生命探索 > 神伝文化
引用サイト:明慧ネット
http://jp.minghui.org/2017/03/20/52049.html
古今の天象から正法修煉の延長について考える(4)天数に予想できないことが起こり、天象が華やかさを現す
文/ 聖縁
【明慧日本2017年3月20日】修煉の時間は、師父に何度も延長していただきました。多くの弟子はそれを大切にし、絶えず精進していますが、一部の人は時間が経つにつれて緩み、正法修煉の時間が延長されることに半信半疑になり、怠惰するうちに中士まで落ち、甚だしきに至っては圓満成就に対しても動揺し、正法修煉を放棄または大法に反対する側に走りました。————これらはすべて師父や法を完全に信じていないことによる結果です。遡れば、その根源は旧勢力が中華神伝文化を破壊し、現代人の大法を認識することに妨げをもたらしたからです。 当シリーズの文章は天象文化の玄妙な正確さを公開し、法を正す時間が一回一回延長されていることを証明し、同時に関連する偽りの歴史を暴露し、初めて封じられた歴史の真相を公開します。様々な惑わしから引き起こされたことによって、大法から離れた昔の同修を再び大法に戻らせ、このかつてない歴史の本当の価値を表す時期に、人間が存在する本当の目的を認識させ、このように惑わされている人はこの妨害を乗り越え、精進されるように願います。————本当の素晴らしさは全て大法の中で真に修煉する中で現れます。 (前文に続く) 前回私たちは火星が太微垣(たいびえん)に留まる、房宿に留まる天象の下で、柴栄が佛教を滅ぼすという深刻な歴史的教訓を公開しました。歴史の軌跡に従い、『推背図』の「五十三參運不通」の正確な予言に沿って、天に定められた北宋王朝に入りました。中華民族は乱世に別れを告げ、歴史上最も裕福な時代に入りました。一つの明るい輝く天象でこの繁栄した盛世(せいせい)が開かれました。 図:北宋太祖・乾徳5年3月(967年4月15日)、五星連珠の再現図 この五星連珠という天象の解読は、古代から現在まで全て間違っています。その中に含まれる歴史の本当の意味は人類の認知を遥かに超えています。中国の歴史上で素晴らしい意義を持っており、後世や現代人に残した最も貴重な啓発の一つです。 1. 五星が集まり、吉か凶か 五星が集まるという天象は、また五星連珠とも言われています。これは漢朝から吉祥を示す天象だと誤解されています。多くの史書の中にこの五星連珠の天象が記録されており、吉祥だということを説明するために歴史を変えることさえありました。 【五星連珠、互いに競争して追いかける】 図:紀元前205年5月27日の天象、五星が「井・鬼・柳・星」の四つ宿に集まり、韓信が群雄を降伏させて、西漢王朝を切り開いた 北宋を建国した皇帝・宋太祖(趙匡胤・ちょう きいん)の在位中、967年に五星が奎宿(けいしゅく)の近くに集まる天象が現れました。それについての解釈は、まず宋太祖が天命に従って天下を得るという兆しであるという認識です。次に君位を奪い取った2代皇帝・宋太宗(趙光義ちょう こうぎ)の時代に、宋太宗が即位する吉祥であるという認識です。その後、3代皇帝・宋真宗の時、真宗が生まれる前の吉祥だという認識です。その次は儒家の学者・周敦頤が儒家の道統を継承する天の兆しだという認識です。 『史記﹒天官書』によると「五星が集まることは、天下が切り替わる前兆である。徳を持っている者は天子になり、天下を得、子孫は大いに栄える。徳がない者は災難に遭遇し、死亡する……五星が東方に集まれば中原の国が有利になる。西方に集まれば、中原以外のこの天象に従う国が有利になる」[1]。私は慧眼通の功能で確認しましたが、これは正しいものです。確かに天機であり、絶えず後世の歴史が証明しています。 清朝になるとこの吉祥についての認識は、笑われる程度になり、極めて珍しい五星連珠が、200年の間で朝廷に6回認定されました。2回目以降はなんと日食と五星連珠が同時に起きていました。これは五星が小範囲に集まることを、半分の空に集まることと同列に考えていたことによるものです。 【五星連珠、災いか福か?】 五星連珠は本当に吉祥を示す天象なのでしょうか? 