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引用サイト:大紀元
【党文化の解体】第2章(25)「実証科学の限界性」
8)実証科学の限界性
現代科学はすでに、人類生活のほとんどの領域に浸透している。これによって、中共はたやすく現代科学を利用して人々に硬直した思考方式を押し付けることができ、長年教育した結果、多くの人々が現代科学だけが真理であると信じるようになった。しかし、実は、科学(Science)という言葉はラテン語の 「Scientia」に由来するもので、元々は「学問」という意味であって、真理という意味ではない。広い意味から言えば、科学とは絶えず宇宙の規律を探索してその規律を認識する方法とそれによって形成された知識体系である。 現代科学は、形式論理と実証的な方法を基礎として物質世界の規律を探索する方法と知識の体系であり、ここではそれを実証科学と称する。この意味から考えれば、実証科学は窮極的な真理でないばかりか、常に新しい事実の検証を受ける必要があり、同時に人々の認識能力と事物自身の発展変化とともに発展する必要がある。同時に、現代実証科学の探求方法が宇宙真理を探索する唯一の方法である、とは限らない。 現代科学は、急速に発展するにつれて、ますます多くの難解な問題を人類にもたらすこととなり、一部の先鋭的な科学者は、すでに科学の限界性を認めている。西洋から来た実証科学の哲学的論理は、一個の完全な世界を物質と世界という独立した二つの部分に分け、これによって生まれた自然観は、人と自然、人と世界、精神と物質を分離して考えている。その結果、精神活動の本質や精神と物質の関係、物質に対する精神の作用などを実証することができなくなった。しかし、生命そのものは紛れもなく精神と物質の統一体である。 このような自然観によって、精神活動が現代の実証科学に無視され、道徳は実体を伴わない単なる説教となり、人間と自然も統一共同体ではなくなった。その結果、人間と自然が対立し、人類が主導した科学は先の見えない盲目的な発展しかできない。 ワットが蒸気機関を発明したことにより、工業革命が引き起こされ、化石燃料を利用する大規模なエネルギー消費時代に突入した。しかし、当時は誰も、200年後の今日のような温室効果の難局を予期できなかった。殺虫剤 DDTの人工合成は、農作物を病虫害から守り、人類の幸福に資することだと考えられていたが、人類の予想とは裏腹に、数年後には殺虫剤に抵抗力を持つ害虫が出現し、人類の食物の中にDDTが発見され、もっと驚くべきことに、青少年の体内や母乳の中にもDDTが発見されるようになった。コカインは局所麻酔剤として使われる良薬であるため、発見以来多くの生命が手術室で救われるようになった。しかし今日、コカインを吸引する人が多く現れ、コカインによって死亡する人は救われる人より遥かに多い。アインシュタインがE=MC²という公式を見つけた時、数十年後に「核の脅威」が人類の生存を脅かすデモクレスの剣(※1)になると想像できたであろうか。 アインシュタインはかつて、「科学は一種の強力な道具であり、この道具がどのように使われるのか、人類に幸福をもたらすのか、それとも災いをもたらすのかは、人間自身によって決められることであり、道具によって決められることではない」と言ったことがある。さらに彼は次のような言葉を残した。「もし我々は、先知者たちが残したユダヤ教やキリスト教の教えの中から、後世の人によって付け加えられたもの、特に伝道師たちによって付け加えられたものを全部取り除くことができれば、その残されたものこそ、人類社会のすべての弊害を正すことができる教義である。」このように、アインシュタインはすでに精神と物質の分離によってもたらされる現代科学の限界性を認識していた。 普通の民衆、特に中共の党文化の教育を受けて、現代科学は万能なものだと信じている多くの人々は、まだ科学の発展によって人類にもたらされたさまざまな危機を認識することができないが、一部の先見の明のある科学者たちはすでにこの問題を意識し始めた。