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引用サイト:明慧ネット
http://jp.minghui.org/2017/07/10/54209.html
私が接してきた一部の旧勢力とその按排(一)
文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年7月10日】

 前書き

 私の学法は、二つの特徴があります。一つ目は学びながら、自分の一思一念と行動を実修している中で、絶えず法に同化しているかどうかを照らし合わせています。二つ目はよく思考を巡らせて大法を悟ることです。

 この思考と悟る行為は人為的に何かを想定するのではなく、学法時に私は常に何も求めず、心が静かな状態で一心に法を学んでいるため、頭に浮んでくるさまざまな疑問に対して思索するようになります。往々にして学法の中で法理からの啓発を受け、疑問が自然に解けてしまうのです。法理が分かった時、脳は瞬時に冴えてきて、澄み切った感覚が脳内トンネルを稲妻のように潜り抜けてから、花が咲くように幾重にも開かれ、読んでいた説法の内包を立体的に理解できるようになり、言葉では言い表せないものです。

 ある日、『轉法輪』にある「人の命門はきわめて肝心かつ主要なツボです。道家はこのようなツボのことを竅と言い、われわれはそれを関と言っています」[1]に対し、疑問を抱くようになりました。なぜ私たちはそれを「関」と呼び、あえて仏家や道家、あるいは漢方の呼び方を使っていないのでしょうか?

 私はその場で瞬時に分かりました。異なる法門には異なる呼び方があるからです。今回の私たちの大法修煉において、道家の「竅」や漢方の「穴」と呼ばず、「関」と呼ばせる特殊な内包があるからです。 

 もちろん、当時の次元における自ら悟った法理に過ぎません。そこが最も肝心です。 

 すでに歴史となった中国の冷兵器の時代、戦乱の紛争時期において、無数の血と涙や苦痛によって作り上げられた節節の輝かしい歴史の中で、無数の輝く英雄人物が演繹(えんえき)されました。これらの英雄人物の成功と失敗の肝心な節目は往々にして、多くの生死に関わる激戦の中にありました。たとえば有名な函谷関、虎牢関、雁門関、山海関などなど、あれらの険しくて巨大な関所の前では、歴史の運命に関わる無数の戦いがありました。

 今日、大法弟子は正法の中で師父に随って、幾重にも重なる旧勢力の按排を突破しながら、新宇宙に向かう過程は、歴史上のあれらの険しい関所での有名な戦いと似ています。天意に激しく人心が揺り動かされている中、壮絶な場面から感銘を受けながらもハラハラ、ドキドキしています。その驚異的なシーンが歴史に刻まれています。

 正法時期の大法弟子にとって、関を乗り越えきる原動力はどこにありますか? はっきり見えたのは、もっとも重要な源の一つは学法です! 大量に法を学ぶことです!!

 古代の兵書『孫子兵法』に書かれているように、「故に用兵の法は、十なれば、すなわちこれを囲み、五なれば、すなわちこれを攻め、倍すれば、すなわちこれを分かち、敵すれば、すなわちよくこれと戦い、少なければ、すなわちよくこれを逃れ、しかざれば、すなわちよくこれを避ける」。要約すると戦に臨むまたは関所を勝ち得る際、当方が敵より10倍の戦力を持っていれば敵を取り囲み、5倍であれば強襲し、2倍であれば兵力を2つに分けて戦い、互角のときは全力で正面勝負にかけます。又敵の戦力に及ばない場合は、退却と判断すべきで、勝ち目がないので早々に退却し逃げるしかないのです。

 大法弟子の学法は量が多いほど質が高いほど、他空間における大法の力が蓄積されてきます! それによって「関を乗り越えやすくなる」ことを見て来ました! その力は厖大なエネルギーとして現れたり、時には威力無辺なさまざまな法宝、または虚空の至る所で雨粒のように一面に広がる七彩の法輪として現れたり、ときには修煉者の次元の向上に伴って来られた多くの雄々しい護法神として現れたりもします。

 立ち向かう魔難よりは大法から得られる力が10倍も強ければ、魔難の背後にいる多くの邪悪を囲い込み全滅することができます。しかし、私たちの正念は修煉によって得られる力が弱かったり、大法に対する認識が良い常人に留まっていたりすると、関を乗り越えるのは難しく、辛うじて自己防御、又は迫害から免れようと逃げることしか望めません。

 師父は学法の重要性を強調されていますが、私は上記の意義を持たせているからだと体得しています。

 また実修の過程において、その都度の心性の向上、すなわち関を突破できた際に、師父はその次元における最も巨大な体を演化してくださいます。尽きることがないほどの宝物を、与えてくださることを見てきました。

 数年来、私たちは強い正念の重要性を強調してきました! いかに法を得た当初の修煉状態を保持できるかについても、交流してきました。しかし、多くの同修はどんなに努力しても、理想的な修煉状態に入れないと感じているのは、なぜでしょうか?

