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引用サイト:明慧ネット
http://jp.minghui.org/2017/06/04/53901.html
青年大法弟子をしっかり導く
文/中国の青年大法弟子

 【明慧日本2017年6月4日】この数年間、昔の子供弟子はみな大人になり、青年大法弟子になりました。しかし、社会人になってから、常人の大きな染め物がめの中で汚染されてない人は少数です。しかし、彼らの多くは親と一緒に法を得たのです。これらの若い大法弟子が精進しないと人を救う効果だけではなく、一部は親の修煉にも影響を与えます。

 若い大法弟子に対するこのような妨害と迫害は非常に不明瞭で、病業や、不当に身柄を拘束されることほど明らかではありません。情の要素が絡んでいるため、もし親が警鐘を鳴らすことを緩めたら、表面的な虚像に戸惑いやすく、気付いた時にはすでに挽回できないかもしれません。

 青年大法弟子と彼らの親(修煉者)との縁は比較的に特殊であり、多くの場合、互いに修煉状態に影響します。もし親の同修が非常に精進すれば、受ける影響が少し小さくなりますが、もし情がわりと重ければ、影響を受けやすくなります。青年大法弟子にも師父と交わした誓約があります。もし誓約を全うできなければ、同様に恐ろしいことです。それは異なる次元の天体の壊滅と無量の衆生に死をもたらします。その苦痛と悔しさは永遠に補うことができません。師父は巨大な忍をもって、時間を遅らせており、青年大法弟子が早く精進することを待ち望んでおられます。同時に周りの同修に青年大法弟子の修煉を督促する機会を与えています。

 多くの場合、親同修は「仕方ない、言っても聞いてくれない、好きなようにしろ」と言っていました。ひいては彼らは次の段階の修煉者で、法を正す時期の大法弟子ではないと言います。これらの昔の子供弟子の多くは1999年前に法を得たのに、どうして次の段階の修煉者なのでしょうか? それに現在、新しく入ってきた大法弟子の多くも三つのことをしっかり行なっているのに、彼らはなおさらしっかり修煉すべきではないのでしょうか? さらにいつ大法修煉をはじめた大法弟子であっても大法がまだ中傷され、世の人々の多くが法輪功の実態が分からない環境下で、しっかり学法し、大法の素晴らしさを人々に伝えるべきではないのでしょうか? じっさいに情の要素が働き、親同修は多くことに惑わされました。

 これらの昔の子供弟子は幼いころ、心の中に「真・善・忍」の種を撒きました。しかし、成長の過程で学法が足りず、精進しなくなりました。学法が足りなかった原因の多くは迫害に影響されたためです。親同修が不当に刑務所に拘禁されたり、経済的に迫害されたため、彼らの面倒をしっかりみることができませんでした。修煉の基礎がしっかりしていなかったため、青年大法弟子は常人社会の環境に直面した時、社会の波に流されるのは非常に容易いことです。しかし彼らはなんと言っても常人の観念が比較的少なく、もし学法を多くし、同時に内に向けて探し、自分を着実に修めれば、その変化は非常に速いものです。まったく学法しない昔の子供弟子だとしても、彼らを手放してはいけません。本当に親の情を放下し、彼らのために力を入れて発正念をして師父の按配された道を歩めるよう、彼らに会う度に法輪功の真相をしっかり伝えれば、それを持続すれば、必ず彼らを呼び覚ませます。実際のことは師父がやっておられ、師父はただ大法弟子が揺るぎない心をもつことを望んでおられます。

 もちろん周りの同修として、同様に青年大法弟子と一緒に交流し、共に向上する責任があります。これらの大法弟子が全体的に向上すれば、私達全体もさらに完全になり、未来の宇宙はさらに豊かになり、それにより接触できない多くの衆生も救われます。

 私自身もこの状態を体験しました。幼い時、親族の影響で法を得、大法が無実の罪を着せられた時に学法が足りず、数年間常人と混同していました。しかし師父と同修らは私を手放しませんでした。師父はずっと私を見守ってくださり、いろんな方式で私を悟らせ、一回また一回と改めてしっかり行う機会を与えてくださいました。親族は私と一緒に学法をし、周りの同修もよく私を促してくださいました。これらの励ましがあったからこそ、私は絶えず前進できました。それほど精進しなくても、学法をし、着実に修めながら、回帰の道を進んでいます。

 師父におかけしたご苦労と同修の手助けを思い出すたびに、私は涙があふれ、心の底から感謝の気持ちで一杯になります。ですから、同修は忙しい中でも、青年大法弟子を取り残さないように、真心で対応してくださることを望みます。彼らがどのような表現の仕方をしたとしても、生命の深い部分では分かっている一面があり、彼らの衆生の主も彼らが精進し、この万古の機縁を見逃さないようにと願い、待ち望んでいます。


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/27/348768.html)