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引用サイト:明慧ネット
http://jp.minghui.org/2018/09/06/56161.html
明慧法会|私は留置場で「大王」である
文/広東省の大法弟子
【明慧日本2018年9月6日】 慈悲で偉大なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは! 2012年10月、私は「610弁公室」の警察官に不当に連行されました。そして、不当に留置場と洗脳班に拘禁されていた間、絶食し、水を絶って迫害に反対しました。野蛮な灌食や刑務所に拘禁されたり、昼夜ぶっ通しで騒音による迫害を受け、スタンガンで電撃され、強制的に各種の足かせと手かせをかけられるなどの拷問を受けました。 当時、私は大法に出会い修煉を貫いて3年余りでしたが、学法が少なかったために、旧勢力の按排を全面的に否定しませんでした。ひどい迫害の中で無駄な道を歩み、心をえぐられ骨にまで突き刺さるような苦しみを経験しました! しかし、師父の慈悲なるご加護の下、私ははね起きて歩き続けました! 師父は「忘れてはいけないのは、法を正す時期の大法弟子よ、皆さんは法を実証するために来たのです! 修煉は苦しいのですが、法を実証する中で邪悪は更に邪悪になっているので、乗り越えられる人はきっと衆生の王になります」[1]と説かれました。 苦しみを受けた後、私は迫害されるという観念を取り除き、自分を法を実証する「衆生の王」に変えなければなりませんでした。ここでは、留置場に拘禁された時に正念正行で衆生を救い、洒洒落落(しゃしゃらくらく・物事に対して執着がなく、言動、態度、性格などがさっぱりしていること)としていて大王となった経験の一部を同修の皆さんと交流したいと思います。 座禅を組んで煉功し「法輪大法は素晴らしい!」と叫ぶ この時は、警官に連行された後、私は昼夜ぶっ通しで取り調べを受けたのですが、何も供述しませんでした。そして次の日、私は留置場に送られて拘禁されました。そして、留置場の庭に突き進むと「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と声高らかに叫び、留置場の監舎の前に立ち、最もはっきりと、最も開豁(かいかつ・広々として眺めのよいさま)とした場所で煉功しました。それからは、煉功したい時はいつでも煉功し、随時、随所に正念を発しました。 朝でも、昼でも、夜でも、数人の警官が巡回に来たので、その度に私は警官たちに向かって「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と声を上げました。最初、警官たちはすぐに駆け寄ってきましたが、そのうちに元の所に立ったまま、私が叫ぶのを聞き終わると去って行くようになりました。 ある警官が私と話をし、警官は私を拷問用の小さい椅子に座らせました。私は小さい椅子をいくつも重ね、正常な椅子の高さにしてから座りました。すると、警官は笑顔をこぼしながら「あなたは留置場の規則と規律を遵守しなければなりません」と言いました。そこで、私も笑顔で「私は師父のおっしゃることしか聞きません」と言いました。すると警官は「それなら、あなた達の曾主管が戻って来たら、機嫌を悪くするでしょう」と話を続けました。留置場内にいた人も「警官の曾をなめてはいけません、あなたが今のように煉功し、声高らかにスローガンを叫んでいると、彼女が戻って来たらあなたを放っておかないでしょう・・・」と私に教えてくれました。 ある日の午前中、留置場に拘禁されてい全員がグラウンドにきちんと並んで座り、主管警官が巡回に来るのを待っていました。そして、大きな鉄製の門が突然猛烈な音を出すと雰囲気が一気に緊張し始め、ある人が急いで「曾主管が来ました」と叫びました。そして、グラウンドはすぐに水を打ったように静まりかえりました。 私はまさに人々の中に座り座禅を組んで片手立掌し、姿勢正しく座って正念を発しました。その時の私の容貌は自然体で心優しく、しかも、心の底から限りない慈悲が生じていました。 