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引用サイト:明慧ネット
http://jp.minghui.org/2018/06/30/59428.html
衆生を救うプロジェクトで、大法の偉大さを実証する
文/ボストンの大法弟子

 皆さん、こんにちは。私はカナダから米国のボストンに移住し、2005年に修煉を始めた大法弟子です。十数年来、私はずっとボストン市で修煉して衆生を救い、度々の試練と次元の向上を経験してきました。大法と師父に感謝し、RTCチームにも感謝しています。今日、この2年間、法を実証するプロジェクトを展開する中で自分が経験した試練と、心性の向上を簡単に紹介し、皆さんと励まし合いたいと思います。

 2015年のニューヨーク法会の後、師父のご教示か、或は修煉状態によるものかわからないのですが、突然、毎日昼間に出勤し、帰宅後に学法や煉功をし、真相電話をかけることが物足りないと感じるようになりました。以前、地区の幾つかの法を実証するプロジェクトが長い間放置されているのをみて、私は焦りを覚え、協調人が地区全体の修煉者と衆生を駄目にしていると不満を抱いていました。しかし、能力や精力に限りがあるごく普通の修煉者にすぎない私に何ができるでしょうか? 消極的になった私は真相電話をかけることや、神韻チケットの販売に力を注ぎ、少なくとも師父が要求されている三つのことを行なっていると自分を慰めました。

 しかし法会後のある日、突然、ある一念が私の脳裏に浮かんできました。もしボストン地区の多くの衆生が大法弟子が精進していないために救われなければ、それは協調人だけの問題ではなく、大法弟子全員が責任から逃れることはできません。しかも協調人も修煉者であり精力に限りがあるので、満遍なく気を配ることはできないはずです。未来の大審判の際、私は協調人がすべきことを指摘しなかったことを理由に責任を回避してはいけません。「協調人がしなかったことに対して、あなたは何を補いましたか?」と神に問われるかもしれません。修煉は自分に対して責任を負い、自分が救うべき衆生に対しても責任を負わなければなりません。

 この点に気づいてから、私は自らプロジェクトを担当しようと決心しました。しかし法理を悟ってから行動に移すまで、私は数カ月ほど心の葛藤を経験しました。常人の心を放下し、個人の利益を放棄する過程は苦しいものでした。一旦この道を選べば、未来の修煉はきっと辛さと挑戦に満ちていると分かっていたからです。安逸で心地よい生活はもうないでしょう。現実もその通りでした。師父のご加持の下で、その後の2年間、私は主流社会と州政府に向けて幾つかの真相伝えのプロジェクトを展開し、同時に地元の同修の協力でハーバード広場で真相を伝える拠点を立ち上げました。以下において、ハーバード広場で真相を伝えるプロジェクトについて皆さんにご報告します。

 2016年7月20日以前、私はハーバード大学を対象に真相を伝える活動を行ないたいと思っていました。ハーバードは世界に知れ渡る有名な大学として、長年ずっと中国共産党の海外への浸透の重点大学でした。しかもハーバードの影響力が全米の各業界に及ぶので、そこの教授や学生、職員たちは私たちが救うべき対象です。地元の同修たちはすでに何年もハーバードに対して真相を伝えてこなかったので、残りの時間は補うチャンスだと私は考えました。2016 年7月末のある日、私は数人の同修と一緒にハーバードの三つの校門の前で、同時に真相を伝え始め、多くの縁のある人に出会いました。その後、ある同修は「ハーバードでの真相伝えは非常に重要なので、今後も続けましょう」と言ってくれました。

 ハーバードに真相拠点を開いた当初、地元のもう一カ所の大学での真相拠点がひどく妨害されました。私は多くの同修がハーバードの新しい拠点を心配し、その継続について懐疑的であると感じました。私は衆生を救うことが一番大事で、妨害を認めてはならず、師父も旧勢力の妨害を傍観される筈がないと考えました。たとえこの真相拠点に私しかいなくても、必ずやりぬこうと思いました。なぜなら、これは衆生を救うために必要であり、師父の要求だからです。

