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引用サイト:明慧ネット
https://jp.minghui.org/2020/12/30/72749.html
【明慧ネットラジオ】不治の病が治り周囲の人は驚いた(二)
 文/黒竜江省の大法弟子 馬忠波


 二、不治の病が治り周囲の人は驚いた

 1999年3月のある日、80歳のおばあちゃんが小さな紙切れを書いて持って来ました。私がおばあちゃんの家へ行き、おばあちゃんと一緒に法輪功を学ぶ、という内容で、「法輪功はとても不思議だ」と書かれていました。私は行きませんでしたが、1年分の薬を飲んでも、良くならないばかりか逆に酷くなり、さらに病状は1期から2期に変わり、病気は片側から両側に移ったため、大腿骨頭は最低の状態ではなくなりましたが、煉功すれば治るのでしょうか? 死にそうな私にとって、世の中にこのような事があると信じる事自体が無意味で、家族がどんなに勧めても私は行きませんでした。

 その晩、私は1人の袈裟を着ている人を見ました。その人は窓の外から舞い込んで来て合掌し、私に向かって笑いました。その人は話しかけなかったのですが、「あなたの縁が来たので、あなたは私についてきなさい」と、その人が説明しているように私は感じました。翌日、母にこの変な夢の事を話し、「私は佛を夢に見た。その佛は私に法輪功を学びに行かせようとしているようだった」と言いました。「法輪功は佛ですか、本当に佛はいるのですか? 本当に佛がいるなら、どうか助けてください」と、母に聞きました。母も「知らない」と言いました。

 おばあちゃんは正月20日に私を迎えに来たのですが、夫が出て行って5日目で、私は追い詰められている時でもありました。おばあちゃんは煉功に私を行かせようとしたので、「節々はめちゃくちゃでなくなっちゃいそうだけど、煉功は私を治してくれるの? もう一度言うけど、各大病院で治らなかったのに、煉功して治るの?」と、私は言いました。私は疑って行かなかったのですが、「これは佛法です」とおばあちゃんが言いました。「あなたは佛を見ましたか?」とおばあちゃんに聞きました。小さい頃から無神論の影響を受けたからでしょうが、私は神佛がいる事を信じようとしなかったので、矛盾している気分で「煉功はどれだけ長時間やれば効くの?」と、聞きたかったのです。「10日間ですぐに結果が見えてきます」とおばあちゃんが言ったので、「「やめてよ。わずか10カ月で治るなら、私は薬代まで節約できるのよ」と言いました。

 見るとおばあちゃんは元気な様子なので、私は心で、おばあちゃんは80歳でも死なないのに、私は28歳で死にそうなのはなぜかと思いました。

 あの夢にしても納得できなかったのですが、いっそのこと最後におばあちゃんと付き合って数日泊まろうと決めました。それに私はおばあちゃん家で育ったのですから。

 おばあちゃんの家で、『轉法輪』という本をもらいました。ほどなくして私は引き付けられ、2日半の時間を使って『轉法輪』を読み終えました。

 「人は、以前に悪事を働いたために生じた業力のせいで病気になったり、魔難に遭ったりしています」(『轉法輪』)という法に私は心服しました。「自分がどこで生まれどの世界にいたとしても、前に悪い事をしたことが残っているのだ」ということが、私はすぐにわかりました。早くこの理をわかっていたなら、他人を傷つける事で業を招くなんて事は出来なかったし、自分自身もこの重い病にかからなかったでしょう。こんなに遅くこの本を読んだ自分を恨みましたが、これは天の書物で、この世間にこのような良い本があるでしょうか? これは一般人が書ける本ではありませんでした。

