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引用サイト:明慧ネット
明慧法会|正念を以って人を救うには 胆力がなければならない
 文/中国の大法弟子

 【明慧ネット2018年7月10日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 1997年の春、45歳だった私は急いで馬車に乗り、馬車に皮の敷き物と布団を乗せ、市内の末の妹の家に行き、母親を連れて村に帰りました。

 66歳の母親は骨軟骨ジストロフィーとリューマチを患い、冬には地面からひざの後ろのくぼんだところあたりまで丈のあるトウモロコシ畑を、母親の足ではまたげませんでした。また、腕が曲がり、まっすぐ伸ばせず、手はカシンベック病(中国東北地区にみられる、関節と骨の変形・はれを主症状とする病気)でした。そして、夏は帽子をかぶり、ステテコをはいていました。特に昨年(訳注:2016年)、母親は重病を患い、きわどいところで助かりました。

 末の妹の家に着き、28日ぶりに母親に会いました。28日前は弱りきっていた母親が、別人のように血色が良く、顔がツヤツヤとして元気な姿で現れました。母親の腕も足もまっすぐに伸び、一跨ぎで自分で馬車に乗り込み「今日は寒くないから、布団はかけなくてもいいわ」と言いました。そこで、私は驚いて「母さん、妹はどんな万能薬を飲ませたの? 1カ月も経ってないのに病気がよくなるなんて!」と尋ねました。すると、母親は嬉しそうに「薬なんか飲んでないわよ! 法輪功を練習して治ったのよ!」と言いました。しかし、私は信じられなかったので、引き続き「本当に何の薬も飲んでないの? たった28日間で数十年間の病気がよくなったの? 法輪功はすごいわね! それなら私も練習します!」

 酒、たばこ、ギャンブルをキッパリやめ 法輪大法は私を良い人に変えた

 家に帰り、私は母親と法輪功を練習し、母親は「法輪功は佛家の功法だが出家する必要はなく、世間で修煉します。しかし、たばこや酒、賭博というようなよくない習慣はやめなければだめですからね!」と言われ、私は「わかりました! この法輪功は実に素晴らしいので、必ず練習します!」

 師父は「佛家では酒を飲んではいけないことになっています。酒の徳利を提げている佛を見たことがあるでしょうか?」[1]と説かれました。酒はどちらかというと簡単にやめられましたが、たばこは難しく、師父は説法の中で「喫煙は人間の身体に良いことはまったくなく、長く吸った人は、医師が解剖して見れば、気管も肺も真っ黒になっています」[1]と説かれていましたが、それでも私は我慢できず、ちょっと一服しなければなりませんでした。

 ある日、私は禁煙を決心し、刻みタバコを入れていた袋を屋根に投げ捨てました。それでも我慢できなくなってタバコが吸いたくなり、庭に立って屋根の上にあるタバコの袋をながめていると、それを見た母親が「こんなこともきちんとできないのに修煉しようっていうのかい? 私の息子なら禁煙を決心しなさい!」

 この時、私は「われわれ煉功者は、身体の浄化を目指しているのではありませんか? 絶えず身体を浄化して、絶えず高い次元へ進んで行きます。なのに、あなたが身体の中にそんなものを吸い込むのは、まったく逆行しているのではないでしょうか? そのうえ、それは一種の強い欲望でもあります。悪いと知りながらやめることができない人がいます。それは正しい考えに導かれていないために、簡単にはやめられません。一人の修煉者として、あなたは今日から、それを執着心として捨ててみてください。やめられるかどうかを試してみてください。皆さんに忠告しますが、真に修煉したい人は今からタバコをやめてください。必ずやめられることを保証します」[1] という師父の説法を思い出しました。

 禁煙を決意したその日から、師父が体を浄化してくださり、ノドからキセルの油汚れしたような味がし、大便からも油汚れしたような臭いがしたので、ついにタバコを吸いたくなくなりました。

 私は以前、ギャンブルが特に好きで、新婚の時にも家に帰らず外でギャンブルをし、妻が怒ってしまい、結婚してしばらく経たないうちに離婚しました。そして、家族は誰も私を手におえませんでした。そして、1年中かけて家族が百姓をして稼いだお金を、私が持ち出しギャンブルに使ってしまいました。ある年の正月、大勢の家族と私は1キログラムだけの肉を買い、なぜなら、家のお金はすべてギャンブルで使い果たしってしまったからです。そして、私はギャンブルで捕まり、ある人が家族に伝えると、家族は怒って「彼は放っておこう、連れて行かれてよかった、死ぬほど彼をたたきのめしてほしい、自業自得だ!」