 師父のご按排だと思いますが、ハーバードの真相拠点ができて間もなく、中国からきた2人の同修が自らハーバード大学での真相伝えを担当したいと言ってきました。週末はフルタイムで働いている同修たちが担当するようになり、その後続々と他の同修も加わってきました。以来、ハーバード大学の校門前の真相拠点は定着しました。特に夏の旅行シーズンになると、ほぼ毎日、同修たちはそこで真相を伝え、衆生を救う誓約を果たすようになりました。

 正法が推し進められるにつれて、私たちに対する衆生を救う要求もますます高くなってきました。街で真相資料を配るだけでは不十分で、その都度臨機応変に真相をしっかり伝えていくことに力を注ぐべきだと感じました。2017年7月20日、私はハーバード広場で迫害の停止を呼び掛ける集会を開きました。その時はちょうど神韻交響楽団の販促活動期間中だったので、神韻の人的資源をできるだけ使わないようにするために、今回の活動の許可申請からスケジュールの決定、司会者のスピーチの原稿、音響設備の設置、真相資料の準備、観衆の動員、そして車両の運送まで、私は自ら手掛け、準備過程で1人の西洋人同修と家族(同修)に協力してもらいました。このような活動を自ら手掛けるのは初めてなので、私は手違いを心配し、さらに参加しに来る同修が少なければ集会が閑散になってしまうのではないかと考えて、大きな圧力を感じました。とにかく本番の2週間前、私はずっと高い緊張状態に陥り、心身ともに疲れ切ってしまいました。「しかし、最後のこの時間は師父が巨大な犠牲を払って引き伸ばしてくださったものなので、時間を大切にして、できるだけ多くの衆生を救うべきだ。それに真に修煉する大法弟子なら、こういう時に責任を負う勇気があるはずだ。神々は見ておられる」と自分に絶えず言い聞かせました。

 集会日には30人ほどの同修が来て、普段あまり表に出てこない同修もその日の真相伝えの主力になりました。活動を通じて、私たちはテレビ局の編集長、会社の重役、ハーバード大学の学生や教授、中国の人々、各国の観光客に接することができました。彼らの多くは私たちが伝えた真相によって自分の未来に対して正しい選択をしました。その時、私は改めて挑戦を前にして、師と法を堅く信じることの重要性を知り、正念が全てを変え、奇跡を現すことができると実感しました。また、全体を円融し、不平不満を言わず、自分の耐える過程が次元の向上する過程であり、衆生が救われるために払うべき犠牲でもあると考えました。その日の早朝は曇っていましたが、活動が終わる頃には晴れてきて、皆は他の空間が大法弟子によって綺麗に整理されたと感じました。

 ハーバード広場での今回の活動を通じて、私は再び地元の衆生を救うことの緊迫性を感じました。ちょうど2017年のニューヨーク法会の期間中、私は英語によるメディアの交流会に参加し、オーストラリアの同修が発表した、真相映画によって現地の主流社会の人々を救う成功事例を聞きました。その場で、私はボストンでも映画セミナーの形でより多くの主流社会の人々に真相を知らせることができればと考えました。今回の7月20日のハーバード広場での活動の成功を機に、私はまずハーバード広場の映画館から試してみようと考えました。

 そこで、私は以前協力してくれた西洋人同修と一緒にハーバード広場にある知名度の高い映画館に連絡しました。申請後、相手の態度が曖昧だったので、西洋人同修は映画館が中国共産党に買収されたのではないかと疑っていました。希望を失いかけた時、映画館から非常に良い時間帯での放映許可の通知を受け取りました。幸運だと思いましたが、実は全ては師父が按排して下さったことで、私たちの正念が試されていました。その後、私たちはチケット販売の問題に直面しました。主流社会の人々に厳粛な人権問題がテーマの映画を見せるので、無料チケットの提供では特定の観衆を引きつけることができません。チケットを売るのが肝心ではなく、正しい観客層に映画を見せることが大事でした。