 個人的に思うには、多くの同修は修煉過程で関への突破は連続して失敗しているうちに、正念が徐々に弱まっているからです。しかし多くの関を乗り越えられるようになるにつれ、強い正念が生まれ、修煉状態もますます良くなります。これは意地を張っていればできるようなことではなく、日頃の修煉の積み重ねによって、自然に形成される状態になります。

 一度敗戦しただけで、正法時期の大法弟子としては消沈してはなりません。常人もよく「七転び八起き」と言っているように、 失敗すれば早急に学法を強化し、しっかりと三つのことを実行し、内に向けて探すと目覚めます。たとえすぐに勝ち取れるような力を持っていなくても、いくつかの小さな突破が果せるように努力して、少しずつ力を蓄えていけば、いずれ一挙に完勝を収めることができます。

 分かりやすい理屈ではありますが、しかし、宇宙大穹全体を転覆されるような圧力はあまりにも巨大で、計り知れないほどの旧勢力によって妨害と迫害されている中、どれだけ多くの大法弟子が関に撃沈され、意気消沈したことでしょう。また、どれだけ多くの大法弟子が関を乗り越えきれず、命を失ったことでしょう。無数の涙と鮮血、苦痛とため息が、苦難に満ちたこの18年間の歳月に織り込まれています。

 ここで言いたいのは、旧勢力に按排された関に従順して乗り越えるのではなく、全面的にその按排を否定し、旧勢力そのものも承認してはいけません。しかし、旧勢力が強制的に按排したこれらの迫害や劫難に出遭ったら、大法弟子としてそれを全面的に否定し、しっかり行うことにほかなりません。

 では、どうすれば否定できるでしょうか? 個人の理解としては、大法弟子の心性は基準に達していなければなりません。旧勢力の要求に合わせて迫害の中で自分を修めるのではなく、普段から大法の基準をもって厳格に自分を律し、着実に向上していくことです。それなら、旧勢力の迫害が許されません。たとえそれを押し付けられても、発正念すればきれいに一掃することができます。

 長年にわたる正法修煉の中で、私は一部の旧勢力に接してそれらの按排の一部を知りました。大法の法理および世間の実情をふまえた上、自らの次元で見た真相の一部を書き出すことに決めたのは、より多くの同修に参考にしてもらい、途方に暮れている状態から抜け出して、さらなる勇猛邁進を目指してもらいたいと願っているからです!

 謹んで、この文を正法修煉の巨大な難を乗り越えきれず、肉体を失った同修達に捧げます!

 謹んで、この文を正法修煉の初期からともに歩み、巨大な関や難を前にして、意気消沈したり、停滞したり、前へ進めない同修達に捧げます!

 謹んで、この文を一歩も休まずに堅い信念をもって歩んでこられ、さらに足取りを速めてますます前進している同修達に捧げます!

 果てしない道はいよいよ終焉となります。互いに励まし合って助け合いながら衆生を救っていきましょう。

 一、旧勢力が按排した色欲の試練

 1、邪悪な按排

 十数年前、私達の資料点の協調人の同修が不当に連行されました。この同修は私が当時敬服していた対象で、勇敢かつ意志が強固で、師と法への堅い信念によって中国大陸のもっとも邪悪な黒い巣窟から、正々堂々と正念一つで抜け出してきたのです。

 こんなにすばらしい同修がなぜ迫害に遭い、連行されてしまったのでしょうか? ある特殊な状態の中で、私はある系統の旧勢力およびその按排を知りました。その系統内の多くの旧勢力は「色欲の関」の按排を担当している為、私はそれらを「色欲の系統」と名付けました。

 わずか数年で名利情、生死までも完全に放下し、圧力に耐えながら法を実証しに表に出て来た同修達や、連行されたこの協調人同修も含めて、旧勢力たちも極めて「敬服」し、素晴らしい同修だと思っています。なぜなら、古代のそれらの法門内の修煉者たちは数十年、あるいは数百年修煉してようやくこの次元に到達することができるからです。

 旧勢力はこれらの大法弟子のさらなる高次元への向上を手伝い、さらなる大きな威徳を打ち立たせるためだという口実のもとに、新たな試練を按排するのは当然だと思っているようです。それゆえ、この次元まで修煉してきたら、或いはここまで歩んできた大法弟子に対して、その系統内のすべての生命は長い歳月をかけて入念な按排を行いました。

