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引用サイト:明慧ネット
http://jp.minghui.org/2018/07/26/59586.html
明慧法会|私の務める明慧記者の修煉の道のり
文/海外の大法弟子

 【明慧日本2018年7月26日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 幸運にも師が法を正すことを手伝うことの中で、明慧記者を務めさせて頂くことに対し、非常に光栄に思っています! この場を借りて、師父と同修の皆さんに自分のこの過程の中での修煉体験を発表させて頂きたいと思います。

 (一)創作と機縁

 数年前、私は当時、少女の年頃の娘を連れて青年大法弟子の自転車の旅に参加しました。旅の中で、子供達は各市政府の関係者に迫害の真相を伝えたことや子供達の生活の中の数々のエピソードが、私の心を強く打ちました。最初のはじまりは、日記のようにそれを記録してファックスで現地の同修に送信し、現地の同修に子供達の進展情況を報告するだけのことでした。同修はその記録が生き生きとしたものであると思い、まとめて入力し明慧に投稿しました。それが、私が初めて明慧ネットに投稿した報道文のはじまりです。その時、私はほぼ毎日記録し、ストーリは書き尽くせないほどでした。

 現地の同修は週末になると、長距離運転をしてマンハッタン大通りで、中国共産党による法輪功への迫害を暴き出す「拷問の実演」活動を行っていました。1日が終わって、また多くのストーリがありました。私は思わずそれを記録し、大チーム交流のメールアドレスに送信しました。それから、「明慧ネットに送信してみないか?」と同修からの提案があったので、送信しました。掲載された文章を見て、とても自分の励みになりました。そして、恐らく潜在的能力があると思われ、明慧記者に推薦されました。

 (二)愚痴をこぼす心を取り除き 昇華する

 現地の天国楽団が2006年から成立した後、毎年20、30回のパレードをこなしていますが、私は基本的にそれらを漏らさず毎回報道しています。初めの頃、多くの同修もカメラを持って隊列を追い駆けていたのを見て、「あなた達は写真を撮ったので、ついでに報道文を書いたらどうですか? そうすると、私は毎回追い駆けなくてもすむし」と同修に提案しました。しかし、誰も応じてくれませんでした。ついに私は天国楽団のある同修に「これはどういうことですか、他の同修は隊列と一緒に走って多くの写真を撮影したものに、帰ってからもう少し頑張れば報道文章にできます。なぜ書かないのでしょうか。私はたった1人だけで毎回全部こなし、本当に疲れます」と愚痴をこぼしました。同修の同情を期待していた自分は、想像と違った言葉を耳にしました。「○○さん、しっかりと書き続けて下さい。他の人はこの契約をしておらず、あなたは師父と契約したからです」と言われました。同修のこの言葉を冗談だと思い、ふっと同修の顔を見ると、とても真剣な表情でした。私はぎょっとして、言い得ているかも知れないと思って、それ以上言う勇気がありませんでした。それ以来、誰にも頼らず私はしっかりと1人で報道するようになり、自分のするべきことだと思い、愚痴をこぼす心を取り除くと、報道することがスムーズになったと感じました。

 もちろん、長年引き続き隊列について走り、時には、せめて1回くらい休みたいと考えたこともあり、時には、毎回同じく天国楽団のパレードですから、これ以上書く必要がないのではないかとも考えたことがありました。しかし、ある都市でのパレードに参加した時、私は大きく励まされました。2011年のパンとミツバチ祭に参加した時、出発時から終わりまで大雨に遭い、道端には人がほとんどおらず、パレードに参加する他の団体は途中で進行を中止しましたが、天国楽団は最後までやり抜きました。私も最後までついて行き、取材して出来上がった内容が、今までにはない豊かな内容の報道文『一路の風雨、一路の震撼』でした。