勢いをふるっていた共産党はまったく声を発しなくなり、しんみりとして解體されました。 私が正念を発し終えると、この主管は事務室に来て自分と話をするように、要求しました。そして、私が事務室に入って行くと、主管は片足で「ぱんっ」と目の前の椅子を踏み、私を拷問用の小さい椅子に座らせました。 私は「あなたの足を椅子の上からおろしてください、もし足を下ろさないのなら、私は床で煉功します」と言うと、主管はちょっと考えてから「煉功してください」と言いました。 私が床に座り双盤で座禅を組んで印を結び発正念をすると、主管は独り言のように「あなたが来て、留置場全体をすぐにひっくり返してしまったことは耳にしていました! さっき会った時、私が何を感じたかわかりますか?」 。そして、主管の口調は優位性を保った口調から、突然賞賛へと変わり「それは、重々しさ、優雅さ、崇高さ・・・」と言いました。 なぜかわかりませんが、主管は「留置場内でスローガンを叫んではいけませんが、広庭に言って叫べば、みんなに聞かせることができます!」と私に伝えてくれました。私が拘禁されている監舎に来た時、いつも主管は監舎の大きな鉄製のドアを開けたので、私は庭でスローガンを叫びました。当然ですが、私はこの機会を放棄せず、すぐに広庭に行って「法輪大法は素晴らしい!」と大声を上げました。歩きながら声を上げ、人に会うと叫びました。 私は「大王」になる その後、この主管が別の監舎に移ってから、この監舎の主管は陳という姓の主管に変わりました。そして、監舎の雰囲気は前の主管の時と比べて、わずかに異なりました。 留置場内のある大柄な人が口を開けば「朕(訳注:皇帝の自称)」と自称しており、朕は、自分に皇帝の肩書を付けていました。まさに笑えましたが、ある人が私に「何になりたいですか?」と聞きに来ました。そこで、私は少しもためらわずに「私は大王になります!」と言いました。 その「朕」は耐えられなくなり「どうして、あなたが大王になれるのですか?」と大声を出しました。そこで私は「腕相撲しましょう!」と言い、私はスリムな腕を挙げて、みんなと腕相撲をしました。すると、8、9人に対して連勝しました。すると「朕」は心から敬服して「退位」し、私が大王になりました! 群れからはぐれた1羽の雁と無料弁護士 私は留置場内の壁に絵を描く責任をとっていました。以前の監舎に拘禁されていた時に、大型の菜の花を描きました。すると、みんなが「この絵は癒されます、一目見るだけで心がのびのびとして気持ちがいい」と言いました。 私は壁に飛び立とうとしている9羽の雁を描き、4カ所に分けて描きました。監舎に明明(仮名)という1人の女性がいて、私が絵を描くのにずっと付き添っており、私たちは深い縁で結ばれていました。私が壁に最後の1羽の雁を描いたのを見て、明明は私に「どうして最後は1羽だけしか描かないのですか、一人ぼっちじゃないですか?」と尋ねました。ちょうど絵を描き終わった時、曾という姓の主管が突然「監舎から9人を移し、4カ所の監舎に分ける」と宣告しました。そして、明明だけが最後の監舎に移されたので、明明は大声で泣きながら、あの群れからはぐれた雁が自分であり、私がそのはぐれた雁の明明を描いたのだ、と言いました。 数日後、明明が監舎の入口に満面に笑みをたたえながら現れ、なんと、最後のあの監舎は「出張監舎」でした。明明は「出張」(監舎の外で雑用をし、留置場の庭を自由に行き来することができる)になり、その仕事は留置場に拘禁されている人にとって、どうしてもやりたい憧れの的の「仕事」でした。そして明明は「あの雁を描いてくれてありがとう、本当にすごいわ! 何か手伝ってほしいことがあれば、必ず出来るだけのことをするわ」と言ってくれました。 そして、明明は本当にいろいろ手伝ってくれました。振り返って見ると、すべてが師父の素晴らしい按排によるもので、弟子のために家に帰る道を敷いてくださったのです! ある日、不当に拘禁された修煉者のために、同修が弁護士に依頼した文章を明慧ネットで見たことがあることを、突然思い出しました。私は修煉を始めたのが遅く、関係文章をまじめに読む時間がなかったため、弁護士のことも全く考えになく、ただ「同修が弁護士を依頼しているのだから、私も頼もう」と思いました。