 それら(旧勢力)の話によると、その按排には「不倫する」 「未婚のまま同居する」 「集団で淫乱な行為をする」 「男女双修を行う」などなど十数個の小さな項目があります。それぞれの項目には、全世界の大法弟子の情況に応じて、異なる試練を手配する専属の旧勢力の高次元生命がいます。

 それらは局面をさらに混乱させるために、一部の小項目の中にわざとスパイを配置し、そうすれば威徳がもっと高くなると言っています。スパイとしては一挙両得で、肉欲が満たされる上に、大法弟子の内部を攪乱する任務を完成することもできます。

 その按排が世間で順調に実施されるために、それらはさらに邪悪な準備を行い、系統内の少数の生命を人間社会の大法弟子として生まれ変わらせ、皆と一緒に学法させて修煉し、甚だしきに至っては、ときには大法弟子よりも大法弟子らしく、非常に精進している様子を見せるのです。

 某大法弟子がこの次元まで修煉してきて、それらの視野に入った時、それらはさまざまな縁や機会を按排して、それらの特殊な使命を背負う学習者をこの大法弟子に近づかせます。

 同じ迫害を受ける緊張感に満ちている高圧の環境におかれている同修同士は、気持ち的にも近づきやすいのです。

 もちろん、旧勢力の按排を受けている学習者自身の人間の一面は知らないのです。彼(彼女)たちは自分の真の由来や使命をまったく知らされず、自分が本当の大法修煉者だと思い込んでいます。

 このタイプの生命にはとても際立つ特徴があります。その由来と使命の関係で、彼(彼女)たちは恥を知らず、またはその倫理概念が薄いため、不適切な男女関係を軽く見たり、正常だと思ったりしていて、あるいは表向きにモラルの束縛に遵守しながら、内心ではまったく重んじておらず、一旦、必要な時期になると、旧勢力に利用され、コントロールされてしまいます。

 しかも、それらの旧勢力は自分たちの按排を順調に運ばせるために、外部環境においてもずっと「自由」や「解放」 「開放」など、いわゆる思想の風潮を利用して、正神が残して下さった伝統文化の中の正統な思想を破壊し続けています。

 古い按排を受けた学習者の中に、大法の中で真に修煉している人もいます。法があまりにも偉大なため、個人修煉の段階で比較的堅固な基礎を作って関をよく乗り越え、正念が強くなり、人間の道徳観念の一面を補った上で、古い按排が発生する前にそれを否定し、未然に防いだ学習者もいれば、旧勢力が按排した道を歩んでから意識の中でやっと次第に分かり、徐々に自分を正した学習者もいます。

 2、古い按排を排除した後

 この系統による按排があまりにも邪悪なため、各次元の神々も大法弟子に手伝い、心を合わせてこの堅固な関所を攻め落とし、消滅させようとしています。

 正法修煉の角度から私が悟ったのは、このときに大法弟子が出遭ったこの「色欲の関」はすでに個人修煉の時期の執着や欲求を取り除くことを目的とする試練ではなく、宇宙の法が正される中での大法弟子の前進を阻む変異した生命との正面勝負で、つまり旧勢力が設けた「関」を突破することになります。

 大法弟子は師父に随って幾重にも重なり合う関を突破するのは、『封神演義』の中で多くの神が姜子牙に従って、商朝が設置した幾重にも重なり合う関所を突破して朝廷に向うのと同じです。

 これは本当に巨大な関です。多くの大法弟子は新宇宙に向かう過程でこの関で倒れ、隙に乗じられて敗戦したか、甚だしきに至っては戦死したのも見てきました。

 戒律を犯したと分かった大法弟子は、3種類の反応を見せています。

 一つは、悲しみのあまり、自滅するタイプです。人間社会での表れとしては、これらの大法弟子は突然修煉の群体を離れて修煉をやめてしまい、恥ずかしさのあまりずっと事情を隠して言わないのです。周囲の大法弟子は事情を知る余地がないゆえ、手助けにもなれません。

 もう一つは、地べたに座ったまま激しく泣き叫ぶタイプです。世間では、これらの大法弟子は意気消沈して修煉の意欲を見せず、三つのことを行っていますが、以前ほどの能動的で積極的に勇猛邁進する状態ではなくなりました。

 三つ目のタイプの大法弟子は頑強に立ち上がって目じりの涙を拭い取り、頭を下げたまましっかりと1歩ずつ前に向かって歩きだし、空がどんよりしている区域を横切った後、体が再びきらめく金色の光を放ち、再度空中に舞い上がって飛び始めました。人間社会では、これらの大法弟子は衆生を救う慈悲の念で内心の悲しみを押さえ、引き続き三つのことを行い、最後に次元が向上するにつれて巨大な威徳を積み、心の影から解放されました。

