔の同修を再び大法に戻らせ、このかつてない歴史の本当の価値を表す時期に、人間が存在する本当の目的を認識させ、このように惑わされている人はこの妨害を乗り越え、精進されるように願います。————本当の素晴らしさは全て大法の中で真に修煉する中で現れます。

(前文に続く)

 「ろうそくの影に伴う斧の音」は、北宋の千古の謎です。後世では北宋の歴史家の権威・司馬光が宋太宗を弁護する以外、多くの人々は宋太宗が君主を殺して帝位を奪ったと認識しています。宋太宗と息子の宋真宗は極力史料を改変し、後世に多くの惑わす謎を作り、広い想像空間を残しました。

 しかし、歴史の真相は一つしかありません。その真相は最も理屈に適い、全ての謎を解くことができます。私たちはこの真相を簡単に掲示し、歴史が後世や現代の人々に残した手本と教訓を明らかにしていきます。

  1. 遺容の謎、凶行が暴かれる

 近代の多くの人は、宋太祖(趙匡胤)が宋太宗(趙光義)に毒殺されたと認識していますが、一部の学者は反対し、史料を証拠として提出しました。史料によると趙光義は布をめくって大臣たちに太祖の遺容を見せました。顔色が潤っており、まるで湯浴みをしたばかりのようだったと記されていました。これによって太祖は毒殺されたのではないと考える人がいます。実のところ破綻しているのはここの部分です。宋代と現代には違いがあり、宋代には遺容を拝するという文化がなく、一旦布を遺体に被せたら誰も開けることができません。開ければ死者に対する最大の不敬となり、死者があの世で安住できなくなるという文化です。仕方がないので上記のようにでたらめな嘘の記録で覆い隠すしかなく、不敬を犯してこのように嘘を作りましたが、現代人は簡単に騙されてしまいました。

 2. 金匱の盟、千古の謎

 金匱(きんき)の盟は、後世でずっと謎に包まれていました。太祖の死亡は予想外のことだったので、遺言を残していませんでした。宋太宗は自ら帝位を即しましたが、その帝位を継承するための法的な証明がありませんでした。5年後、地方に降格されていた趙普が「金匱の盟」を奉じました。太宗は大喜びし、趙普を即時に都に戻るように命令しましたが、中々「金匱の盟」の内容を公開する勇気がありませんでした。

 後人は二つの解読をしています。一つは「単転約」で、つまり杜太后(訳注:趙匡胤・趙匡義らの母)は臨終を迎える際、宋太祖が帝位を弟の趙光義に引き継がせることです。もう一つは「三転約」で、つまり太祖が帝位を弟の趙光義に引き継ぎ、趙光義は再び帝位を三男の趙廷美に引き継ぎ、趙廷美は再び太祖の息子に引き継がせる。このように循環していくということです。

 実はその二つの解読は全て間違っています。私は慧眼通の功能でその部分の歴史の映像を確認しました。杜太后が危篤状態の時、三人の息子を呼んで遺言を伝えた際、わざわざ趙普を立ち会わせました。杜太后が太祖に話した内容はだいたい「あなたが皇帝になれたのは、前朝が帝位を幼い子供に引き継いだ際、その帝位を奪う機会が生まれたからです。歴史を見ると幼い子供に帝位を伝えて国が滅びたことは多かったはずです。しかし即位した皇帝が大人であっても、愚かで国を治める方法がなければ同じように国が滅びます。私は考えれば考えるほど一番良い方法は皇儲(こうちょ:次期皇帝の第一候補)を決めることです。それは私心を放下して、帝位を自分の子供に引き継がず、家族の中で皇儲を選択することです。徳が最も高くて人望が厚く、英明で能力がある人を皇儲と定め、このようにすれば我が趙家の天下は長く続くでしょう。あなた達は私の言った通りにできますか?」

 これは太祖にとって予想外でしたが、しばらく沈黙して、最後に承知しました。二人の弟も自分が即位できる希望が見え、心の中で密かに喜びました。最後に趙普がその約束を記録して、将来の証明として金匱の中に保存しました。