しかし、何を頼めばいいのかわかりませんでした。それは縁があれば弁護士に真相を伝えることでしたが、さらに、最も良いのは弁護士界に真相を伝えることでした。 そこで、大法弟子が不当に拘禁されたら弁護士を頼み、弁護士にも真相を伝えて救いたいと思いました。それならば当然無料であるべきだと思いした。もちろん、無料であっても弁護士としての素質は高くなければならず、社会に対する影響力もあるべきだと思いました! 常人の「礼を受ければ、礼を返さねばならない」という理を考え、その時になったら、弁護士のために絵を描こうと思いました。 警察官に連行された時、ちょうど私は夫の車に乗っていました。そのため夫も一緒に連行され、留置場に拘禁されました。子供はまだ小さく、誰も私のために弁護士を依頼できないので、私は「自分で無料の弁護士を依頼しなければならない!」と決心しました。 留置場にいる身でありながら、さらに自分で無料の弁護士を見つけ、どのようにして頼んだらよいのでしょうか? これは、常人であれば、誰にとっても夢のような話です。しかし、私は師父を信じており、師父は「『修は己にありて、功は師にあり』なのですから、あなたにそういう願望があれば充分です」[2] と説かれました。 私がそのように決心した途端に、麻薬犯の女性がここへやって来て「姉さん、弁護士を頼むのですか? 私が頼んだ弁護士は素晴らしく、共青団長や裁判官を経験し、今は弁護士をしています」と教えてくれました。そこで私は「それなら、その弁護士に頼みましょう」と言いました。 麻薬犯が弁護士の住所を教えてくれたので、私はすぐに手紙を書き、監舎の主管の警官に、手紙を出してくれるように頼みました。すると、主管の警官はおかしそうに「これは夢か何かでも見たのですか? 麻薬犯の言うことをあなたは信じるのですか?」と言われ、私はとにかく手紙を出してくれるように頼みました。規定によればこのような手紙を出すことは出来なかったのですが、主管は請け負ってくれ、私のために手紙を出してくれました。 数日後、この弁護士が本当に留置場に私に会いにやって来ました! その弁護士に会ってみると、その弁護士の背景にあるものはとても非凡であると感じました。話をしているうちに、その弁護士が共青団長を務め、裁判官を務めてきたことがわかりました。弁護士は「あなたの手紙に見込みがあるのを感じたので、会いに来ようと思いました」。そして、さらに「私の弁護費用はとても高く、初期費用だけで何万元もかかりますよ! でも安心してください、無料であなたの弁護を引き受けます。全過程において弁護を担当するので、あなたの受ける損失は最も少ないものとなるでしょうね」。そこで私は「それでは、あなたは何を要求なさいますか?」と尋ねました。すると弁護士は「あなたは絵が描けるでしょう、だから、絵を描いてくれればそれでいいですよ」。そして、次に弁護士が来た時に、弁護士を 召喚するための関係書類を持って来たので、私は正式に弁護委託書にサインしました。 このように十数日という短い時間の間に、夢のような考えがすべて実現し、報酬として絵を描くというような細かいところまで、私が考えたことと完全に一致していました。師父は「心性の高さは功の高さ」[2] と説かれました。師父の慈悲は無辺で際限がありませんでした! このことは留置場内を大変驚かせ、私が費用のかからない弁護士を頼んだことを、他の監舎の人でさえ知っているほどでした。 宇さんの物語 私たちが拘禁されていた監舎には「福」がありました。生活用品が欠ければ、みんなで助け合って集めてそろえたので、新しく来た人は驚き、ある人などはあまりに感動して泣き出しました。その人達が泣き出したのは、その人達のわかっている一面が、救われなければならないことを知らせたからです。 みんなとの関係がうまくいくと、真相を伝えることも自然に便利になりました。時には、みんなと笑い、話し合いながら「三退」を勧め、さらには「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を覚えさせ、このようにして、縁のある衆生は静かに真相を理解し次々に「三退」していきました。 