歴史上で一部の学者は「それは兵災の大凶天象」だと認識していました。[2] 現代の天文ソフトを使って古代の天象を計算する時、歴史上の五星連珠について、集まる角度が最も小さく、そして最も綺麗に現れたのは2回あります。1回目は西漢の時期に呂雉(訳注:漢の高祖・劉邦の皇后)が権力を握って少帝を殺した時です。2回目は誤って伝わった唐の武則天(訳注:中国史上唯一の女帝。唐高宗の皇后)の時期でした。実は武則天が死んだ後の710年に起こった天象でした。五星連珠は1カ月くらい継続的に続く天象で、中原地域で天気が原因で見えないことはあり得ません。ですからこの2回の天象の記録が漏れるはずはありません。現代の学者は、古代の人がこの最も吉祥な天象と2人の女性を結びつけたくなかったと見ています。それによると、2回の最も綺麗に五星が集まったのは吉祥ではなく、五星連珠が実は吉祥や大凶と関係ないと誤って認識されました。 【五星連珠、災いが過ぎれば盛世が現れる】 私が慧眼通の功能で見ると、五星が集まるという天象は、流血の大凶天象であり、帝王が死ぬ災いです。しかし災いの期間(長い期間もあれば短い期間もあり、それは五星の集まる角度に関わる)が過ぎたら、盛世が現れてくるはずです。しかし全ての盛世がこの天象に対応している訳ではありません。 図:紀元前185年の天象、五星が壁宿に集まり、流血の大凶天象は西漢の文景の治の幕を開かせる 紀元前185年に五星が一宿(二十八宿の中の壁宿)に集まり、範囲は7度未満でした。当時西漢の初年で呂雉が権力を握ったばかりの時でした。翌年、呂雉は少帝を殺しました。5年後、呂雉は死んでしまい、呂雉の家族や勢力は全て殺され、(大臣たちは)漢文帝が即位することを擁立しました。その時から文景の治の幕が開かれました。 【最たる五星連珠、奇怪であり、危険であり、雄大である】 図:710年の天象、五星が柳宿に集まり、歴史上の最も輝いた五星の集まり、天象の意義が完全に想像を超えている 歴史上で集まった角度の最も小さく、最も輝いた五星連珠は、710年6月26日に発生し、五星の集まった角度は6度以内でした。この天象の表面的な解読は、7月3日に唐中宗・李顕(唐の第4代、第6代皇帝)が毒殺され、7月21日に李隆基(唐の第9代皇帝)と太平公主(唐の皇帝高宗の娘。母は武則天)が政変を起こして韋皇后(中宗の皇后)の勢力を殺し、少帝に退位するよう迫り、唐睿宗・李旦(唐朝の第5代、第8代皇帝)の復位を擁立しました。712年に唐玄宗・李隆基が即位し、713年に太平公主の勢力を殺し尽くしました。玄宗は年号を開元に変え、開元盛世の幕が開かれました。この天象についての解読は、表面から見れば理にかなっていますが、実は問題があります。中は天人合一ではなく、ひどくズレがあります。もし、機会があればこれについて深く展開します。しかしいくら展開しても、一つのことを明らかにしなければいけません。この美しく輝いた天象は、大凶の兆しではありますが、その後必ず太平盛世が現れてきます。 ですから筆者は「もし歴史上で五星が集まるという天象が、血が流れ、さらに帝王が死ぬという大凶天象だと分かれば、恐らく『史記』や『漢書』にはこれを劉邦と結びつける勇気はなかったでしょう。後代でもそれを使って自分をよく見せていました」と思います。 2. 967年五星が連珠し、宋太祖の寿命が9年延長された 五星連珠は珍しい天象ですが、北宋の初年、つまり967年にも発生しました。私はその天象と人間の対応関係を確認しました。その流血の天象は、宋太祖・趙匡胤がその年、弟に殺されるという対応関係でしたが、趙匡胤には天ほどの功徳があったため寿命が9年延長されました。 天象と時間の対応は、一般的に前後3年以内のずれは許されますが、無期限のずれは基本的に許されません。では宋太祖はいったいどんな良いことをして、天に定められた3年の期限を超え、9年の寿命を延長したのでしょうか? 【混乱を鎮めて正常に戻し佛法を盛んに起こし、天象を変え輝きを創造する】 前に述べましたが、佛教や道教を滅ぼし、正法を迫害することは天ほど大きな罪です。では混乱を鎮めて正常に戻し、佛法を復興して盛んにさせることは天ほど大きな功徳です。