 正法時期において良く行っている大法弟子は皆多くの衆生を救う仕事を手掛け、毎日忙しくて疲れており、過去を思い出す時間的余裕などまったくありません。時間が経つにつれて、以前の事が記憶から薄れたり、忘れ去られたりして、それらの往事をあまり思い出せなくなります。

 また、引き続き前進しているこれらの大法弟子は時々、周囲の同修または世人から冷ややかな言葉を言われ、そのため自信を失い、徘徊または萎縮してしまうことがあります(注:言われた後に心に怨みや反抗を抱く現象はごく稀で、正常な修煉状態でないため、省きます)。実は、それは正神による按排で、彼らに早く業を滅して、早く全体について行かせるためです。この形式による業を消す按排は、すでに最小限にコントロールされています。

 これらの旧勢力はなぜ思い切ってこのようなことをしたのでしょうか? 実は、それらは法理および心性の両方面において問題が発生し、宇宙大法の純粋さ、すばらしさ、圓融から乖離したからです。

 師父の説法から分かるように、私たちの法門の修煉形式は、主元神が人身を利用して俗世間の中で修煉することで、そうすることで初めてさらに高い次元まで修め、最大限に衆生を救うことができます。人身をもって俗世間の中で修煉すれば、人身の欲求、観念、執着といったよくないものから完全に免れることはできず、圓滿成就するまではずっと絡んできます。ただ、私たちの法門では、とても強い正念を持ってそれらを抑制し、排除し、それらをますます薄く、ますます軽くさせ、常に心身をできるだけ慈悲で穏やかで、澄んでいる状態を保つように要求されています。

 旧勢力はこの点を知らないのです。それらは古い基準に基づき、肉身にはこれらのものがあってはならないと考えます。古代の修行形式において、肉身は深い山や原始林に入って長時間座ってまったく動かず、副元神が体から離れて修行します。当然人間のものがありませんでした! ゆえに、それらが思うには、あなたはすでにこれほどの高い次元まで到達しているのに、どうしてまだこれらのよくないものがありますか?!  では、あなたのさらなる昇華のために、最後のこれらのよくないものが取り除かれるように手伝いますという事になります。

 心性の角度から言えば、それらが理解できない人と事が現れました。それらは自らの尊大さと自我に阻まれて内に向けて探したくもなく、硬直した観念を形成し、果たして試されている生命が、それに耐えられるかどうかを考えようともせず、「だめなら淘汰してしまえばいいだろう」という姿勢を取っています。これらの古い生命にも純粋な善がなくなりました。

 これらの旧勢力はまた嫉妬心によって大法弟子の肉身の欲求、執着、観念を強く増強させ、本来は制御できる程度のものだったのですが、それらによって物凄く拡大されてしまいました。

 これらの旧勢力はまた極端に変異した心理状態の下でこの種の試練を極限まで押し上げ、大法弟子の良く修めた一面と人身の一面を切り離して、大法弟子の人身を操縦してしまうのです。たとえば、このような関に遭遇した大法弟子の多くは脳が黒い霧に覆われ、そしてさらにミクロの空間から一本の黒い線が伸びてきて、その黒い霧を通じて脳をコントロールしているのが見えました。これらの旧勢力は黒い線の片方を掴んでひっきりなしにいじって、脳がはっきりせず、意識が強くなく、自らをコントロールできない状態を作り、同時によくない物質を修煉者の体に押し込んで強烈な反応を引き起こしています。

 大法弟子は操り人形のようにこれらの旧勢力に操縦されてしまいます。ゆえに、一部の弟子は関を突破する過程でとても躊躇し、ためらい、思想の中で激しく抵抗しようとしていますが、往々にしてそれほどの強大な力がないため、ぼんやりしている内で操られて戒律を犯してしまうのです。

 3、道はあるが、それはとても狭い

 これらの場面を目にし、なぜこのような邪悪な按排をするのかと問質した際に、それらが言うには、「あなたたちの師父も説法の中で色欲の事について、何回も弟子たちに注意を促されたのではありませんか?」。生命が狡猾になったとき、内に向けて自分を正すことを知らず、逆に問題をこっちに押し返してきました。

 それらの体もその過程で次第に堕落して真っ黒に転化され、顔の表情も次第にこわばって無感覚になり、笑顔がありません。大法弟子がそれらの按排した試練を乗り越えた時だけ、まるでそれらの長い歳月の中での存在価値が少し証明されたかのように、それらはようやく、ぎこちないほんの少しの笑顔を絞り出しました。