 太宗が帝位を奪った後、すぐに三男の地位を上げ、そして兄(太祖)と弟の息子をすべて皇帝の息子として扱い、すべての人に「即位候補者」の希望を与えました。自らが金匱の盟に従って、行っているという振りをしていました。こうして皆の口を塞いで自分の帝位を安定させてから、着手しようと考えました。

 5年後、趙普は偽りの「金匱の盟」(三転約)を捏造し、太宗に唯一の合法の証明を提供しました。太宗は喜びましたが、公開する勇気はありませんでした。彼は先に自分の息子が即位する全ての障害を取り除くことを考えていました。

 3. 遷都の機縁、天の授けを受け取らず

 開寶9年(976年)3月、宋太祖は文官と武官を引き連れ、各地を巡って洛陽に行き、洛陽に都を移す(遷都)ことを伝えました。当時の都・汴梁(べんりゃん・開封とも呼ばれる都市)は国の首都としては、地理的に守りが弱かったからです。朝廷の中には反対する人がいましたが、太祖は意見を堅持し、思い切って洛陽に2カ月以上泊まり、開封に帰ることを拒否し、さらに洛陽にまずは遷都してから、また長安に都を移すことを提案しました。最後に趙光義が反対し、「守れるかどうかは地理のことではなくて徳によって決まります」と話しました。太祖は黙って聞き入れ、遷都の考えを諦めて開封に戻りました。途中で鞏県を通って先祖の墓参りをして、自分の墓の場所を決めました。つまり今日の「永昌陵」です。


図:宋太祖の永昌陵(ネット画像)

 150年後、北宋は金国に滅ぼされました。開封は四方八方に通じており、地理的に守れるところが全然ないため、滅ぼされる原因の一つとなりました。なぜ趙光義などの人物は、遷都に団結して反対したのでしょうか? 太祖が遷都することは晉王(趙光義)を抑制し、自分の息子を盛りたてるためです。晉王としての趙光義は開封の府尹(ふい:都の知事)を務め、都での勢力が大きくなっていました。もし遷都すれば、趙光義の皇儲(こうちょ)になれる可能性が最も高い身分を廃されることになります。

 実はこれは天が太祖に授けた命を守る機会でした。天子として、自分の言うことを決められなければなりません。歴史の重大なことを決める時、部下の私心や顔色を見る必要があるのでしょうか? 宋太祖は混乱を鎮め、正常に戻し、佛法を盛んにして天ほどの功徳を積んだことより、低い天数の按排の歴史を変えました。天は宋太祖の功徳によって、新たに今後の天人合一の対応を按排します。宋太祖は北魏の孝文帝・拓跋宏が洛陽を遷都したことを見習いましたが、拓跋宏の断固とした迫力はありませんでした。太祖は非常に仁愛な人物で、軟弱なところがありました。彼は年を重ねることによって、弟の皇帝になる機会を失わせたいという一方的な願望を持っていました。しかし、天の授けを受け取らなければ逆に害を及ぼします。晉王・趙光義は都に帰ったら帝位を奪うことについて急いで色々と準備を行いました。

 4. 予言の警示、宿命の暗殺

 北宋の僧侶・文瑩の『續湘山野錄』の記載によると、宋太祖は天下を得る前に、混沌という道士と知り合いました。その道士は正確に太祖の即位を予言しました。太祖は寿命の最後の一年に再び混沌道士と出会いました。太祖は密かに自分の寿命はあとどれくらいかと聞き、混沌道士は「今年の10月12日夜、もし晴れていればまた一紀の寿命を延長することができます。そうでなければ、早めに死後の按排をした方がよいと思われます」と話しました。これは太祖に按排した寿命が延長された9年目のことです。天象が変わった後の新しい天数の下での予言です。

 その日の夜、晴れて星が輝き太祖は大喜びしました。しかし少し時間が経つと黒い雲が凄まじい勢いでやって来ました。あれよあれよという間に天候が急変し、雪の中には雹までもが混じり降ってきました。太祖・趙匡胤は急いで晉王を宮殿に呼び出し、寝室の中で宴会を行い、2人以外の者を退室させました。退室した者たちには外で室内のろうそくの影だけが見えていました。外の者たちは、晉王・趙光義が立ち上って後退しながら、断る姿を見ました。その後、太祖が斧で机を叩いた音が静かな寝室内に鳴り響き、晉王に「いい加減にしろ!」という、怒鳴り声も聞こえてきました。その後、太祖は寝床に向かい、次の日の早朝には亡くなっていました。