前の時代の後周世宗・柴栄は佛教を5年間滅ぼし続け、火星が房宿に留まる(熒惑守房)天象の元で、悪の報いを受けました。死ぬ前に「点検が天子になる」という予言を破るため、殿前都点検・張永德の職を解き、一番信頼できる家臣・趙匡胤に変えました。結局、趙匡胤は陳橋の変を起こし、黄袍を着ることになり、予言の日付通りに後周に取って代わって、宋朝を創立しました。 歴史上で宋太祖は、大変仁徳がある人物だったと認識されています。前の時代の皇族を殺さず、天下を平定させ列国の君主を殺さず、「杯酒釋兵權功臣」(訳注:はいしゅしゃくへいけん・近衛軍将校を宴会に招待して年金生活の約束と引き換えに軍の権力を得た)功臣を殺さず、これらは全て功徳です。しかしこれらは人間レベルの功徳であり、福報を増やすだけで、寿命を延長できず、天象を変える事はできません。前秦の君主・苻堅(ふけん)は捕獲した列国の君主や皇族を殺しませんでした。このような仁徳があっても寿命は延長されず、逆に国が敗れ、死んでしまいました。 私は功能で調べてみると宋太祖の本当の功徳は、佛法の名誉を回復し、佛法を盛んにしたことによるものです。これは天ほど大きな功徳であり、大凶天象が人間に対応していることを、十分に変えることができ、いわゆる「改変天象」です。混乱を鎮めて正常に戻し、寿命が3年間延長され、佛法を盛んにして寿命が3年間延長されました。では残りの3年は何でしょうか? 趙匡胤が旧い運命、旧い天数の按排を突破したことによるものです。この天ほどの功徳は彼の運命になかったものですが、彼は得ました。無の中に有が生まれ、輝きを創造し、再び3年間の寿命を延長しました。 この天ほどの大きな功徳は、北宋創立から盛世に移り変わる根本的な原因です。これは五星連珠の天象が人間と対応している本当の意味です。ただ宋太祖に前もって盛世の門を開いたにすぎないのです。 【旧い天命:宋太祖の身元と使命】 私は功能を通して北宋の初代皇帝の宋太祖・趙匡胤の身元を見ました。趙匡胤の前世は道家の一門で一生涯真面目に修煉し、その一門の最高境地にまで辿り着きましたが、三界からはまだ出ておらず、正果を得られませんでした。その法門は道家の3600法門の中の正道大法ではなく、脇門の小法だったので彼はそこまでしか修めることができませんでした。彼は三界の高い天界の福を享受せず、もう一度世間に入って威徳を積もうと思い、正果を得るための準備ををしました。世間で生まれ変わると、帝位の大きな福報があり、その生涯は道を修めなくても道の中にいました。 『宋史』の中に太祖が生まれた時のことが記されています。「室内に赤い光が現れ、玄妙な良い香りが長い時間経ってもなかなか消えず、体に金色が現れ、3日間続いた」。このため、親は彼に「香孩兒」という幼名を付けました。私は功能で確認してみるとこれは本当のことです。彼の前世の修行によって、生まれる時に持ってきた玄妙な現象でした。 宋太祖・趙匡胤が、陳橋の変で平和的に後周の天下を獲ったことは、罪業が生まれません。柴栄は佛教を滅ぼしたため、巨大な罪業を作りました。それによって天罰を招き、後周が滅ぼされました。これは天が現代人に残した深い警告です。 宋太祖が天下を得たのは、天道に従い民の願いに応じることです。彼は道家の人ですから天に定められた使命は、前朝の佛教を滅ぼす国策を廃止することです。それは混乱を鎮めるだけで、正常に戻すことは含まれていませんでした。彼は道法を盛んにさせ、弟の宋太宗が佛法を盛んにするための基礎を築いただけです。 宋太祖・趙匡胤は非常に寛大、温厚、仁愛であり、建国の功労者を殺さず、前朝の皇室を殺さないという誓約を立て、文官や諫臣を殺さない、などなど、これは全て彼の生涯「道と修めずとも道の中にいる」の体現です。しかし彼の前世の積んだ徳がいくら大きくても、彼の弟・趙光義とは比べられません。 【旧い天命:宋太宗の身元と使命】 私は功能で確認すると、北宋の第2代皇帝の宋太宗・趙光義は三世にわたって佛を修めた大徳高僧でした。しかし成就できず、続けて修煉する願望もなかったため、来世は大きな福報と帝位に変わりました。