私は真相を伝え、師父の『論語』を書き写して覚えさせ、また、さらには書き写させました。すると、その人はすぐに暗記し、まじめに書き写しました。数日後、その人の老眼は正常に回復しました。その人はカナダ籍の中国人で「カナダに帰ったら、必ず法輪大法を修煉します」と言ってくれました。そして、まじめに「私は心から、あなたをここの大王だと認めます!」とまで言いました。 ある日、宇さんという麻薬犯がやって来て「姉さん、私に法輪功の修煉を教えてくださいませんか?」と尋ねて来ました。そこで私は「ここは留置場ですけど、怖くないのですか?」と尋ねると、宇さんは「少しも怖くありません、すぐに刑を科されたとしても恐れません!」。そこで、私は心から敬服し、修煉をしたことがない常人が、このような場所でこのような正念を持つことが出来るということは、本当にすごいと思いました! そこで私は「本当に修煉したいのであれば、麻薬をやめなければなりませんが、できますか?」と尋ねました。すると、宇さんは何も言わずに、黙ってここを離れて行きました。 ある日の午後、外から戻って来た宇さんが嬉しそうに「姉さん、さっき主管が外でタバコを吸わせてくれて、手にタバコを持つと師父に申し訳ないと思いました。でも、主管自らがタバコを吸わせてくれるとは思わなかったので、どうしても一口吸ってしまいましたが、それ以上は吸うことが出来ず、その場でタバコを捨ててしまいました。法輪功は素晴らしいです! ここでタバコをやめることが出来たのですから、出所してから私は必ず麻薬をやめます!」と言いました。 私はあまりに震撼し 涙を流す 私は自分で書いた真相資料を宇さんに見せました。宇さんが私の隣に座り、私は正念を発して空間場をきれいにしました。すると間もなく、宇さんの体から黒い汗の粒がびっしりと出て来ているのに気付きました。それはまるで汚れたガソリンのようでした。宇さんが「頭が痛い、割れそうです」と言ったので、師父が宇さんの体を浄化してくださっているのだとわかりました。少し痛みがほぐれてきてからの宇さんを見ると、宇さんの体は黒い汗の粒でいっぱいでした。 次の日、ある女性が心配そうに「あなたは彼女に何を読ませているのですか? 彼女があの本を取り出してから、体からガソリンの臭いが発して、臭くてたまらないんだけど隠れる所がないのよ」と尋ねてきました。宇さんの体から黒い汗が出ているのは、ガソリンと関係があるのかもしれない、と私は思いました。そこで私は「あなたはガソリンと関係のあることをしていたの?」と尋ねました。すると宇さんは、かつて酔っ払い運転をした時に、一家3人を引き殺し、ガソリンタンクが砕けてその一家3人はガソリンに浸かってしまった、と伝えてくれました。そして、その車がボーイフレンドの車だったので、彼の家では大金を使った上に、ボーイフレンドは宇さんの罪をかぶり刑務所に入れられました。でも、宇さん自身には何事もなかったというのです。ここ数年、宇さんは麻薬のために何度も刑務所に入れられ、良心にさいなまれていたので、法輪功を修煉したいと思ったのです。 私は「あなたが法輪功を修煉するのは、逃げるためですか?」と尋ねると、宇さんは「私は心から修煉したいです!」。そこで私は「3人の命を体に背負っているのですから、修煉はとても苦しいはずですよ!」と言いました。すると宇さんは「どんなに苦しくても怖くありません!」 。そう言い終わるか終らないうちに宇さんは突然「お腹が痛い」と叫び出し、急いでトイレに駆け込みました。その後、2日連続で腹を下しました。そして同時に頭痛を伴う高熱を発し、高熱のために意識がもうろうとしました。 宇さんが目覚めた時、私は宇さんに「あなたは今はまだ煉功していませんが、もし耐えられないようだったら、病院に行くことも出来ますよ」と言うと、宇さんは「耐えられます」と言って、再び気を失ってしまいました。私はずっと宇さんのそばで見守り、宇さんの手足と顔の汗を拭きとり、宇さんのために正念を発しました。 留置場の医者が宇さんの体温を計るとすぐに、武装警察病院に入院するよう要求しました。