 そのパレードの時、ちょうど私は病業の時でした。生理が水の流れるように多くて、私は終点まで我慢ができた時、全身がすでにびしょ濡れになりましたが、まったく気にする余裕がなく、どうせ雨の中で血であるか水であるかは目立たないわと思っていました。終点に着いた時、同修達も全身水がぽたぽた滴っているにも関わらず、皆元気いっぱいで満足そうな表情でした。その時、私の頭の中で「殊勝!」という文字が閃き、その瞬間全身を震動させたように、直ちに最後の場面をカメラで収めました。家に帰って画像を整理した時、この最後の写真に法輪がぎっしりと並んでいました。私は涙が流れ、すぐに合掌して、激励して下さった師父に感謝いたしました! 自分の半年間続いた病業も、この日を境に終りました。その後、生理は正常になりました。それ以来、雨であろうが雪であろうが、私は後ろへは引かずにすべてのパレードを報道してきました。

 他の人がなぜしないのか、という不平不満の心を取り除くと、この報道するチャンスを自分に与えて下さっていることに対して、とても幸運な事だと思うようになりました!

 (三)知恵は法から生み出される

 2014年のニューヨーク法会の開催日は5月13日で、翌日に大型のパレードが行われ、ちょうど平日に当たり、パレードは市の中心部や多くの大手会社を経由するため、主流社会からの反響を報道することにしました。私の心の中ではあまり自信がなく、「神韻劇場の中で、大勢の観客の中に取材に応じる主流社会の人達さえ探しにくいのに、今日、街で主流社会の人達を探し出せるのだろうか、どうしたらよいのだろうか?」と思案しましたが、結局は最後に「師父にお願いします!」という一念でやることに決めました。

 パレードが一つ目の交差点に進行した時、きちんとした服装の男性が隊列に向かって微笑んでいました。私はちょっとビビった心持ちで話をもちかけました。男性は親切にも取材に応じてくれました。その最初のコメントは「このパレード(法輪功)は非常にすばらしく壮観で、まるでニューヨークに一つの新鮮な空気を注ぎ込んだような気がします」という言葉でした。最後に男性は彼が某国の国連常駐代表団の副代表者であることを教えてくれました。このことが私の励みとなり、師父が1人目を自分の目の前に送って下さり、自信をもたせて下さいました。私の心の負担がなくなり取材は順調にいき、主流社会の人物が次から次へと目の前に現れました。

 もう1人の立派な格好をした男性は、数人のガードマンに護られ道端に立っており、オフィスビルに向かう様子でした。私はこの男性を知りませんでしたが、一つの蓮の花を持って挨拶をしました。男性は笑顔でポケットの中からもう一つの蓮の花を取り出し、「ここにすでに一つありますよ」。それから私はこのパレードについて聞きました。男性はこのパレードの背景についてまだ知っていないと言いました。しかし、彼の秘書がすでにこれに関する資料を受け取ったので、帰ってから資料を読み、このパレードは彼と秘書の午後の話題になるはずだと言いました。そのあと、ニューヨークの同修の話によると、あの方はニューヨークの有名な資産家で、多くの記者は彼を取材しようとしたが、誰も取材できなかったそうです。私は自分には能力があるのでもなく、ただその方を知らないので、観念を持たずに行うと、師父がチャンスを下さったのだと自分は認識しています。

 (四)感謝の心持ちで報道する

 師父はメディアの学習者に次の内容の話を語られたことがあります(元の話ではない)。中国共産党が最も恐れているのは大法弟子が行うイベントです。毎回イベントの報道文は原子爆弾のように邪悪を震え上がらせます。私達の報道はこのように大きな役割を果たしていることを知り、どんなに苦しみがあっても、疲れていてもすべて感じなくなり、とても神聖な感覚が湧いてきました。そして報道に参与することが出来ることに対して、非常に光栄に思っています。