 考えが開かれたので、私もすぐにおばあちゃんの考えを聞きました。叔父の家の2人の子供がセメントを運ぶ車を使って私を煉功場に送ってくれました。3日目の晩、抱輪動作をしましたが、私はこれが初めての煉功で、私はオンドルにもたれ、腰を落ち着けながら腕を持ち上げたのですが、私は煉功して息が切れ、疲れたので煉功したくなくなりましたが、皆おばあちゃんのように老人です。私は若いのに力が出ないことを承服できず、私は重病人ですが、私はさすがに若いので、80歳過ぎのお年寄りに笑い種にされるわけにはいかず、「煉功はもともとこんなに疲れるのか、今度の煉功がすっかり終わったら私は二度と煉功しないが、この煉功だけは持ちこたえなければならない」と思いました。煉功しながら、心の中でぼそぼそ言っていましたが、私は病気が治ることに全く気が付かず、ただ法は素晴らしいと感じ、「人が病気にかかるのは完全に業力によるもので、つまり支払いであり、薬で解決できるものではない」ということがわかったので、それから薬を飲まなくなりました。債務を返さなければならないからです。抱輪を煉功して終わり、それからその日の夜、私は学法して足が痛くなり、骨も痛くて悩まされ、そこに座って片足をしぼっても休めなかったのですが、その場で師父が私の体を浄化してくださっていたことを、私はなぜわからなかったのでしょうか。

 翌日になり、煉功の4日目の朝、それは私の一生忘れられない日でした。今日は旧正月25日の朝ですと、おばが言いました。いつものように、いとこの弟が私のために顔を洗う水を汲んくれ、顔を洗ってそこに座り食事を待っている間、私は普段、肩こりで肩が痛く、頭が重いのですが、両手をスチームについてどうかしようとしたところ、ふと手の力が抜けて、すぐスチームの上に強く投げ出されたので、「地球が私を引き付ける力はどうしてこんなに大きいのか?」と思いました。しかしその日、ずっしりと重かった体は楽になり、頭は痛くなく、くらくらしませんでした。私はそこに座っているのが楽で、「楽だよ、今日はどうして喜ばずにいられようか」という事に突然気付きました。足をなでていると、感じ方が健常者のようだったので、「急いで私の皮靴を持ってきて!」と、私は思わず人を呼びました。

 私は久しぶりにそのパンプスを穿き地面に立って行ったり来たりして、「私はできる、私は歩けるようになった、私は痛くなくなった、私は本当に良くなった」と、うれしそうに大声で大笑いしました。おばあちゃんの家の人たちはみな、「ありえない、 精神作用だよ」と、呆然としていました。「本当に痛くなくなった、歩けるようになった。私は本当に良くなった! 全く痛くない」と、私は叫び続けました。

 私はたった今顔を洗った洗面器を持って外へ駆け出し、洗面器の水を捨てると、食べ物と雑誌を売る店に走って行き電話をかけ、この吉報を知らせました。知らせた相手は、かつて私の世話をし、運転して私を引き連れて診断を受けに行き、私を背負い、家の中で這い回っていた私に、お椀を持って食事を食べさせてくれた7番目の姉でした。電話で私は感激した気分を抑えることがなかったので、「姉さん、私は治って良かった」と、連呼しました。

 「私をごまかさないで。あなたの病気があんなに深刻だったことを、私が知らないとでも思ってるの?」と姉は言いました。「おばあちゃんの家は電話がないから、今あなたに電話しているのは、食べ物と雑誌を売る店の電話だけど、私が歩けなかったのはわかってるよね。私が嘘をつかない事も知ってるよね」と言いました。姉も喜びのあまり何から話していいのやらわからず、「あなたは病気をして人を怖がらせ、病気が治っても怖いほど人を驚かすね! 不治の病になったのに、こんなに早く良くなるなんて? 待っていてくれれば、すぐにも迎えに行きます」と言いました。

 姉はこのニュースを私の兄に教え、200キロを乗用車を運転しておばあちゃんの家に迎えに来ました。私は嬉しくて部屋から外へ駆け出すと、兄は松葉づえを持ちながら「早く杖をついて、早く杖をついて、あなたの骨は腐りかけているのだから、万一転んだら人生は終わりだよ」と、後ろから追いかけてきました。「わからないの? 私はもう松葉づえはいらないのよ」と、私は言いました。

 突然の結果に周囲の人は対応できなくなりました。私たちは先にお母さんの家に着き、「私は良くなった」と話すと、お母さんたちも信じることができずにいました。部屋の内外をうろうろすると、お父さんとお母さんは部屋の内外を私にくっついてきて、私が本当に歩けるようになったのを確認しました。「これは本当に佛が世に下りて来たんじゃないのか?!」と、誰も想像つかないような事を父は歯切れよくはっきりと言いました。

 私がどのくらい痛がっていたかを2人は一番よく知っていたので、「これは病気だろう。でなければあんな重い病気だったのに、あっという間に良くなるはずがない!」と、お父さんは言いました。「ちゃんと修煉しなさい!」と、お父さんは私に言いました!