そこで私は宇さんのために服や必要なものを準備し、師父の『洪吟』「修行の路は苦に非ず 生生世世の業力が阻む 思い切って業を消し、心性を修め 人身を永く得れば是れ佛祖」[3] を紙に書き写して、宇さんに手渡しました。 病院に入院する前、宇さんが私に43度の熱だということを警官がコソコソ話しているのを聞いた、と言い、さらに「恐れる必要はない、あと1週間で何事もなくなる」と師父が伝えてくださった、と言いました。私は愚かしくも「43度?」と絶句してしまいました。私はこれまでに誰かが43度の高熱を出したことを聞いたことがありませんでした。 1週間後、宇さんが病院から帰って来て「姉さん、私は本当に1週間高熱を出し、毎日姉さんが私のために書いてくれた、あの詩を暗唱していました。今日、熱が引いたので戻されました。法輪功は本当に素晴らしいです! 家に帰ったら、必ず法輪功を修煉します!」 1週間という短い間に、この生命は新しい命を得たのです! そして、私は明明のために心から喜びました。 師父に中秋のご挨拶を申し上げます! 中秋節が近づき、りんごを1箱買うことが出来ればいいと思いました。そこで、監舎の人は全員家にりんごの購買券を送りました。その結果、私は1箱だけりんごを買うことが出来、中秋節の前に届きました。私は拘禁されて1年近くになりますが、初めて80個入った大きくて新鮮なりんごを買うことが出来ました。 以前に私は家から送られてきた服の入った荷物を受け取りました。中には黄色のストレッチパンツや白い綿のシャツ、赤い布靴などが入っていました。留置場にはこのような手の込んだ服や靴を送ることは難しいのですが、なんと、息子が弁護士に頼んで送って来てくれたのです。 私は水彩の顔料を使って絵を描き、その内容は「師父に中秋のご挨拶を申し上げます」でした! 共産党は私が法輪功を宣伝する横断幕を張ったという理由で、私を迫害しているので、そこで私は「師父に中秋のご挨拶を申し上げます」という絵を中国共産党の留置場の壁に貼ったのです。 2013年の中秋節に私は感動する一幕を経験したのですが、このことは一生忘れることができません。 その日の朝、私はりんご1箱と、いつも取っておいたトフィー(イギリスのお菓子)を取り出し、みんなに平等に分けました。見てみると見渡す限りの人で非常に壮観でした! 私が何をしたいのか、みんなわからなかったので、静かに私のそばで様子を見ていました。 白いシャツに着替え、黄色いズボンをはき、きれいな靴を履いて「全世界各地の大法弟子の皆さん、今日は祝日用の服を着て、いろいろな方法で、慈悲で偉大なる師父のために深く敬賀したいと思います!」と言いました。 留置場では、今日身に付けることが出来たこの新しい服こそが祝日用の服でした! 薄暗い色の囚人服の中で、まばゆいほど光り輝いていました! 私は多く人を救わなければなりません! また、慈悲で偉大なる師父のために深く祝福しなければなりません! みんなの目は私の一挙一動に注がれており、衆生を目の前にして、私の心に限りない善念が沸き起こってきました。私は満面に微笑みをたたえ、慈悲深く心優しい口調でみんなに「今日、みんなで中秋節を過ごすことができるのは天の縁によるものです。みなさん、目の前のキャンデーが目に入っていると思いますが、これはみなさんのために準備したものです。もちろん、これからみなさんにもっと素晴らしい贈り物をします」 続いて私は「今日は中秋節で、私の師父は衆生を済度するためにご苦労されています! 弟子の済度のために、ご苦労を掛けています! 私のような意気地のない弟子は師父の為に何もできませんので、師父に額ずき、自分の深く恥じ入る気持ちを表すしかありません!」 このように言ってから私は「師父に中秋のご挨拶を申し上げます」と書かれた横断幕を監舎の前の壁に貼り、テーブルの真ん中に果物を並べ、みんなの注目の中、慈悲で偉大なる師父に3回、厳粛な気持ちで拝礼しました! 幾千の言葉が無言の涙に変わりました。 監舎は異常な静寂さに包まれ、私が立ちあがると涙にぬれた顔が次々に見え、続いて言葉を失い号泣する人の声も聞こえてきました。 中国の留置場におけるこのような一幕は、本当に得難く貴重なものでした。