彼の修煉の次元や福徳は、彼の兄の宋太祖・趙匡胤よりも高いのです。 『宋史』の記録によると「杜太后は神様が太陽を捧げて持ってきたという夢を見て、その後妊娠した。趙光義を生んだ夜、赤い光が火のように輝き、街中に玄妙な良い香りが広がった」。これも本当のことです。これは彼が三世にわたって佛を修めたことの証明です。 北宋が建国された後、最も低い天数の旧按排は、趙匡胤が8年の帝位(960~967年)であり、趙光義が31年の帝位(967~997年)となっていました。二者の切り替わりは967年で、五星連珠の大凶天象を境としています。趙光義が君主を殺して帝位を奪うことを按排されたのは、趙匡胤がある一世で趙光義に対して命の借りが一つあったため、今世で必ず命で返さなければなりませんでした。趙光義が兄を殺して帝位を奪うことについて、もし兄一人だけを殺したなら、罪業は生まれません。それは借りを返すだけです。 最初の天意は佛法を盛んにするという天ほどの大きさの功徳は、道家出身の太祖ではなく、佛家出身の太宗が行うことでした。太宗は三世にわたって成就できませんでしたが、心の中で佛法に深く憧れを持っており、そして佛家に大変親しみを感じていました。この世で彼にこの天の大きさほどの功徳が按排されたのは、来世で正果を得ることを簡単にし、そしてより高い正果の果位を得させるためです。 宋太宗の初名は趙匡義であり、つまり天に定められた「匡扶正義」(正義を守る)という意味です。太祖が即位してから皇帝の忌諱を避けるため、趙光義という名前に変え、意味は変わらず「光復正義」でした。そして大きな輝きが彼を待っているはずでした。例えば971年に五代十国後期の南漢を平定させ、975年に南唐を平定させ、太宗は先天の軍事才能を発揮するように按排されていました。前に述べましたが「五星連珠、東方に集まる時、中原の国が有利になる」の流血の災いの後に盛世が現れ、天下を統一し、盛世が切り開かれます。旧運命は太宗がこのことを行うように決めましたが、結局太祖の寿命が延長されたため、すべて太祖にやらせました。 【予想外に道家の宋太祖は佛法を盛んにする】 北宋の初期に、前朝の皇帝による佛教を滅ぼす国策を変えることを保障するため、二人の大徳の士が按排されました。道家出身の太祖・趙匡胤が前朝の佛教を滅ぼす国策を廃止し、道教を盛んにします。佛家出身の太宗・趙匡義が佛教を救い、佛法を盛んにします。太祖が基礎を作り、太宗は輝かせます。このような重複や互いに補い合う按排が、歴史上で常に見えます。それは重大な歴史的使命を実現させることを保障するためです。 北宋の初年に定められた天数を超えることが発生しました。趙匡胤は即位してから、後周の佛教を滅ぼす国策を廃止することに留まらず、佛教を復興するという大きな善行を行いました。そして、力を入れて佛法を広げ、再び寺や佛像を建て、歴史上初めて朝廷で佛教経典の印刷版を出版した、などなど。もちろん彼は道教の発展にも力を入れましたが、佛教を広げることに多くの力を注ぎました。 なぜ天は彼が天命に従わないことを許したのでしょうか? どうして彼が低い天層の按排を破ることを許したのでしょうか? それは彼が大善の事、最善のことを行ったからで、それは人間の最も善良な本性が出たということで、佛家では佛性が出てきたと言っています。 『轉法輪』の中の「『佛性がひとたび現われると、十方世界を震わす』という言葉があります。覚者がそのような人を見ればひとしく救いの手を差し伸べ、無条件に助けてあげようとします」を悟りましょう。 私は「純粋な佛性が、旧い運命を突き破ることができ、それは十方世界を震わすことになり、天地が彼に福を授け、天象が彼のために道を開き、天数が再び新しい按排を行います。天象が対応する人間の事件は全部この天ほどの大きさの功徳の元で系統的に変わらなければならず、いわゆる「改変天象」ということです」と悟りました。 善を行うことは、天がこれまでずっと励ましています。これは大善、大徳のことです。趙匡胤は三世にわたって精進して修行しても正果を得られませんでしたが、この善行だけで世俗を超越し、神の聖域に入ることができるようになりました。これは数世の修行を遥かに超えています。