 その時、私は金の亡者と化し、今まで損をしたことがなく、誰も私からうまい汁を吸えず、嫁に行った妹でさえ家に戻って来て、母親の世話をして食事をしたのを見た私は、お椀を奪い取り「嫁入りしたヤツが飯を食いに帰ってくるな!」と憎まれ口をたたき、弟姉妹はみな私にいら立っていました。

 師父は「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです。常人の社会において、人々は奪い合ったり、騙し合ったり、個人のわずかな利益のために人を傷つけたりしますが、こういった心は全部捨てなければなりません。特に、今ここで功を学んでいる人は、これらの心をなおさら捨てなければなりません」[1]と説かれました。私は現在(訳注:2017年11月)ギャンブルの悪い習慣をやめ、妹をかわいがり本当に妹に対してよくしました。

 以前、私は野良仕事がよくでき、人に抑圧されるの好まず冗談ばかり言い、下品な言葉を使い、誰も私を言いまかすことはできませんでした。しかし、大法を修煉してから、ある時、ある人が「あなたは独身男性で跡取りがなく、人生でも跡継ぎなしですね」と罵りました。しかし、私は笑い飛ばしました。「私に子供はいないが、私には衆生がいる」と思い、私は「殴られても殴り返さず、罵られても口答えしません」[2]という師父の教えに従わなければならず、大法に泥を塗るわけにはいかないからです。

 私は井戸を一つ掘り、発電機を付け、皆のために田植えの給水をしました。しかし、皆のために私が井戸を掘ったのを見て、妹は「兄さん、皆のために井戸を掘って、どれだけ電気を使うのよ!」と言われ、私は「もし井戸を掘れば、法輪大法が素晴らしいことを全村民が知り、全村民の生命を救うことができるのだから、電気代がかかることぐらい安いものさ!」

 ある日、村長が私の家に会いにやって来てきました。何人かの人を連れて私の家で師父の説法DVDを見ているのを見て「あなたは煉功する前にまず(自分の田んぼに)水をひいてから煉功してください!」と言われ、私は「まず他の人の田んぼに水をひいて、みんなが引き終わってから私は水をひきます」。すると村長は「あなたは法輪功を修煉してから見違えるほど立派になりました! この法輪功は本当に素晴らしい!」

 真相資料を取って配り 何度も危険を脱した

 1999年7.20、中国共産党が法輪功を迫害し始め、テレビ放送などすべてのメディアが大法を誹謗中傷し、人々を毒害しました。そして、私は大法弟子であり、人々に大法の真相を知らせなければなりませんでした。そこで市内の同修と連絡を取り、真相資料を提供してもらい配りに行きました。

 私の自転車の二つのタイヤはいつでも空気が入っており、いつでも市内に資料を取りに行ける状態にしています。ある時、ちょうど土地をならしている時に電話がかかり、畑仕事を放り出して、自転車に乗って資料を取りに行きました。いつもこんな状態で、畑仕事は心をこめて畑の世話をする時間がありませんでしたが、毎年豊作でした。また、家で飼っている馬には時々餌をやるのを忘れましたが、馬も痩せてはいませんでした。そして私は「三つのことをしっかり行えば、作物もよく育って豊作になり、これは修煉状態と関係があるのだ」ということを悟りました。

 はっきり覚えているのですが、ある時、130部の大法のパンフレットを市内に取りに行ってから、配りに行きました。その後は、毎週、最低400部、どんな大雪が降っても自転車で取りに行き、戻ってきて1人で黙々と配布しました。夏は大雨が降っても取りに行き、市内まで往復60キロの道のりを、1カ月に5回も往復し、「大法の潔白を証明し、真相を伝え続けるのだ」と思い、黙々と配布しました。

 ある時、村役場が人を派遣して途中で私を止めました。自転車の後部座席にはナイロンの袋が載せてあり、自転車の両側には真相資料が入った大きな袋が二つかけてありました。若い2人の警官が私を呼び止め、私が自転車を止めると、2人の警官は私の腕をつかみました。しかし、私が自転車から降りるふりをすると、2人の警官は手を緩めました。その瞬間、私は自転車で走りだし、2人の警官が後を追って来ました。そこで私は「師父! 彼ら2人を追いつかせないでください、人を救うための多く資料を奪われるわけにはいきません!」と師父にお願いしました。30㎝以上の厚さの雪の中を、2人の警官が後を追って来ました。そして、自転車が重くて疲れ果て「彼ら2人を止めてください」と思いました。しかし、心が落ち着かなかったために2人の警官は止まらなかったので、一生懸命自転車をこぎ、2人の警官を撒きました。