衆生の善念が呼び覚まされ、ずっと泣き続ける人達もおり「このような感動的な場面は見たことがない」とみんなが口々に言いました。ほとんどの人の目が赤くなり、みんながまじめに抱きしめあい、互いに祝福していました! そして、とても大事そうに各自のキャンデーを取り出しました。その日、私たちは自分たちで作ったご馳走を喜んで食べ、一日中笑いが絶えず、みんなで歌い、深夜まで楽しく過ごしました。 警官を救う 近くにいる拘禁されている人には面と向かって、真相を伝えることが出来ますが、警官の事務室は監視されており、警官は体に法で定められた録画装置を身に付けていました。さらに、警官たちは最も深く毒害されていました。この数年来、さまざまな警官と接触してきましたが、警官たちの多くが毒害されているために、真相を聞こうとしません。警官たちは本当に最もかわいそうです。 八方手を尽くして、いつも大法弟子と接触しようとしている警官は、留置場の警官たちも含めて、みんな大法と縁のある人達だと思いました。 師父は法の中で「大法徒は衆生が救われる唯一の希望」[4] 、「皆さんは神であり、未来の異なる宇宙の主宰者ですが、皆さんは誰に期待することができるのでしょうか? 衆生は皆あなたたちに期待しています」[5] 、「大法弟子がどこにいても、そのところの生命に限りない福を与え、彼らの将来の基礎つまり将来救われるという基礎を築くのです。こういうことです」[1] と私たちにお伝えになりました。 私は「大法弟子はどこにいようと、師が法を正すことを手伝い、衆生を救い済度しなければならない」ということがわかりました。そこで、私は法輪功迫害の真相資料を書いて中国共産党を暴露し、法輪大法の素晴らしさを留置場の警官に伝えよう、と決心しました。私は大王ですから、やりたいことは何でもできます。必要なものは何でもあり、私が行わなければならないことは、すべて師父がお決めになっていました。 私は50冊の便箋と50本のボールペンの芯を買わなければなりませんでした。このような数量は誰が見ても不可能でした(留置場で売っているボールペンの芯は毎月の数量に限度があり、どんなに多くても10本しか買えず、便箋も10冊までです)。 私が申請書を書くと、主管の警官はすぐに「購買に同意する」とサインしてくれました。そして半月後、50冊の便箋が届き、私は分厚い便箋を抱き、まるで夢のようでした! 私が正に喜んでいたその時、突然ボールペンの芯がないことに気が付きました。どこを探してもボールペンの芯がなかったので、これもまた旧勢力による妨害だとわかりました。旧勢力は紙があってもペンがなければ、それなら紙は書かれないまま無駄紙になってしまうからです。しかし、私は師父を信じ、必ず方法があると信じていました! 便箋を買うことが出来たのだから、ペンも必ず解決できるはずです。 その時、ちょうど警官が巡回に来たので、警官を大声で呼んで、ペンを2本持ってきてもらうようにお願いしました。するとしばらくして、警官はペンを2本持ってきました。そこで、私はまた大声で「2本のペンでは足らないので、もっと準備してください」と警官に告げました。すると警官は「先にそれを使ってください、探してきますから」。私は「真相資料を書くということがこんなにも厳粛なことであり、決して書き間違いを起こしてはならないので、辞書も必要だ」と思い、主管の警官に辞書を借りたいと頼むと、主管はすぐに辞書を1冊持って来てくれました。 その時思ったことですが、この留置場の環境は本当に余裕がある、と感じました。実際、余裕があるかどうかは、大法弟子の正念があるかどうかと人心によって決定されるのです。師父は法の中で「この全てはみな、異なる人心と対応しています。良く行っていれば自分の周りの環境を変えることができ、良く行っていなくても、自分の周りの環境を心によって変化させることができます。大法弟子の異なる心の持ち様によって、環境に対する感じ方が違います。そのため、それぞれの人々に現れる状態も異なります」[6] と私たちに教えてくださいました。私たちには偉大な師父がおられるので、私たちが正念正行しさえすれば、師父は私たちのためにすべてを解決してくださり、必要な物はすべて揃い、足りないものがあれば与えてくださるのです。 