そして当世にも福報を与えられ、人間の福以上に9年の寿命が延長されました。 これは現れた本当の意義で、後世の人々に大変貴重な啓発を残しました。人はどんな運命でも良知を守って善に向い、特に佛教を滅ぼすような天ほどの大きな罪に直面する時、正義を守ることは天ほどの大きな福徳であり、大変大きな収穫を得られます。 この天ほどの大きな功徳は、北宋の後の盛世(咸平の治)を開く根本的な鍵です。 3. 古今縱橫に盛世を見れば、現れた現象の背後に根源がある 徳は福の源です。一人の人として一切の福は全て前世で積んだ福徳で交換したものです。もし福徳がなければいくら努力をしても無駄です。社会も同じように豊かな盛世は君主の巨大な福徳によるものです。 千百年来、歴史学界ではずっと盛世の源は何かを研究しており、全て明君と賢臣を巡って論争しています。しかしそれは表面的なことです。佛法や道法がまだ正道からずれていない時、つまり宇宙の法則によって心を修め善に向かう時代、佛法や道法を広げることの天ほど大きな功徳を作ったことが盛世の源です。普遍的に認められている古代の13の盛世を見てみましょう。 (1)西漢の文景の治、道に基づいて国を治める (2)東漢の光武中興、道に基づいて国を治める (3)北魏の孝文帝中興、北魏文成帝が混乱を鎮めて正常に戻し、佛教を滅ぼすことを停止し、佛法を繁栄させ、後世に良い因果を植える (4)隋朝の開皇の治、隋文帝・楊堅は前朝の佛教を滅ぼすことを停止し、佛法を繁栄させる (5)唐朝の貞觀の治、唐太宗が混乱を鎮めて正常に戻し、李淵の佛教を滅ぼす命令を廃止し、佛法と道法を繁栄させる (6)唐朝の開元盛世、唐太宗が功徳の因を植え、六世にわたって福の果を享受したが、唐玄宗が佛法と道法を乱したため、台無しになった。 (7)唐朝の大中の治、唐武宗が佛教を滅ぼした後、唐宣宗は唐太宗を見習って混乱を鎮めて正常に戻し、佛法を盛んにしたことによって盛世がもたらされた。 (8)大遼の景宗中興、蕭太后が佛法を盛んにしたためにもたらされた盛世 (9)北宋の咸平の治、仁宗盛治、宋太祖・趙匡胤が佛教を滅ぼすことを停止させ、佛法を盛んにしためにもたらされた盛世。 (10)明朝の洪武の治、明太祖は佛教を整え、佛法を盛んにしたことによってもたらされた盛世。 (11)明朝の永楽盛世、明成祖・朱棣は道教を盛んにしたことによってもたらされた盛世。 (12)明朝の仁宣の治、前朝(11)で佛教や道教を盛んにしたことによってもたらされた福徳が後世に延長された盛世。 (13)清朝の康乾盛世、清の康熙大帝が佛法を佛法を盛んにしたことによってもたらされた盛世。 全ての盛世の背後に、それと対応する佛法や道法を盛んにしたことが指されています。実はこれが正法を繁栄させた功徳であり、天から授けられた福です。 宋太祖の功徳は天ほど大きかったのに、なぜ命の借りを解くことができなかったのでしょうか? 実は天がずっと彼を救い出し、数回にわたって善解できるようチャンスを与えましたが、惜しかったのは彼がこのチャンスを掴まなかったことです、本当に残念でした…… (続く) 次集の目次 古今の天象から正法修煉の延長について考える(5) ──千古の謎「ろうそくの影に伴う斧の音」の真実の姿を観る(上) 1. 遺容の謎、凶行が暴かれる 2. 金匱の盟、千古の謎 3. 遷都の機縁、天の授けを受け取らず 4. 予言の警示、宿命の暗殺 5. 「ろうそくの影に伴う斧の音」の真実が現れる [1] 『史記﹒天官書』:「五星合,是為易行,有德,受慶,改立大人,掩有四方,子孫蕃昌;無德,受殃若亡……五星分天之中,積於東方,中國利;積於西方,外國用者利。」 [2] 『敬齋古今黈』、北京の中華書局出版の1995年版、巻五(黈,音偷,三声):「五星聚,非吉祥,乃兵像……五星聚少則用兵少,五星聚多則用兵多。」 [3] 今、ネット上で言われているこの五星連珠は、武則天の時代に現れたと伝わっていますが、これは誤っており、根拠のない噂です。 (中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/1/30/341944.html) |