 家に着きましたが、安全のために先に家に入らず、資料を畑の中に隠しました。そして家に帰ると、母親が「今日はどうして資料を持ってないの?」と尋ねられ、私は今日起きた出来事を伝えました。そして、後でわかったことですが、あんな大雪の中をあんなにたくさんの資料を運んで、2人の若者に追いかけられ、もし師父のご加護がなければどうなっていたか、まったく想像できませんでした。

 市内に資料を取りに行く時、毎回できるだけ違った道を通るようにしていましたが、ある日、警官に尾行されました。そして、警官はジープで私を追いかけ、私は畑に降りて畝(うね)を自転車で走り抜け、警官はうまく追いつけず怒り出しました。なおも逃げ続け、自転車が乗れない場所では、私は自転車を担いで歩きました。そして、師父のご加護の下、毎回無事に家に帰ることができました。

 『共産党についての九つの論評』ができて以後、1晩で山を越え、500部を配り、空が明るくなってから無事帰りました。そして、市内の同修と切磋琢磨しました。同修は「あなたがすべて配ってはいけません、大法弟子全体で、皆で一緒に配り、さらに多くの人々を救わなければなりません」と言われ、私は同修に会いに行き、最初、同修は恐れて毎回3部とか5部だけでしたが、夜に一緒に配りに行くと、だんだん皆できるようになりました。毎回、私は1人の同修と、1晩に4000部の真相資料を持ち、自転車で8、9カ所の村へ行って配布し、空が明るくなってから帰りました。

 私が自転車で真相資料を配りに行くのが大変だと、市内の同修が見て取り、オートバイを1台くれたので、私は喜びました。しかしある日、オートバイで他村の同修に資料を届けに行く時、同修の家を出た途端に大きな穴に落ちてしまい、同修は私を手伝ってオートバイを持ち上げながら「なんて速いんでしょう、出かけたと思ったらもう姿が見えなくなり、速いなんてものではないですよ、本当に速いと思ったら、大きな穴に落ちていたなんて」と笑われてしまいました。

 十数キロの道のりから帰ってくると、全身がへたばってしまい、オンドルにも上がれず、母親が私をオンドルの上に引っ張り上げると、私は横たわったまま起き上がれませんでした。そこで、私は内に向けて探し、これは顕示心により招かれた禍(わざわい)だったので、法に則って自分を正しました。

 「小さな花」を咲かせ 真相を伝え 知恵で妨害を排除する

 2002年、私は不当に労働教養を科されました。労働教養所では、ある同修はパソコンで真相資料を作ったために迫害されました。「私はまだパソコンでプリントできず、また、ある地区にはまだ真相を配っておらず、もし死なずに戻れたらそれらの地区を補おう!」と思いました。

 労働教養所での2年間の迫害の中で、私の歯はすべて打ち折られ、数々の拷問に苦しめられ、全身が白なまず(訳注:皮膚病の一種)になりましたが、幸いにも師父の弟子であったために、どんな妨害を受けようとも、私の堅い正念を動かすことはできませんでした!

 労働教養所から戻ってから、師父のご加護の下、私はパソコンとプリントをマスターし、他の3人の同修と協力し「小さな花」を咲かせ、資料を制作する拠点を立ち上げ、4人で仕事を分担し、山間地帯の真相資料の制作と配布を請け負ったので、市内に資料を取りに行く必要はなくなりました。

 ある年の7月15日の夜、年配の2人の同修と約束して資料を配りに行き、私は表の街道を行き、同修2人は人の少ない裏通りを行きました。同修2人が恐れて「こんなに月が大きくて明るいのに、できるのですか?」と言われ、私は「師父、弟子は真相を伝えなければならず、月を1時間だけ隠し、弟子が配り終わってから明るくしてください」とお願いしました。すると1時間後、私たちが配り終わって集合した時、同修が「今晩は本当に変です、資料を配っているときは雲が月を隠していたのに、配り終わったら雲が消えました!」

 ある時、私は山に行きある家にたどり着くと、その家の柵を扉にした小さな門は広さが1メートルに満たず、まだ開けられていませんでした。そこで、私は体を横にして庭に入り、明慧週刊を窓台に置き、門から出てくると、ちょうど若者が中に入って行きました。すると若者は私をぐっとつかみ「何をしているんだ?」と尋ねました。そこで私は「真相資料を渡したので見てください、真相がわかれば福報を得られます!」。すると若者は「何の真相だ?」。「あなたの家の窓台に置きましたので、ゆっくり見てもらえればわかります」と言うと、若者は中に入って取りに行き、立ったまま月の光に照らして読み出したので、私は「家に持ち帰って読んでください、ここではよく見えないでしょう、あすかあさってにまた説明しに来ますから」と伝えました。