初日、私は夜中の3時過ぎに起きて正念を発した後に、真相を書く手紙を書き始め、空が明るくなるまで書き、昼間も一日中書いたので、2本のペンはすぐに使い切ってしまいました。 自分の手元にあるボールペンの芯がこんなに貴重であるとは、誰が知るでしょうか。しかし、私が焦っていることをみんなが知っていたので、自分のために1本残して、残りのボールペンの芯をみんなが私にくれました。すると、合わせて十数本になったので、家で送ってきた品物を交換品としてみんなにあげました。 それから毎日、日常生活に必要な雑務と2、3時間の睡眠以外、私の手に握られたペンが止まることはありませんでした。最初、最も困難だったのは睡魔の関を突破することで、ペンを手に握ったまま、何度も夢の中に入って行きました。そして、何度も自分の「豪華な大ベッド」を見ては「寝転がって眠りたい」と思いましたが、「ここは留置場なのだ!」と自分を戒めました。少しも手を緩めることは出来ず、さもなければ、これまでの努力が無駄になってしまい、手に握ったペンは衆生の生命ですから、どんな人心も一気に消え失せていきました。 その後、監舎の職員に変動を引き起こし、新しく転任して来た者がボールペンの芯を取り換えてくれたので、真相を伝える機会にすることが出来ました。 その時、またも私は大法の限りない殊勝さと素晴らしさを体験しました。他の人だったらわずかな時間の中でさえ、苦しく感じたかもしれませんが、私は時間が飛ぶように感じました。まだ大して書いていないのに、顔をあげると空が明るくなっており、また顔をあげると今度は空が暗くなっていました。その時、私が最も恐れたのが時間が速く過ぎ去ってしまうことでした。本当に不思議なことに、留置場の中でさえ、このような感覚がありました。 ある日突然、よく知っている顔が窓に貼りついていることに気づき、それは明明でした! これが師父のすばらしい按排であることがわかりました! 窓を覗き込んでいる明明に「ボールペンの芯が急いで必要なので、あるだけほしい」と言うと、明明はすぐに7、8本持って来て「これで足りなければ、引き続き方法を考えます」と言って、その後、明明は順番に監舎を回ってボールペンの芯を集めてくれました。ある時は一度に二十数本持って来てきくれ、私は気を落ち着けて書けるようになりました。 便箋が足りなくなると、また明明が便箋を集めて来ました。私の持っている物が多かったので交換品として持って行くことができ、ある時はカップヌードルを1箱持って別の監舎に交換に行きました。その時、私は「家から次々と送られてくる食料品や日用品は、ボールペンの芯と便箋を交換するためのものだったのだ」と悟りました。 私は書き続け、毎日私が夜中の1時に起きて、ある時は12時頃起き出すことをみんなが知りました。「こんなことをしていたら疲れて死んでしまうから、やはりもっと寝た方がいいですよ」とみんなが勧めました。しかしその後、私に何事も起こらないどころか、徹夜すればするほど顔色が明るくなり、うっすらと赤みがさしてきたのを見て、みんなは「法輪大法は本当に素晴らしい!」と感じました。 私が書いた真相資料には、修煉の中での自分の体験と、明慧ネットで見たことのある迫害資料が書かれていました。例えば「どうして私は法輪大法を修煉するのか」、「法輪大法は多くの修煉者の道徳を向上させ、人の心を善に向かわせる」、「法輪功は病気治療と健康保持に効果があり、多くの人が恩恵を受けた」、「中国共産党がねつ造したいわゆる『1400例』のうそ」、「天安門焼身自殺は法輪功に濡れ衣を着せ、罪に陥れるためのものである」、「36の異なる国の大法弟子が天安門で、『真・善・忍』の横断幕を打ち出した」、「中国共産党が大法弟子の臓器を生きたまま摘出していることは、世界に衝撃をもたらした」、「大法弟子はなぜ真相を伝えるのか」、「なぜ『天が中国共産党を滅ぼすのか』」、「『三退』すれば平安が保たれる」、「法輪大法は全世界の100以上の国と地域にあまねく伝えられている」、「李洪志師父の著作『轉法輪』はすでに、四十数カ国近くの言語に翻訳され、世界各地で発行されている」、「法輪大法が世界各地で得た褒賞と支持する書簡は、3000通以上に及ぶ」、「大紀元のウェブサイトには、中国共産党と共青団と少年先鋒隊を脱退した1億1千百万人が記録されている」、「『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と心から念じれば、福報が得られる」、「なぜ『三退』し、どのように『三退』するのか」、「因果応報と悪報の実例」などが書かれてあり、最後に、善を勧めるための語呂のよい詩を自分で編集しました。 