 明慧記者になって間もなく、毎年の各地の国際法会が開催される際、私はほとんど報道の仕事を割り当てられます。息子は幼い時期、息子を連れてパレードの後に旅館に戻り、主人は集会の報道をして、私はパレードの報道をしました。私達が報道をやり終えた後、ようやくベッドに寝ていた息子に気づき、息子のそばにかじりかけたインスタントラーメンを見て、夕食をまだ食べさせていないことを思い出しました。そのうちにだんだんと私は不平不満を感じるようになりました。仕事を割り当てられた時、一応引き受けましたが、心の中ではバランスが取れなくなります。「何でアメリカでは1人の記者も出て来ないのだろうか、なぜ私は外国からパソコンを背負って、あちこち走り回らなければならないのだろうか?」と思ったりしました。そして、同修の「あなたは師父と誓約を交わしたんだのよ」の言葉を思い出し、「この神聖な法会の期間中で自分が報道に参与することは、どれほど大きな光栄なことなのでしょうか、これは師父から弟子に授かった誉れ(ほまれ・ 名誉)です! 私はとても感謝すべきなのに、どうして不満を感じるのでしょうか!」と悟りました。それ以来、毎回の法会の時、どんな仕事を割り当てられても、すべて感謝の心持ちでやり遂げました。こうすればするほど道はますます広くなっていきました。

 (五)新人の記者を育成する

 パレードを追いかけて十数年間走り続けましたので、時には最初の頃の情熱とやる気が徐々に薄らぎました。「自分は年を取ったのではないのか? 走れなくなったのではないか? いつも取材していて似たようなものが多くなり、新鮮味感がないし、そろそろ引退すべきではないのか? 若い人達にさせたらどうかなど」と考え始めたのです。そして、自分は積極に報道しなくなり、ただ受動的にイベントがある時に報道し、任務を完成する感覚でした。それから『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』の中のある質疑応答を読んだ後、改めて認識することができました。

 「弟子:師父はメディアは神韻に学ぶようにとおっしゃいましたが、管理層は神韻のアーティストは若くて条件がいいのに、私たちは年を取ったし、経験もないから状況が違うと言っています。

師父:(皆笑って)神韻の管理と成功した経験を学び、これを学ぶのではありませんか? 神韻のアーティストが若い人を採用しているのは必要だからです。大法弟子は若い人なら修煉できるというわけではありません。アーティストになるわけではないので、問題ないと思います。いかなる口実も大法弟子が行うべきことを行わないことの理由にはならないのです」

 私はこのように悟りました。「私達のような古い記者は引き続きしなければならず、新しい記者をも育成する必要があります」。イベントが多いため、私達の現地では週末になると、いくつかのイベントが同時に行われる場合もあります。一つの観光スポットや1人の修煉者が、みな1冊の歴史のように沢山のストーリがあります。1人の場合では目が届かない時、これらの事を記録できず流れてしましますので、新しい記者を育成するのが必要です。明慧記者に対して特別に要求されているため、私は投稿の形で報道する現地の記者2人を育成しました。もしイベントが多い時、私は2人に一つずつ担当させイベントの取材をしてもらいます。

 1人の記者を育成するのは容易な事ではなく、彼(彼女)に続けてやっていけるようにすることは、更に難しいのです。ある日、新人の記者は天国楽団のパレードの報道を引き受け、私はもう一つのイベントの報道をしました。朝4時に同修が送ってきた原稿を見た時、私は「お疲れ様です、ありがとうございます!」とお礼を言うと、同修は「翌日に勤務があるため、早く完成しないとニュースではなくなります。最後の時に、身体の調子がよくなく吐き気がしましたが、なんとか克服してやり終えました」。この話を聞いて私の心が打たれました。自分は長年やってきましたが、報道文章をニュースの感覚として真剣に取り組んでおらず、いつも2日目に仕上げていました。これも修煉上において同修との格差の現われです。

 そして、私は同修をしっかりと褒めました。最後に同修は「実は、今回すごく大変でした。今回であなたを手伝うのが最後になると言おうと思いましたが、私を褒めてくれ、止めることが言い出しにくくなりました」

 この事から、海外報道チームの協調人を思い出しました。協調人の同修は私達を責めたことがなく、いつも私達を褒めて育て上げました。なるほど、これらのことも私達が引き続き、やっていかなければならない方法です!

 以上は、自分が明慧記者を務める過程の中でのわずかな会得です。適切ではないところがあれば、同修にご指摘をお願い致します。

 師父に感謝いたします! 同修の皆さんに感謝します!