 技術面において、オーストラリアの同修がいかにネットという媒体を通じて社交界にチケットを売り込んでいくかを教えてくれました。しかし、恐怖と焦りがずっと私に付きまとっていました。100席あまりの劇場に数人の観衆しかいなければ、大法弟子が応援にきてくれたとしても、舞台にいるゲストがガランとした劇場を見下ろす場面を想像する度に私は怖くなり、放映日を遅らせようとも考えました。また、そのような気まずい場面になることを恐れて、ゲストを招聘したことを後悔しました。この状態が妨害だと知りつつ、どうすれば自分のマイナス思考を追い払い、自我に勝ち抜くことができるか分かりませんでした。その時、「内に向けて探すことは最も有効な方法です」[1] という師父の説法を思い出した私は心を鎮めて、自分の恐れの根源を探してみました。「この事をきちんと行なえず、衆生を救えないと恐れているのか?  あるいは万が一失敗したら、損失を出すだけではなく、同修やゲストの前でメンツを失うことを恐れているのか?」と。法に則って問題を分析した結果、私は自分の根本的な執着心に気づきました。それは自我を実証する心で、自分の自尊心を保護し、傷つけられたくなく、名利情に執着していたのです。このような不純な心を持っていて、どうして正々堂々と衆生を救うことができるでしょうか?  そこで、私はメンツを失っても金を賠償しても、個人の一切の損失を放棄しなければならないと自分に言い聞かせました。自分を浄め、全力でやっていけば、旧勢力はきっと私の隙に乗じることができず、師父も私を加持され、奇跡が必ず現れると考えました。

 最後の10日間、私は自分を最良の状態に調整し、内心の静けさを感じ、あれこれを心配したり恐れたりしなくなりました。少しでも動揺の念があればすぐに正念で自分を正しました 。実際、私たちのチケット販売に対する妨害は初めから大きかったのです。開演日の1週間前、わずか3枚のチケットしか売れませんでした。そのうちの1枚は私が家族に買ってあげたものでした。 YouTube の広告が撤回され、公共テレビでの広告も再三遅延されて2日間しか流してもらえませんでした。主流社会に送った招聘状は形式や内容がプロらしくないため、1週間経っても誰もチケットを買ってくれませんでした。私はこの全ては仮相で試練だと自分に言い聞かせました。私達の販促戦略は正しいので、多くのお金をかけたからといって衆生を救う効果が必ず得られるとは限らず、無料提供のチケットもきっと相手は大切にしてくれません。私はやるべきことを着々と行ない、他は全て師父の按排に従おうと考えました。最後の1週間、地元の数人の同修も手伝いに来て、一緒に招聘状を送ったり、主流社会を訪ねたり、主流社会が集まるところで販売広告を出しました。その数日間、私の心は空になり、ただ一つの念だけがありました。実践の中で、必ず『洪吟二』の「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[2] という師父の法を実証したかったのです。

 ちょうどその時、家のキッチンのリフォームに手違いがあり、業者からやり直しが必要だと知らされました。これもまた妨害だと思った私は気にせず、プロジェクトを完成してから考えようと思いました。また、その間師父は他の空間で私を大きく加持して下さったと感じました。通常より、私は煉功する時間がなく、学法も少ししかしていなかったにもかかわらず、正念と身体の状態は少しも妨害を受けることがありませんでした。会社でも2週間ほど、私が管理していたシステムに何の問題も起きず、技術指導を依頼に来る人もいませんでした。そこで私は多くの時間的余裕を持つことができました。全ては私が使命を完成するために師父が他の空間で按排してくださったのだと思います。