 これが千古の謎「燭影斧聲」(ろうそくの影に伴う斧の音)の由来です。私が確認すると、この記載はだいたい合っています。趙匡胤の前世は道を修める道士であり、混沌と縁があってこの世で再び出会いました。北宋の僧侶・文瑩の記載はいい加減な伝聞によるものなので多くの重要な真実が失われており、偽りの話もあります。晉王は遺言によって即位したと言われていましたが、予想外の急死だったにも関わらず、どこから遺言が出てきたのでしょうか? それは後人が真実や偽りを見分けられなくするためにしたことなのです。

 実際は混沌道士の予言は、天がもう一度太祖・趙匡胤に機会を与えたことです。しかしこの機会は非常に悟り難いものでした。史料の記載によると太祖は、死亡する前すでに病気にかかっていました。私が功能で確認すると、皇帝の大太監(訳注:宦官・日常生活の世話係)が晉王・趙光義に買収されていました。その大太監は小太監に命じて太祖に慢性的にじんわりと効いてくる毒を盛りました。その日、太祖は酒を多く飲まなかったので、ひどい中毒にはならず、ただ病の症状が出ただけでした。趙光義はその密報を見て、非常に恐ろしくなりました。彼は事前に確認していましたが、中毒になってから再び酒を呑むと、毒の効果を促進して命を奪うことができます。しかし、皇帝が病にかかって酒を飲めなくなってしまい、どうすればよいでしょうか?

 道士の予言の日になると、夜まではずっと晴れ渡っており、美しい月が天空に現れましたが、その後、急に強風が砂を巻き起こして月を隠し、雪や雹が降ってきました。これは天象の啓示で、趙匡胤の名前の中に月という文字があり、強風や砂で月が隠され、つまり天子の難がやって来たということです。

 太祖・趙匡胤は混沌道士の予言を信じていました。予言通りに従うならば、死んだ後のことを按排すればよいはずです。その時、彼の中毒の症状はまだ浅かったので、自分の息子が即位することを按排する時間が十分にありました。完全に自分の言う通りに按排できるはずで、野心がある晉王と相談する必要はないはずです。実はもし彼が医者の言うとおりに酒を飲まず、体調を調整していれば急に死ぬことはなかったでしょう。しかしそれは大変難しいことです。宋太祖は大の酒好きなので、癖がとても強かったです。これは彼自身の最大の弱点で非常に克服し難い問題でした。もし、これが克服できていれば十分な時間を得られたはずです。

 彼はなぜ晉王を招いて相談したのでしょうか? 晉王の野心がどれくらいあるかを試したかったのです。どのように穏やかに自分の息子が即位できるかを考えて、逆に狼を部屋に招いてしまいました。

 ちなみに言っておきたいことは、太祖の身の周りには天象や天道が分かる高人がいませんでした。太宗は毒を盛られてその病状が出た時、唯一挙げられる「高人」は張守真でした。しかし張守真は民間の巫術師レベルで、しかも趙光義に買収されていました。これは趙匡胤が一回一回、天から授かった難を解く機会を認識できず、完全に旧い宿命の中から抜け出してこられなかった直接の原因の一つです。だから彼はこの一難から逃れることができませんでした。

 5. ろうそくの影に伴う斧の音の真実が現れる

 趙光義は悪事を働いた後、兄が自分を呼びつけたことに不安を感じました。しかし会ってみると悪意がないことがわかり、さらに宴席を設けて自分を招いたことを知って大変喜びました。趙光義は兄が酒を飲めば体内の毒が促進され、自分の目的を達成できると思いました。しかし自分に酒を勧めるばかりで兄自身は全然酒を飲んでいませんでした。それは混沌道士が太祖に、早めに死後の事を按排するようにと話したため、太祖は酒を飲む気がしなかったからです。太祖は自分がはっきりと覚めている状態を保つ必要があったため、酒を飲むはずがありません。さらに医者が酒を禁止していました。