 それでは、それらの大法弟子はどのようにして関を乗り越え、また、彼(彼女)たちの振る舞いがどんなものだったのでしょうか? これが皆の関心事になるでしょう。

 ある女性の同修は「不倫」の試練が按排され、しかも時期的には、彼女が黒い巣窟で残酷な迫害を受けて出て来たばかりの時のことでした。「不倫」しているのは彼女の修煉していない夫でした。旧勢力はちょうど彼女が心身ともに疲れ切ったこの時期を選んで、急に彼女にこの試練を与えたのです。

 この関があまりにも突然にやって来たため、何の心の準備もない彼女は、この厳しい衝撃を受けて人心がせわしく動き出して、家庭内の情況も悪化しました。彼女の夫も気まずく逃げ隠れる態度から、凶悪な言葉で直接喧嘩を仕掛けてくるようになり、最後に、2人は協議離婚をすることになりました。

 この時、同修はやっと自分が修煉者であることを意識し、遭遇することには偶然がなく、自分を修めなければならず、正法の角度から問題に対処すべきことを考え始めました。同修はジリジリと離婚を先延ばししながら大量に学法し、自分の心理状態を調整することにしました。

 離婚当日、別れる前の最後の食事をする際、同修は慈悲心が生まれて、別れれば真相を知らない夫には救われるチャンスがもうなくなることを思い、号泣しました。彼女は泣きながら自分の不足を並べ、自分がなぜ修煉するのか、自分が迫害を受けることによって、夫にも多くの苦痛と圧力をもたらしてしまったこと等々、夫には申し訳ないと感じていることを伝えました。彼女の夫は呆然としてその場で固まってしまいました。同時に大法弟子がこのような苦痛の中でも、依然として真心から他人のことを考える巨大な慈悲のエネルギーに感動し、心が和らぎ、修煉する妻を理解し始め、邪党からの脱退にも同意しました。

 その後、2人は離婚せずに仲を取り戻したかどうか、具体的な事情は知りませんが、彼女がこの関を乗り越えたのは間違いのないことです。

 もう1人の男性大法弟子がいます。迫害がもっともはびこっている時期のもっともひどい地区で、最大の圧力がかかっている中で、彼は孤独で閉鎖された資料点で何度も古い按排をされている女性同修たちに出会いました。この男性の大法弟子は清らかな心を保ち自分を律し、衆生を救いたいと思う一心で、男女関係に関する念や考えが全くありませんでした。

 それらの女性の同修たちも(古い按排はされていますが、法を学んでいて修煉しているため)、彼の清らかな場に影響されてそのような念が起きないため、この男性の大法弟子はスパイの要素も混じっている複雑な「集団で淫乱な行為をする」という邪悪の按排から逃れました。この項目を設けた旧勢力でさえ、しきりに称賛しました。

 この関を突破できず、あるいはすんなりと突破できなかったケースの場合、その過程は波乱万丈で変化に富み、紆余曲折に見えますが、良く修めている大法弟子の場合は、その過程がいとも簡単で普通に見え、大したことがないように見えます!

 しかし、言うのも見るのも簡単ですが、本当に自ら身をその場に置いてみると、乗り越えることはどんなに難しいかが分かります。女性の同修は慈悲心を持ち、他人のために考える正覚を持ち、そして衆生を救う正念を持ってやっとこの危うい関を乗り越えることができます。男性の同修の場合は、法のために犠牲を払う清らかな心理状態を保ち、「生死に執着無く 坦坦たり正法の路」[2]の正覚を持ってようやく平穏にこの関を乗り越えることができます。

 突破できた同修たちには、個人修煉の時期の堅実な修煉の土台と、正法修煉における正しい悟り、正しい行いがあります。

 旧勢力によるこの種の按排があまりにも邪悪で対象性が強いため、それぞれの小項目から抜け出せる同修は本当に極めてまれです。しかし、後になって痛切に改め、乗り越えてきた同修もいます。私は大法の洪大で、旧宇宙の生命の回帰とまったく異なる機制を体得しました。それは、この修煉の道を堅持して歩み、三つのことを引き続きしっかり行うだけでも関を乗り越えたことと見なされ、継続して向上し、圓満成就に向かうことができます。

 歩んで行く道はとても狭いですが、ない訳ではありません。

 道はありますが、非常に通りにくい道です。真に法を学び、着実に修煉して、初めて通れるようになります。

(続く)

 注:
 [1] 李洪志師父の著作: 『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩: 『洪吟二』「念を正しく行いを正しく」