 私はお母さんの家に泊まらずに、その日のうちに阿城に帰りました。私は家がないので、7番目の姉の家に行くと、隣りの3番目の兄嫁も私の事を聞いて会いに来たので、私たち3人は一緒に座って話し、「大法は本当に不思議です。私は歩けるようになった。これは普通でない大変な法です。これから私はちゃんと修煉しなければならない」と、私は思いました。私が書物を抱えている時に、『轉法輪』の本の中の字の色が変わってきたのを見つけたので、「あなたたち早く見て、この印刷所は中に何を入れたのやら、この字はまだ変色してる」と、私は驚いて言い、印刷の事がわかる7番目の姉に聞くと、「何を入れても変色なんかしないよ」と、姉は言いました。「あなたたちが見てるこの字は元々はすべて黒い字なのに、どうして黄色い字になったの?」と私は言いました。

 「これは黄色い字じゃなくて、やっぱり黒い字だよ」と、7番目の姉は言いました。「この字は明らかに黄色い字なのに、あなたはなぜ黒い字だと言うの?」と、私は言いました。「この字は明らかに黒い字なのに、あなたは何で黄色と言うのか?」と、7番目の姉はさらに言いました。私はその時、まだ本を手にしていて、「この本は読めない、見ると全部が輝いていて、眩しすぎる」と、本を見ながら言いました。傍らの3番目の兄嫁が、私が7番目の姉と言い争い出したのを見て、3番目の兄嫁も集まって来てちょっと見ると、「いやあ! この字はどうしてみんな黄金に染められているの?」と驚いて言いました。当時、私たちはわからなかったのですが、実際は誰が言っている事も正しく、ただそれぞれが見たのはみんな、異なった次元での限定的なものだったのです。結果、その3番目の兄嫁は家に帰って煉功しました。

 7番目の姉の家にいた何人かの姉は、かつて私が地面を這い回るのをその目で見ており、時には私のために落涙し、私がこんな若いのに不治の病にかかり、かわいそうだと感じていたのが、今度は私が煉功して良くなったのを見て、大法を信じました。邪悪の迫害が最も荒れ狂っていた時期に、ずっと正義を守り、姉たちの前で人々がどんなに人聞きの悪い質問を言っても、姉たちは譲歩せず、会う人ごとに「大法は素晴らしい」と言ったので、ある人は本を読み、ある人は正式に修煉し、ある人は姉たちが真相を伝えたことを通して修煉の門に入りました。

 7番目の姉の家に住んで数日後、私はまた母の家に帰ってきました。私は凱旋した英雄のようでした。周りの同郷の人々は私の身に起こった奇跡を目の当たりにしました。「おばあちゃんの家に行った日、出かける前に村のバスが道すがら止まった時、自分のこの惨状を他の人に見られたくなかったので、こっそり隠そうと考えたのですが、満員の車の中の人はみな私を見つけてしまい、隣の4番目のおばも当時、車に乗っていたので、これらの一幕を4番目のおばにも見られた」と私は覚えています。しかし、たった数日で、私が母の家に帰って来て、街で突っ立って礼儀正しく他の人と話しているのを、4番目のおばは見ました。おばは怪訝そうな顔をしながら歩み寄り、私の腕を掴んで、「あなたはすっかり良くなったの? あなたは結局、どうやって出てきたの? あなたは歩けるようになったんですか?」と、立て続けに聞きました。おばは自分の目をまったく信じることができませんでした。大法が自分の身に起こした奇跡を私は笑いながらおばに語ると、おばはすぐに私をつかんで病気になっている母親を訪ねて、おばが見た奇跡を話すと、おばの母親はすぐさま煉功する事を決めました。

 神話と同じようなストーリーが直ちに周辺にどっと広がりました。私は会う人ごとに「法輪大法は素晴らしい」と伝え、「大法が私を救った」と人々に知らせたので、その日、母の家はいっぺんに30人という多くの人が集まり、さらによその村の人も加わって、床の上、スチームの上は皆、功を学びにやって来た人で溢れました。

 (続く)