1992年、ブラジルのリオデジャネイロで各国首脳が参加した国連の環境開発会議が開かれた時、120人余りのノーベル賞受賞者が署名した手紙が大会会場に届けられて、大きな反響を引き起こした。 その手紙にはこう記されていた。「人類と自然はすでに強烈に衝突している。人類の活動は環境と主な資源に深刻な破壊をもたらし、このような破壊はほとんど回復不可能なものである。もし、この問題を真剣に検討しなかったら、私たちの活動は人類社会と動植物の生態環境をきわめて危険な境地に置くことになり、さらにこの生命世界を我々が知っているこのような生命方式を維持できなくなる世界に変えてしまうかもしれない。このような悲惨な結果を回避するために、根本から人類活動の方式を変えることをすでに余儀なくされている。」 ただ、私たちは現代科学を責める意図は全然ない。ここで現代科学の限界性を指摘したのは、党文化によってもたらされた誤った考え方を明らかにし、中共が現代科学を宣揚する真の目的が、信仰を抑圧して無神論を国民に押し付け、最終的に思想改造を実現するためであるということを暴露するためである。 中国5000年の文化を通して、天地、神明と人間の関係に従って上位から下位への価値体系が確立された。神明を敬い、天命と善悪報応を信じ、天道に随うことを守り、返本帰真を願うことが、伝統文化の核心価値であった。中共は「科学を崇めろ」、「封建制度の迷信を排除しろ」というスローガンを掲げて、伝統文化の核心価値を一概に「封建制度の糟粕」として排除すると同時に、実証されていない進化論を宣揚して、断片的で宗教化された現代実証科学を国民に受けさせることにより、暴力に頼った残酷な政治闘争を利用して、無神論と闘争哲学を広める目的を達成しようとした。 今日の中共当局は、自分の顔を飾るために、表では伝統文化を推奨しているが、中国ではすでに無神論の環境が確立されているため、神に対する信仰は人々に嘲笑される「愚昧迷信」になっている。いくらお寺を修繕しようと、いくら孔子学院(※2)を設立しようと、いくら「八栄八恥」(※3)や「協調の社会を構築する」といったスローガンを提出しようと、中華伝統文化の神韻はすでに中共に抹殺されてしまったため、内在的な核心価値を失った文化形式は、源のない水、根のない樹木に過ぎないのである。 中共が暴力と無神論によって人々の思想を改造した結果、「天を敬い、人を尊敬する」ことや、「道は自然の法則に従う」といった伝統文化は根本から取り除かれた。今日の社会秩序は先達が伝えたわずかな伝統的道徳観念によってかろうじて維持されているにすぎない。しかし、信仰が無くなった道徳と文化は、抜け殻みたいなものであり、すぐにでも物質主義、功利主義、縦欲主義(※4)に押し流されて徹底的に壊滅されかねない。 中共の大々的な宣揚によって、「科学を尊ぶ」「迷信を打破する」という暴風が吹き荒れ、「伝統の美徳、道徳の良知」「天を敬い、神を敬う」「道は自然の法則に従う」といった考えが、物質主義、功利主義、縦欲主義の荒波の中に沈んでいった。 中華の美徳が根こそぎ失われ、「善悪に報いあり」という信仰が一銭の値打ちも持たなくなったとき、人々は生命の価値を探求することをやめ、人格の善なることを追求しなくなり、人々の心の中に思いやりがなくなる。そして、そこに残ったものは、眼前の「楽しみ」や感覚器官が得た満足および欲望に対する無限の追求だけである。中共による思想改造の結果、中国人は心の支えを失い、中華民族に立命の根本を失わせることになるのである。 ※1:Sword of Damokles。髪の毛一本で頭上に吊された剣。いつでも起きうる災難。 ※2:中国政府が世界各国の大学などと提携して、中国文化や中国語などの教育及び伝播のために設立した機関で、2007年6月現在、世界で156校存在する。日本には、立命館大学、桜美林大学等に9校ある。 ※3:国家主席・胡錦涛が提唱した道徳規律の通称で、「8つの名誉なことと8つの恥ずべきこと」という意味。例:「国を愛するのは名誉なことであり、国を害するのは恥ずべきことである」「科学を敬うのは名誉なことであり、愚昧無知は恥ずべきことである」 ※4:欲望のままに振舞う逸楽主義。 (第二章完) |