 趙光義は兄が酒を飲まないことを見て極力酒を勧めました。太祖は再三断りましたが、最後には断れきれず、2杯ほど飲みました。すると体が急変し、数日前の酷い病状がにわかに出てきました。その瞬間の弟の獰猛で得意げな表情を見て全てがわかりました。周りの者が弟に買収され自分に毒を盛ったのだとわかりました。ずっと善を持って接してきた弟に裏切られ、このように凶悪だとは露ほどにも思ってみませんでした。

 太祖は自分の家族の命が危険だとわかり、試しに「私が死んだ後、帝位をあなたに譲るというのはどうか?」と尋ねてみました。

 趙光義はそれを聞いて、立ち上がって断りながら、「出来ません。出来ません。私にそのような徳があるでしょうか……」と一応断る振りをしました。心中不安な趙光義は、思わず手を振りながら後退しました。ろうそくの光の下で影が窓の障子に映り、これが伝説の中の「ろうそくの影」のことです。

 太祖はたまらなく悲しくなり「お前が即位したら、どうか私の家族に良い待遇を与えてくれないか!」と頼みました。

 「それはもちろんのことです!」と趙光義はこの言葉が出てくると自分でもびっくりしました。彼は心の不安や恐れによる緊張のため、失言してしまいました。趙光義はそれに気がつくとすぐ、口調を変えて後退しながら「いえいえいえ、そんなことは出来ません。私には徳もないし能力もありません。兄上はどうか別の人を選んでください。別の人を選んでください」と断った振りをしました。

 本心を見抜いた太祖はあまりにも悲しくて笑いながら、不意に玉の斧でトントンと叩きました。これが伝説の中の「斧の音」です。

 慌てふためく趙光義は機を見て慌てて逃げ帰りました。太祖の体も毒が回ってきて、とうとうこれ以上耐えられなくなりました。

 『史書』によるとその晩、太祖は一人で過ごしました。実はそうではなく、道士の予言によって死に際が分かっていたので、一人で寝るはずがありません。彼は急いで宋皇后を呼びよせ、死後の事を按排しました。その間、数回吐血し、最初の中毒の時よりも酷い状態になりました。宋皇后は医者を呼ぼうとしましたが太祖に止められました。太祖は「晉王が数日前に私に毒を盛った、もう治らない。あやつの勢力はとても強大になっており、帝位を奪うことをもう止められぬ。私が死んだ後、今の言葉を誰にも話してはならぬ。でなければ災難をもたらし、殺されることになる。德昭と德芳はまだとうてい自立できぬ。権力も実力も足りないので、彼らに私が毒殺されたことを絶対に教えてはならん。一旦彼らが少しでも不満を出せば、必ずや晉王に殺されて口を封じられる。お前達を守るために、私は晉王の前で少しも不満を現わさずにおいたが、あやつのことだ、この機会が利用されぬとも限らん……これは私の前世の借りと見なすしかない」と若い宋皇后にこれから先のことを、こんこんと言って聞かせました。

 皇后は泣きながら太祖に証明としての遺勅(訳注:皇帝の遺言)を書いてくださいとお願いしました。けれども太祖は「遺勅を書いても何の役にも立たぬわ。周りの者たちが晋王側の者か、味方かどうかも定かでなく分からず、筆や紙を取りに行けばすぐに情報が漏れ、お前達を守れなくなる」と気遣いました。

 太祖はこの20代の新皇后が見た目には柔らかく穏やかであるが、内心はとてもしっかりとした強い人だということがわかっていました。将来、皇后は必ず真相を話します。彼女に話さないようにと言ったのは、時間を引き伸ばし、家族を少しでも長い期間守るための苦肉の策だったのです。

(続く)

 次集の目次

 古今の天象から正法修煉の延長について考える(6)
 ──ろうそくの影に伴う斧の音、千古に真実の姿を観る(下)
 6. 皇后は力をつくして戦おうとしたが、罠に落ちる
 7. 皇位に落ち着き、残酷な仕打ちを行う
 8. 兄嫁が死に、理性を失って狂気じみる 
 9. 悪事をやり尽くし、悪の報いによって六世で子孫が途絶える
 10. 重い警告と光輝く参照


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/1/31/341945.html)