 映画が放映される前の最後の週末、同修は13人がネットでチケットを買ったと電話で教えてくれました。「法の威力がいよいよこの空間で現れた、頑張ろう!」と私は思いました。放映日の早朝、映画の宣伝ポスターの貼り付け状況をチェックしに劇場に行った私は、劇場のマーケティングマネージャーに会いました。彼は映画のプロモーションビデオを見て、震撼を受けたと言いました。彼は腰の怪我で当日の夜は劇場に座って映画を見ることはできないが、全力で私たちを支持し、真相映画のHPを劇場のファンたちに送ると言いました。最後に彼はこう言いました。「私の腰の怪我はあなた達法輪功修煉者が受けて来た苦痛に比べると、何ものでもありません」。それを聞いて私は「今夜、何人の観衆が来ようが、この活動は無駄ではなかった」と思いました。しかも、夜の映画の放映はきっと予想もつかない結果が出てくるという予感がありました。

 開演30分前、100席余りの劇場に80〜90人ほどの観衆が座っていました。一階には席がなく、二階に上がる観衆もいました。応援しに来た少数の同修を除いて、大多数は常人で、医者もいれば学術界のエリート、人権組織のメンバー、映画製作者、一般市民、そして高校生もいて、中国人留学生もいました。無料チケットで入ってきた一部の学生を除いて、全体の3分の2の観衆はネットまたは劇場でチケットを買っていました。多くの観衆は放映後の英語の討論会に参加して、州議会で臓器狩りを制止する法案を通すことに協力すると言いました。私たちの映画の放映は成功し、肝心な時に師父が加持してくださったのでした。

 当日、スピーチをしてくれたゲストの1人のディビットさんはこう言ってくれました。「この間、あなたは活動に来るのは恐らく数人しかいないと言いましたが、実際は全然違っていました。これだけ多くの人が映画を見に来ているので、あなたは自分自身、そして今回の活動に対して、もっと自信を持つべきです」。師父がディビットさんの口を借りて私を励ましてくださっていました。師父と大法に対する正しい信念を最後まで持ち続けることが成功の鍵だと私は思います。活動を通じて、多くの同修は衆生を救う大法の威力を目にしました。常人の観衆も握手を求めに来て、活動の開催に感謝し、大法弟子でなければ、この社会の誰もこのような活動を行なうことがないので、続けて頑張ってほしいと言ってくれました。その時、私は今まで払った犠牲や耐えた苦しみは無駄ではなかったと実感しました。

 その後、ショートメッセージで活動の成功を祝ってくれる同修もいました。救われた衆生たちは自分の未来が保障され、彼らは最も喜ぶべきだと思いました。私にとって一番喜ばしい事は、衆生を救うことによって威徳を積んだ事ではなく、実践を通じて師父の法の偉大さを実証したことです。その間、自信がなく、慌ただしく、孤独感に追われていた自分は、自信に満ちて正々堂々と困難に立ち向かうように変わりました。法の偉大さは紛れもない事実です。我々に必要なのは、それに対する信念と実践していく勇気です。そして、その実践と向上の過程こそ修煉者にとっての真の宝です。時間が迫ってきているので、この機会に、より多くの同修が肝心な一歩を踏み出して、人間の全ての憂慮を切り捨て、自ら衆生を救うプロジェクトを担い、大法の偉大さを実践、実証し、実感してほしいのです。正に師父が『二◯◯四年ニューヨーク国際法会での説法』で言われた通りです。「皆さんがいくら多く払っても、将来得るものと正比例をなすことができません」[3]

 最後に、補足ですが、活動を終えた翌日の朝、建築会社は自分たちのミスで私の家のキッチンのリフォームを間違えていたと認め、無償で再リフォームを行なうと連絡してきました。全ての妨害はやはり仮相で、肝心な時に私の正念を試すためのものだったのです。最後まで正念を持ち続けることができれば、師父はきっと難を解消してくださいます。最後に『轉法輪』の一節をもって、皆さんと励まし合いたいと思います。「『忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる』。実際その通りです。皆さんは帰ってからぜひ試しにやってみてください。本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試してみてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと『柳暗花明又一村』というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません!」[4]

 皆さん、ありがとうございました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (2018年ワシントンDC法会での交流原稿)