 大法弟子は言ったことには責任をとります。次の日、私はその家に行き家に入ると、若者の父親が私を見て「何しに来たのですか」と尋ねたので、「あなたの息子さんの問題に答えに来ました」。ちょうど若者の父親に真相を伝えていた時、若者が帰って来て、私が本当にやって来たのを見て、驚いて身をひるがえして出て行きました。

 ある年の春の夜、私はまた真相資料を配りに行き、空が明るくなってから帰り、眠くてどうしようもなかったので、すぐに横になって寝ました。寝始めると、警察署の5人が大きな袋の資料を抱えて私の家にやって来ました。私はちょうど頭を下にしてオンドルの上で寝ていたので、警官が足を引っ張って私を起こしました。私が起きると、ある警官が「これは彼がやったんです、彼の目が赤いのを見てください、これは徹夜して寝ていないからです」。そこで、私はぱっとひらめいて「これならまだいい方ですよ、今日は目が開けられますから。もしスタンガンで打たれたりしたら、普通の人だったら何日も目を開けられませんよ」。この私の話を聞くと、警官たちは身をひるがえして行ってしまいました。

 ある日、郷長も610弁公室の人員で、朝早く、真相資料を持って私の家に私に会いに来て「この資料はあなたが配ったのではないですか?」と聞かれ、「郷長、あなたはやりますね! 法輪功のことで私に報告に来たのですか!」と言うと、郷長は怒って身をひるがえして行ってしまいました。

 また、ある日の朝、誰が真相シールをはがしたのかを見に出かけて行くと、郷長が私を見かけて「あなたが貼ったのですね、だから見に来たのでしょう」。そこで私は「認めなければいい、しかし、それでは真を行ったことにはならない。本当のことを話そう。しかし一方では、彼が私を迫害したら、彼が業を作り犯罪を犯すことになる」と思いました。すると、師父が私に知恵を与えてくださり、「あなたは私が行ったというのですね、天には神がおられ、地には地獄があります!」と言いながら、私は指で天と地をさし郷長を見ると、私が誓ったのだと思ったらしく、身をひるがえして行ってしまいました。そして、安全のために、それからはその村の付近で真相資料を配る時は変装をし、夜に出かけて頭巾をかぶり、腰をかがめ、人にわからないようにしました。

 今年の7月、警察署の警官が村長に会いに来て「『中国共産党第19回全国代表大会』が開かれます、彼は修煉者ですから捕まえなければならず、でなければ安心できません!」と言うと、村長は私を保護してくれ「彼に会う必要はありません、彼は今、家で百姓をしていて、他のことはしませんから!」とかばってくれました。

 以前、警察署の署長が私の家に嫌がらせに来たので、「あなた達が私の家に嫌がらせに来るのは法を犯しており、憲法に反しています。私は何度もあなたに機会を与え、まだあなたを国際悪人リストに載せていません。それは、あなたが真相がわかり、大法弟子に優しく対処し、あなたに福報があることを希望しているからです。江沢民は法輪功を迫害しているので、すでに国際的に大法弟子が30以上の国家から江沢民を告訴しています。それは人道に反する罪とジェノサイドで、もしあなたが江沢民集団に追随して大法弟子への迫害に加担するなら、あなたを明慧ネットで暴露し公表します。そうすれば『法輪功迫害の参与者を調査する』国際組織があなたを調査し、天地の果てであろうと、月日が短かろうが長かろうが、徹底的に調査するでしょう。ナチスの大審判のように、刑務所の門衛が90歳代であろうと入獄の判決を受けたように、執行命令だから、などといういかなる口実や特権も理由にはならず、迫害に加担した者はすべて個人的に責任を負わなければなりません。今日はあなたに最後の機会を与えます。あなたが次に来る時は脱党する時で、そうでなければ来ないでください」とコンコンと説得しました。そして私は署長の服を引っ張って「あなたは脱党しますか? 今日、脱党させてあげましょうか?」と尋ねると、署長は私を振り切って駆けだし、二度と私のところには来ませんでした。

 師父は「大法弟子として、なぜ迫害を受けているときに、邪悪の徒を恐れるのでしょうか? 肝心なことは執着があるということですが、そうでなければ、消極的に耐えるのではなく、絶えず正念をもって悪人を正視してください。たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないようにしてください。皆さんがみな、このようにすれば、環境はこのようなものではなくなります」[3]と説かれました。

 また、師父は「真相を伝え、衆生を救い、これはすなわちあなたが行うべきことです。これ以外に、あなたが行うべきことはなく、この世界であなたが行うべきことはありません」[4]と説かれました。私は師父の教えに従い、自分をしっかり修めなければならず、私に対する師父の慈悲なる済度を無にしません。

 師父に感謝し遥拝(ようはい・はるかに隔たった所からおがむこと)いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」
 [4] 李洪志師父の経文:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』

 (明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)