私は70日間かけて46冊の真相資料を書きました。そして、約200本のボールペンの芯を使いました。 明明は「留置場の全ての女性監舎のボールペンの芯を、集められるだけ集めたわ」と言いました。このすべてのすべては、また、これらの一つ一つは本当に不可能なことでありましたが、師父の慈悲深いご加護の下に実現した事でした! 師父は「皆さんに教えますが、ここ数年来、私はいつも大法弟子に非常に大きな能力があると言っていますが、どうしても信じない人がいます。なぜならば、あなたに見えないようにしているからです。あなたの正念の作用で、周りのすべてとあなた自身まで変化が起こりますが、あなたは試してみようと思ってもいません」[7] と説かれました。 完全な真相資料合わせて27冊に、さらに留置場の警官たちに宛てた厚い書簡を一つにして、美しい外観に整うように包装し、みんなが注目する中、陳という姓の主管の警官に厳正に手渡し、他の警官にも渡して、読んでくれるようにと頼みました。 この真相資料によって、留置場の警官たちが法輪大法の貴重さと素晴らしさをより一層、理解してくれるよう希望しました! そして、共産党を見極め、命が救われる機縁を大切にしてくれるよう希望しました! そして、この命が救われる真相資料を親戚や友人に手渡して、さらに多くの生命に美しい未来が残されることを希望しました! 私は不当に懲役4年6カ月の判決を下されましたが、全部で19冊の法輪功迫害の真相資料を女子刑務所に持って行く準備をしました。きっと、ここの衆生も救われることを待っているはずです。 私は刑務所に3年間拘禁され、そこで引き続き迫害に反対し、衆生を救いました。 今はこの刑務所を離れて数カ月が経ちました。2カ月前に江沢民に対する刑事告訴状が完成し、中国最高裁判所と最高検察庁へ送りました。そして、中国最高裁判所と最高検察庁からの返事の知らせを受け取りました。 告訴状を郵送したその日、郵便局の職員が速達郵便の手続きを終えた後、私に厳正にゴールドのカードを手渡し「何度も私たちの郵便局に郵便物を出しに来ていただき、ありがとうございました」とお礼を言われました。私は「次の計画は衆生に迫害の真相資料を郵送することだ」と思いつき、「これは師父が弟子を励ましてくださっているのだ」と悟りました。 弟子はまだまだ救い済度するお手伝いが足りておらず、恥ずかしく思います。そして、まだまだ報いることが出来ていませんが、必ず、必ず多く学法し、しっかりと自分を修め、しっかりと三つのことを行い、師父と共に家に帰ります!! 弟子は師父にお礼を申し上げます! 初めての投稿ですが、法に沿っていないところがありましたら、同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。 注: [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟』「因果」 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「唯一の希望」 [5] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」 [6] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」 [7] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二十年説法」 (明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会) |